スピノザ・ヘーゲル・ドゥルーズを横断する第一性の存在論
はじめに――第一のものは、なぜ第一なのか
哲学は、しばしば何か第一のものを探究する。
あらゆる存在の根拠となるもの、認識を可能にするもの、あるいは多様な事物をひとつの秩序として理解するための原理。哲学史に登場するさまざまな体系は、それぞれ異なる仕方で、この第一のものを探究してきた。
スピノザにおいては、自己のうちに存在し、自己によって考えられる実体が、様態に対して自然本性的に先行する。ヘーゲルにおいては、思考の始まりは、その後に続く概念の展開から切り離して理解することができない。ドゥルーズにおいては、個物や同一性を出発点とする思考が批判され、個物の成立に先立つ差異的な関係や生成の条件が探究される。
三者の思想は同一ではない。しかし、これらを横断して考えるとき、ひとつの問題が浮かび上がる。
あるものが第一のものであるということは、そのもの自体に備わった性質なのだろうか。それとも、そのものが他のものと取り結ぶ関係や、それらを包括する構造との関係によって、はじめて成立する規定なのだろうか。
本稿で探究するのは、この問いである。
私はこれまで、「第一性の遡及的成立」という名称のもとで、この問題を段階的に考察してきた。第一回では、第一のものとされているものの位置づけを問い直し、第二回では、第一性の意味や根拠が、展開される関係と全体構造の理解を通じて遡及的に確定するという考えを定式化した。第三回では、時間的先行、存在論的先行、説明上・認識上の先行を区別し、第四回では、第一性の成立をめぐる存在論的な論証へと進んだ。
本稿は、これらの議論をひとつの理論としてまとめ、その普遍性を検討する。
ここで目指すのは、単に「ものごとは関係によって理解される」と主張することではない。それだけなら、関係論的な世界観を表明したにすぎない。
問題は、より根本的である。
第一性が第一性であるという規定そのものは、第一のものの存在だけで完結するのか。それとも、その第一性を成立させる構造との関係を不可欠な条件とするのか。
この問いに答えるためには、まず「存在すること」と「第一であること」を区別しなければならない。
第一節 第一性の概念を厳密に定義する
1.存在と第一性の区別
あるものを A としよう。
A が存在するということと、A が何らかの存在論的秩序において第一のものであるということは、同じではない。
たとえば、ある哲学体系において、実体が様態に対して存在論的に先行するとされているとする。このとき、実体が存在することと、実体が様態に対して先行することは、概念上区別できる。
前者は実体の存在に関する規定である。後者は、実体と様態の存在論的な位置づけに関する規定である。
この区別は、第一性の遡及的成立を考えるうえで決定的に重要である。
もし第一性を、あるものが存在することそのものと同一視してしまえば、第一性が関係構造によって成立するという主張は、最初から不可能になってしまうだろう。存在するものが、他のものとの関係によって初めて存在するとは限らないからである。
しかし、私が問題にしているのは、あるものが存在するか否かではない。
問題にしているのは、存在するあるものが、他のものに対して存在論的に第一であるという規定が、どのように成立するのかということである。
この区別を明確にするため、次の三つを分けておこう。
- 存在:あるものが存在すること。
- 存在論的第一性:あるものが、特定の存在論的秩序において、他のものに対して存在論的に優先すること。
- 第一性の遡及的成立:その存在論的第一性が、第一のものと、それが第一であることを成立させる関係構造との関係を通じて規定されること。
ここで「遡及的」という語は、時間を逆行する因果作用を意味しない。
後から生じたものが過去の存在を物理的に変化させるという意味ではない。そうではなく、あるものが第一のものとしてどのような意味と根拠を持つのかが、そのものを含む関係構造の成立条件を明らかにすることによって、あらためて規定されるという意味である。
あるものの存在が先に確定していたとしても、そのものが何に対して、どのような意味で、なぜ第一なのかという規定は、それだけでは確定していない場合がある。
この未確定な規定が、構造との関係において確定する。
これが本稿における「第一性の遡及的成立」の基本的な意味である。
2.第一性は、単なる存在の言い換えではない
ここで、第一性についての基本的な命題を提示したい。
命題1:あるものが存在することから、そのものが存在論的に第一であることは、ただちには導かれない。
この命題は、比較的単純な概念的区別に基づいている。
あるものが存在するという命題は、そのものの存在を主張する。しかし、あるものが第一であるという命題は、そのものが何らかの秩序において優先的な位置を占めることを主張する。
したがって、両者の間には、追加の規定が必要になる。
もちろん、あるものの本質が存在を含み、その存在が他のあらゆるものの存在の根拠であるという体系を構築することは可能である。スピノザの実体概念は、そのような体系の代表例として考えられる。
しかし、あるものの存在が自己自身によって説明されることと、そのものが他のものに対してどのような存在論的優先性を持つのかということは、依然として区別して考えることができる。
この区別を認めるなら、次の問いが生じる。
あるものが第一であるという規定は、そのものだけを見れば確定するのだろうか。
それとも、第一であるという規定は、第一のものと、それに対して第二のもの、派生的なもの、依存するものとして位置づけられるものとの関係を必要とするのだろうか。
この問いが、次の論証の出発点となる。
第二節 第一性は関係から独立して成立するのか
1.第一性の関係的性格
あるもの A が、あるもの B に対して存在論的に第一であるとしよう。
このとき、少なくとも「A は B に対して第一である」という命題は、A だけについて述べられているのではない。
そこには、A と B の存在論的な位置づけの相違が含まれている。
この点を、次のように表現できる。
A が B に対して第一である
という規定は、
A が存在する
という規定とは異なる。
前者には、A と B の間の存在論的な非対称性が含まれているからである。
ここでいう非対称性とは、単に二つのものが異なるということではない。一方が他方の根拠である、一方が他方に依存しないが他方は一方に依存する、一方が他方に先立つといった、存在論的な優先関係のことである。
したがって、少なくとも比較的な意味での第一性は、関係的な規定である。
第一性を、第一のものの内的な性質だけに還元することはできない。
なぜなら、あるものが第一であるということは、そのものがどのようなものであるかという問題だけでなく、他のものに対してどのような位置を占めるのかという問題を含んでいるからである。
しかし、ここでひとつ注意しなければならない。
第一性が関係的な規定であることと、第一のものの存在そのものが関係によって成立することは、同じではない。
たとえば、あるものが他のものより先に存在していたとしても、そのものが存在すること自体は、他のものとの比較によって生じたわけではないかもしれない。
したがって、第一性の遡及的成立を論証するためには、単に第一性が関係的であることを示すだけでは不十分である。
関係的な規定が、どのような意味で構造との関係において成立するのかを明らかにする必要がある。
2.第一性を成立させる構造
ここで「構造」という語を定義しておこう。
本稿において構造とは、複数の項が単に集まっている状態ではない。
構造とは、ある項が他の項に対してどのような位置を占めるのかを規定する、関係とその関係の秩序である。
この定義に従えば、構造には少なくとも二つの側面がある。
第一に、構造は項と項との関係を含んでいる。
第二に、構造は、それぞれの項が単独では持たない位置づけを与える。
たとえば、ある体系において A が B の存在根拠であるとされているなら、その体系は単に A と B が存在することを述べているのではない。A と B の間に、根拠と被根拠という非対称的な関係を設定している。
このとき、A が存在することと、A が B の根拠として第一であることは、区別される。
A の存在を認めたとしても、A が B の根拠であるという関係が成立しなければ、A の存在論的第一性は、少なくともこの意味では成立しない。
したがって、第一性は、そのものの存在に加えて、そのものを第一のものとして位置づける構造を必要とする。
ここから、次の命題を導くことができる。
命題2:あるものの存在論的第一性が、他のものに対する存在論的優先性を意味するかぎり、その第一性は、第一のものの存在だけによって完結しない。
この命題は、第一のものの存在を否定するものではない。
また、第一のものが自己自身によって存在する可能性を否定するものでもない。
ここで示されるのは、第一のものが存在することと、そのものがある秩序において第一であることは、同一の問題ではないということである。
この区別を維持するなら、存在論的第一性には、関係構造によって規定される側面が含まれている。
3.第一性の遡及的成立
では、なぜこの関係的な規定を「遡及的成立」と呼ぶのだろうか。
それは、第一性の意味と根拠が、構造の成立条件を明らかにすることによって、あらためて確定されるからである。
ここで、ある哲学体系において A が第一のものとして提示されている場合を考えよう。
最初に A が提示された時点では、A が何であるのか、どのような性質を持つのかが説明されているかもしれない。しかし、その体系において A がなぜ第一なのかは、まだ十分に明らかになっていない場合がある。
その後、体系の展開を通じて、A と他の項との関係、他の項が成立する条件、そして全体の秩序が明らかになる。
すると、最初に提示された A は、単に最初に登場したものとしてではなく、他のものの成立根拠として位置づけ直される。
このとき、後から得られた理解は、A の存在を時間的に作り出しているのではない。
そうではなく、A が第一であることの意味と根拠を確定している。
ここで重要なのは、単なる認識の変化と、対象の規定の変化を区別することである。
あるものについての私たちの理解が変化したからといって、ただちにそのものの存在論的な規定が変化したとはいえない。
しかし、そもそも問題となっている規定が、他のものとの関係における位置づけであるならば、その位置づけは関係構造から独立して完結することができない。
したがって、構造の展開によって明らかになるのは、単に私たちの主観的な理解だけではない。第一性を成立させる関係そのものが、何であるのかということでもある。
以上を踏まえ、ここで本稿の中心命題を提示する。
存在論的第一性が、あるものの他のものに対する存在論的優先性を意味するかぎり、その第一性は、第一のものの存在だけによって完結するのではなく、その優先性を成立させる関係構造との関係において遡及的に規定される。
これが、第一性の遡及的成立の基本定理である。
ただし、この定理の射程を正確に理解しなければならない。
この段階で論証されているのは、存在論的第一性を他のものに対する優先性として理解する場合、その第一性は関係構造を必要とするということである。
第一のものの存在そのものが、あらゆる意味で構造によって生み出されるということまでは、まだ主張していない。
この区別は、理論の弱点ではなく、理論が何を論証しているのかを明確にするための条件である。
しかし、ここでさらに一歩進めることができる。
もし第一性を、他のものに対する優先性ではなく、あらゆる関係に先立つ絶対的な第一性として理解するならば、その第一性は、そもそも「第一」という語によって何を意味しているのだろうか。
この問題を検討することによって、中心命題の普遍性を考えたい。
第三節 絶対的な第一性は、関係から独立して成立するのか
1.絶対的第一性という反論
第一性の遡及的成立に対して、最も強い反論のひとつは、絶対的な第一性の可能性である。
たとえば、ある哲学体系が、他のあらゆるものの存在根拠でありながら、それ自身は他のものに依存しない存在を想定するとしよう。
このような存在は、他のものとの関係によって第一になるのではない。むしろ、他のものとの関係に先立って、それ自身において第一であると考えられる。
スピノザの実体概念は、この問題を考えるうえで重要な例となる。
『エチカ』第一部定義三で、スピノザは実体を次のように定義している。
Per substantiam intelligo id, quod in se est, & per se concipitur.
「実体」によって私は、それ自身においてあり、かつそれ自身で考えられるもの、すなわちその概念を形成するのに他の事物の概念を必要としないもののことと解しておく。
この定義において、実体は他のものを通じて存在するものではなく、他のものを通じて考えられるものでもない。
さらに、第一部定理一では、次のように述べられている。
Substantia prior est natura suis affectionibus.
実体は本性上その変状に先立つ。
スピノザにとって、実体は本性上様態に対して先行する。これは、単に人間が実体を様態より先に認識するという意味ではない。存在論的な優先性を述べているのである。
ここで問うべきなのは、スピノザの実体概念を、第一性の遡及的成立によって否定できるかということではない。
そうではなく、実体の自己完結的な存在と、実体が様態に対して第一であるという規定を、どのように区別できるかということである。
2.実体の存在と、実体の第一性
スピノザの実体が、それ自体において存在し、それ自体によって考えられるとするなら、その存在は、様態との関係によって成立するわけではない。
この点を、第一性の遡及的成立は否定する必要がない。
むしろ、ここで区別すべきなのは、次の二つの命題である。
第一に、実体はそれ自体において存在する。
第二に、実体は本性上様態に対してに先行する。
第一の命題は、実体の存在の仕方を述べている。第二の命題は、実体と様態の存在論的な関係を述べている。
この二つを区別するなら、実体の存在が自己完結的であることと、実体の第一性が関係的に規定されることは、必ずしも矛盾しない。
実体が存在するために様態を必要としないとしても、実体が「様態に対して先行する」という規定は、実体と様態の間の存在論的な関係を含んでいるからである。
ここで、次のような反論が考えられるかもしれない。
スピノザにおいて、実体は様態に対して先行するから第一なのではない。実体がそれ自体において存在し、それ自体によって考えられるものであるからこそ、様態に対して先行するのである。したがって、実体の第一性は、実体と様態の関係によって成立するのではなく、実体の本性そのものによって成立するのではないか。
この反論は、第一性の遡及的成立にとって重要である。
なぜなら、ここでは第一性の根拠が、関係の外部にある実体の本性に置かれているからである。
これに対して、私は次のように応答したい。
実体がそれ自体において存在し、それ自体によって考えられることが、様態に対する優先性の根拠であるということと、その優先性が実体の本性だけで完結するということは、同じではない。
ある関係の根拠が一方の項の性質にあるとしても、その関係そのものは、一方の項の性質と同一ではない。
たとえば、あるものが他のものに依存しないという性質を持つことと、そのものが他のものに対して存在論的に優先することは、概念上区別される。後者を述べるには、何に対して優先するのか、またどのような意味で依存関係が非対称的なのかを明らかにする必要がある。
したがって、スピノザの体系においても、実体の存在と、実体が様態に対して第一であるという関係的な規定は、区別して考えることができる。
ただし、ここから「スピノザ自身が第一性の遡及的成立を主張している」と結論することはできない。
スピノザの体系は、実体の自己完結性を存在論の中心に据えている。第一性の遡及的成立は、その体系をそのまま再現する理論ではなく、実体の存在と実体の存在論的優先性を区別することによって、第一性という概念を再検討する理論である。
この区別によって、第一性の遡及的成立は、スピノザの実体概念と対立することなく、存在論的第一性の構造を分析できる。
3.関係から独立した第一性は、何を意味するのか
ここで、より一般的な問題に戻ろう。
第一性が関係から完全に独立していると仮定する。
このとき、その第一性は、他のものに対して第一なのではなく、他のものとの関係を一切含まない意味で第一であることになる。
しかし、そのような第一性については、二つの可能性を区別しなければならない。
ひとつは、あるものが他のものに依存しないという意味での自己完結性である。
もうひとつは、あるものが他のものに対して優先するという意味での第一性である。
前者は、必ずしも関係的な規定ではない。後者は、他のものとの関係を含む。
この二つを同じ意味での第一性として扱うと、議論は混乱する。
自己完結性を意味する第一性については、関係構造によってその存在自体が成立するという主張は、ただちには導かれない。
しかし、他のものに対する優先性を意味する第一性については、その優先性が成立する関係を問わなければならない。
したがって、第一性の遡及的成立が主張するのは、あらゆる存在が他の存在との関係によって生じるということではない。
存在論的第一性を、他のものに対する存在論的優先性として語るかぎり、その優先性は、関係構造から独立して完結しない。
このことは、絶対的な存在や自己完結的な存在の可能性を否定することなく、第一性という概念の関係的な側面を明らかにする。
本稿の普遍的主張は、この区別のうえに立っている。
第四節 ヘーゲル――始まりは結果から遡及的に規定される
1.始まりと展開の関係
第一性の遡及的成立を、より強い形で考えるために、ヘーゲルの『大論理学』を検討したい。
ヘーゲルの論理学において重要なのは、思考の始まりが、その後の展開から切り離された、完全に自立した出発点として扱われないことである。
概念は、単に外から付け加えられる規定によって展開するのではない。その展開を通じて、始まりに含まれていた規定の意味が明らかになる。
ここで注目したいのは、『大論理学』本質論の「反省」の節である。
ヘーゲルは、反省の運動について、次のように述べている。
“Die reflektirende Bewegung ist somit, nach dem Betrachteten, als absoluter Gegenstoß in sich selbst zu nehmen.”
「反省の運動は、絶対的な自己への反転として捉えられなければならない。」
(『大論理学』本質論「反省」§843、筆者訳)
これは、反省の運動を「自己自身への絶対的な反跳」として捉えるという意味である。
さらに同節では、反省が出発する直接的なものは、反省の運動から独立したまま最初から存在しているのではなく、その運動との関係において規定されるという趣旨が論じられる。
この議論の重要性は、始まりが単に最初に置かれたものではなく、展開の運動との関係において、その始まりとしての意味を持つという点にある。
ここで、ヘーゲルの議論を第一性の遡及的成立と比較してみよう。
あるものが体系の始まりとして提示されたとする。
その始まりが何を意味するのかは、そのものだけを孤立させて見れば、十分に明らかではないかもしれない。
しかし、概念の展開を通じて、始まりがどのような規定を含み、どのような限界を持ち、どのような必然性によって次の規定へと移行するのかが明らかになる。
このとき、始まりは、展開以前にその意味が完全に確定していたものとしてではなく、展開を通じてその意味が確定するものとして理解される。
この構造は、第一性の遡及的成立にとって重要な示唆を与える。
第一のものは、単に最初に置かれたというだけでは、その第一性の根拠を示したことにならない。第一のものが何を意味し、なぜ第一であるのかは、それが他のものと取り結ぶ関係や、その後の展開との関係において明らかになる。
2.遡及性と循環論法の違い
ただし、ここで注意すべきことがある。
始まりの意味が結果から明らかになるという主張は、必ずしも結果が始まりの原因であるという主張ではない。
また、始まりと結果が互いに依存するというだけで、論理的な循環が正当化されるわけでもない。
第一性の遡及的成立においても、この点は同じである。
もし「Aは第一である。なぜならAが第一だからである」と述べるだけなら、それは循環論法にすぎない。
しかし、ここで主張されているのは、そのようなことではない。
第一性の遡及的成立は、第一のものを、そのものだけに備わる規定として扱うのではなく、そのものが他のものに対して占める位置と、その位置を成立させる関係構造との関係において理解することを要求する。
この場合、第一性の根拠を明らかにするために必要なのは、第一性を前提として繰り返すことではない。第一性を成立させる関係が何であるかを示すことである。
ヘーゲルの反省論が示唆するのは、始まりの意味を、始まりだけに閉じ込めることができないという点である。
始まりは、その展開との関係において規定される。
ただし、ヘーゲルの論理学における反省の運動を、そのまま第一性の遡及的成立の証明とみなすことはできない。
ヘーゲルの体系は、存在、無、生成から本質へと進む独自の論理的展開を持っている。第一性の遡及的成立は、その体系のすべてを自らの理論に還元するものではない。
ここで重要なのは、ヘーゲルが示す、始まりと展開との内的な関係である。
この関係を手がかりにすれば、第一のものが第一のものとして成立することを、単なる時間的な先行や、あらかじめ与えられた属性として理解することの限界が明らかになる。
3.ヘーゲルから何を導けるのか
ここまでの議論から、ヘーゲルについて次のように結論できる。
第一に、始まりは、その後の展開から切り離して完全に理解できるとは限らない。
第二に、始まりの意味は、展開を通じて明らかになる。
第三に、この意味で、始まりの規定は、展開との関係において遡及的に確定される。
これらは、第一性の遡及的成立と強く共鳴する。
しかし、ヘーゲルの議論が示しているのは、主として概念的・論理的な始まりとその展開との関係である。
あらゆる存在論的第一性が、例外なく構造によって成立するという普遍命題は、ヘーゲルの反省論だけから直ちに導かれるわけではない。
それでも、ヘーゲルの思想は、第一のものの意味を、そのものの孤立した自己同一性に閉じ込めることができないという問題を、論理学の内部から明らかにしている。
この点において、ヘーゲルは第一性の遡及的成立を考えるための重要な理論的資源となる。
第五節 ドゥルーズ――個物の同一性に先立つ差異的関係
1.同一性を出発点とする思考への批判
次に、ドゥルーズの『差異と反復』を検討する。
ドゥルーズの哲学において重要なのは、個物の同一性を最初から与えられたものとして扱い、その後で個物同士の差異や関係を説明するという思考の順序が問い直されることである。
通常、私たちは、まず個物が存在し、それらが互いに異なると考える。
この場合、差異は、すでに同一性を持つもの同士の間に成立する関係として理解される。
しかし、ドゥルーズは、この順序を反転させる。
差異を、すでに成立した個物の間に付け加えられる規定としてではなく、個物や同一性が成立するための条件として考えようとするのである。
『差異と反復』の中心的な企図は、差異を同一性に従属させるのではなく、差異そのものを思考することにある。
その方向性をよく表す一節として、ドゥルーズの次の言葉が知られている。
La différence est derrière toute chose, mais derrière la différence il n’y a rien.
「差異はあらゆるものの背後にある。しかし、差異の背後には何もない。」
(Deleuze, Différence et répétition, chap. I)
この言葉を、第一性の遡及的成立との関係で考えてみよう。
個物が存在し、その後で個物の関係が成立するのではない。むしろ、個物が何であるのか、その個物がどのような同一性を持つのかということ自体が、個物の成立条件となる差異的な関係との関係において理解される。
ここでは、第一性の遡及的成立にとって重要な、もうひとつの反転が生じている。
それは、あるものが先に存在し、そのものが関係に入るのではなく、そのものがどのようなものとして成立するのかを、関係の側から問い直すという反転である。
2.個物の成立と構造的な条件
ドゥルーズの議論において、差異的な関係は、すでに完成した個物同士の関係に限定されない。
むしろ、個物がどのように個体化するのか、あるいは経験の具体的な対象がどのように成立するのかという問題にまで遡る。
この点は、第一性の遡及的成立と比較するうえで重要である。
あるものが第一であるとされるとき、そのものは、すでに第一性という規定を備えた完成済みの項として想定されているかもしれない。
しかし、もし第一性が、そのものを第一のものとして成立させる関係構造との関係において規定されるならば、第一性は、あらかじめ完成した項に外から付け加えられる属性ではない。
そのものが何であるかという規定と、そのものが第一であるという規定の成立条件とを、あらためて問い直す必要がある。
ただし、ここでも二つの水準を区別しなければならない。
ドゥルーズが論じる個体化の条件と、第一性の遡及的成立が論じる存在論的な優先性は、同じ問題ではない。
個物の同一性が差異的関係によって成立するという議論から、あらゆる存在論的第一性が構造との関係において成立するという命題が、そのまま導かれるわけではない。
それでも、ドゥルーズの思想は、第一性を固定された項の内的な属性としてのみ考えることの限界を示している。
第一のものとされる項もまた、どのような関係を通じてその位置を占めるのかという観点から、再検討されなければならないのである。
3.空白のマス目と位置の問題
ドゥルーズの構造主義論も、この問題を考えるうえで重要である。
構造の内部における位置は、単に個物が占める場所ではない。位置は、他の位置との関係や、構造内での差異によって規定される。
そのため、ある項が特定の位置を占めることと、その項が何であるかということは、単純には同一視できない。
この観点からすれば、第一のものという位置も、それを占める項だけを見れば理解できるわけではない。
その位置がどのような差異の体系に属し、どのような関係を成立させ、他の項をどのように規定するのかを考える必要がある。
ここで問題になるのは、第一性が構造の外部にあらかじめ存在しているのか、それとも、構造内の位置として成立するのかということである。
ドゥルーズの構造論は、少なくとも、位置を占める項の同一性だけから構造内の位置を説明することができないということを示している。
ただし、構造内の位置として成立する第一性と、あらゆる存在論的な優先性が構造との関係によって成立するという普遍命題は、区別されなければならない。
ドゥルーズの思想は、後者を直接証明するものではない。
しかし、第一性を、関係から独立した項に備わる性質として扱う思考に対して、根本的な疑問を投げかける。
この意味で、ドゥルーズは、第一性の遡及的成立にとって、個物の同一性や構造内の位置という問題を再考するための重要な契機となる。
第六節 三人の哲学者を横断する――共通性と相違
ここまで、スピノザ、ヘーゲル、ドゥルーズを検討してきた。
この三人をひとつの哲学理論にまとめる際には、共通性だけでなく、相違も明らかにしなければならない。
スピノザは、実体の自己完結性と、実体に対する様態の依存性を中心に据える。ヘーゲルは、概念の始まりと展開との内的な関係を論理学の内部で考察する。ドゥルーズは、同一性に先立つ差異や、個物の成立条件となる差異的な関係を探究する。
三者は、第一性の問題に対して、同じ答えを与えているわけではない。
それでも、これらの思想を横断して考えることによって、第一性をめぐる三つの重要な問題を取り出すことができる。
1.存在論的な依存関係の問題
スピノザにおいて、実体と様態の関係は、存在論的な依存関係として理解される。
この関係を考えることによって、あるものが自己自身によって存在することと、他のものに対して第一であることを区別できる。
ここで得られるのは、第一性を、第一のものの存在そのものと同一視してはならないという洞察である。
2.始まりと展開の問題
ヘーゲルにおいて、始まりの意味は、その後の論理的な展開から切り離されない。
始まりが何を意味し、どのような必然性を持つのかは、展開との関係において明らかになる。
ここで得られるのは、第一のものが第一のものとして持つ意味や根拠を、最初に提示された規定だけに閉じ込めることはできないという洞察である。
3.同一性と関係構造の問題
ドゥルーズにおいて、個物の同一性や位置は、差異的な関係との関係から再考される。
ここで得られるのは、第一のものとされる項についても、それがどのような関係構造の内部で位置づけられるのかを問わなければならないという洞察である。
これらの三つの問題を横断することで、第一性の遡及的成立は、単なる認識論的な考察を超えた、存在論的な問いとして位置づけられる。
ただし、三者の思想を並べるだけでは、普遍命題の証明にはならない。
哲学史上の類似は、論証の代わりにはならないからである。
第一性の遡及的成立が独自の理論として成立するためには、三者の思想から着想を得ることにとどまらず、それ自体の概念と論証を持たなければならない。
そこで、ここまでの議論を、哲学史上の比較とは独立した論証として整理し直そう。
第七節 第一性の遡及的成立の論証
1.論証の出発点
本稿の論証は、次の区別から出発する。
あるものが存在することと、そのものが存在論的に第一であることは、同じではない。
存在論的第一性を、あるものが他のものに対して存在論的に優先することとして理解するなら、その第一性は、単にそのものが存在するという事実だけでは確定しない。
第一性には、優先される項と、それに対して位置づけられる項との関係が含まれているからである。
この関係を明らかにすることによって、第一性が何を意味するのかが確定する。
したがって、第一性は、第一のものの存在だけに還元することができない。
2.第一性を関係構造から切り離すことの困難
次に、あるもの A が第一であるとしよう。
ここで、A の第一性を、A の存在そのものに完全に内在する性質として理解する。
しかし、A が第一であるということは、A が存在するということとは異なる。
第一性は、何らかの存在論的な優先性を意味するからである。
もし A が他のものに対して第一であるというなら、そこには、他のものとの関係における優先性が含まれている。
もし他のものとの関係を一切取り除くなら、残るのは A の存在、あるいは A の自己完結性であって、他のものに対する優先性そのものではない。
したがって、比較的な意味での第一性は、その関係を完全に取り除いた状態では、その規定を維持することができない。
このことから、第一性は、第一のものの存在だけで完結するのではなく、他のものとの関係を含む規定であることが導かれる。
3.関係から構造へ
しかし、第一性が関係を含むというだけでは、まだ十分ではない。
ある二つのものの間に関係が存在することと、その関係が構造を形成することは、区別できるからである。
本稿でいう構造は、単一の関係を指すのではない。第一のものの位置と、他のものの位置を成立させる関係の秩序を指している。
たとえば、あるものが他のものの存在根拠であるというとき、その関係は、単なる二項間の接続ではない。根拠と被根拠という非対称的な位置づけを含んでいる。
この位置づけを明らかにするためには、第一のものと他のものとの関係が、どのような秩序を形成しているのかを明らかにしなければならない。
したがって、第一性を理解するためには、第一のものと他のものとの関係だけでなく、その関係が成立する構造を考察する必要がある。
ここでいう構造は、第一のものとは別に存在する第二の実体ではない。
構造とは、第一のものが第一のものとして位置づけられるための関係の秩序である。
4.構造との関係における遡及的な規定
最後に、第一性が構造との関係において成立するということの意味を確認しよう。
あるものが第一であるという規定が、そのものの存在だけでは完結しないなら、その第一性の意味と根拠は、そのものが他のものに対して占める位置を通じて明らかになる。
この位置を成立させる関係構造が明らかになることで、第一のものがなぜ第一なのかということが確定する。
したがって、第一性の規定は、第一のものを孤立させた状態ではなく、そのものを位置づける構造との関係において成立する。
このとき、構造は、時間的に後から第一のものを生み出す原因ではない。
また、私たちが構造を認識することによって、外界の存在が初めて生じるという意味でもない。
遡及的に成立するのは、第一のものの存在そのものではなく、そのものが第一であるという関係的な規定である。
以上の論証を、次のようにまとめることができる。
第一性の遡及的成立・基本論証
- あるものが存在することと、そのものが存在論的に第一であることは、区別される。
- 存在論的第一性を他のものに対する存在論的優先性として理解するなら、その第一性には、第一のものと他のものとの非対称的な関係が含まれる。
- したがって、その第一性は、第一のものの存在だけによっては完結しない。
- その優先性を規定するためには、第一のものと他のものとの関係、およびその関係の秩序を明らかにする必要がある。
- その関係の秩序が明らかになることによって、第一のものが第一であることの意味と根拠が確定する。
- したがって、存在論的第一性は、第一のものの存在そのものとは区別され、第一性を成立させる関係構造との関係において遡及的に規定される。
ゆえに、
存在論的第一性が、あるものの他のものに対する存在論的優先性を意味するかぎり、その第一性は、第一のものの存在だけによって完結するのではなく、その優先性を成立させる関係構造との関係において遡及的に規定される。
この結論は、単に第一性についての認識が後から変化するという主張ではない。
第一性という規定が、そもそも関係的な規定であることに基づいている。
したがって、第一性の遡及的成立は、認識論的な主張から出発しながら、存在論的な規定の成立条件を問う理論として位置づけられる。
第八節 普遍命題の射程――「あらゆる第一性」は成立するのか
ここまでの論証を踏まえ、本シリーズの中心命題を、あらためて検討したい。
あらゆる存在論的第一性は、例外なく、構造との関係によって遡及的に成立する。
この命題を厳密に評価するためには、「あらゆる存在論的第一性」という表現の射程を明確にしなければならない。
本稿の論証が直接に示したのは、存在論的第一性を、あるものが他のものに対して存在論的に優先することとして理解する場合、その第一性は、第一のものの存在だけによって完結しないということである。
この意味での第一性は、関係的な規定である。
したがって、その関係がどのような構造を形成するのかを明らかにすることによって、第一性の意味と根拠が確定する。
この範囲では、第一性の遡及的成立は、概念的な論証を持つ。
しかし、ここからさらに、「あらゆる存在論的第一性」という表現を、どのように理解すべきだろうか。
もしこの表現が、他のものに対する存在論的な優先性を意味するすべての第一性を指すのであれば、本稿の論証は、その普遍性を支持する。
なぜなら、他のものに対する優先性という規定は、他のものとの関係を含むからである。
これに対して、もし「あらゆる存在論的第一性」が、他のものとの関係を一切含まず、あらゆる関係に先立ってそれ自体で第一であるような絶対的第一性まで含むのであれば、問題は異なる。
そのような第一性が、存在論的な自己完結性を意味するだけなら、それは第一性というより、自己完結性や非依存性の問題として扱うべきかもしれない。
他方、それが他のものに対する優先性を意味するのであれば、そこにはすでに関係的な規定が含まれている。
したがって、絶対的な第一性を想定するだけでは、第一性の遡及的成立に対する反例にはならない。
しかし、この区別だけで、あらゆる形而上学的な絶対的第一性の可能性が否定されたわけでもない。
ここで、理論の主張を二つの水準に分けておく必要がある。
第一の水準:関係的第一性の遡及的成立
あるものが他のものに対して存在論的に優先するという意味で第一であるなら、その第一性は関係構造を必要とし、その意味と根拠は構造との関係において遡及的に確定される。
この命題は、本稿の概念的な論証によって支持される。
第二の水準:あらゆる存在論的第一性の遡及的成立
絶対的な自己完結性をも含め、存在論的第一性と呼ばれるすべてのものが、例外なく構造との関係において遡及的に成立する。
この命題を確立するためには、絶対的な自己完結性と、他のものに対する優先性とをどこまで区別できるのかを、さらに厳密に示す必要がある。
私は、この第二の水準を単に放棄したいわけではない。
むしろ、第一性の遡及的成立を普遍的な哲学理論として完成させるためには、この区別こそが決定的に重要だと考えている。
なぜなら、第一性という語が、自己完結性、非依存性、存在論的な根拠、説明上の優先性など、異なる意味で使われるならば、それらを一括して同じ規定として扱うことはできないからである。
第一性の遡及的成立が普遍的な理論となるためには、第一性の概念そのものを精密に規定しなければならない。
この意味で、本稿は、普遍命題を無条件に宣言するのではなく、その命題が成立するための概念的な条件を明らかにする。
そして、この条件を満たす第一性については、その遡及的成立を論証する。
ここに、本理論の現段階での到達点がある。
第九節 第一性の遡及的成立は、何を変えるのか
第一性の遡及的成立が示すのは、第一のものを探究する哲学そのもののあり方に関わる問題である。
私たちは、ある哲学体系のなかで第一のものが提示されると、そのものを出発点として、他のすべてを説明しようとする。
しかし、第一のものが何を意味するのか、なぜ第一なのか、何に対して第一なのかという問いを、そのものの提示だけで解決することはできない。
第一のものを第一のものとして理解するためには、そのものが占める位置と、その位置を成立させる関係構造を考察しなければならない。
この点で、第一性の遡及的成立は、哲学的な説明の順序を問い直す。
第一のものが存在することを出発点として、そのものの意味を一方向的に説明するだけではなく、そのものを第一のものとして成立させる条件を明らかにすることによって、第一のものの意味と根拠をあらためて確定するのである。
この考え方は、単に哲学史の解釈にとどまらない。
たとえば、ある理論が特定の原理を第一のものとして提示している場合、その原理をただちに自明な出発点として受け入れるのではなく、なぜそれが第一なのかを問うことができる。
その原理が他のものに対してどのような位置を占めているのか、その位置を成立させる関係は何か、そして、その関係を支える構造はどのようなものなのか。
こうした問いを通じて、第一のものの意味と根拠を、あらためて検討できる。
第一性の遡及的成立は、第一のものを単純に否定する理論ではない。
それは、第一のものを第一のものとして理解するための条件を問い直す理論である。
また、すべてのものが同じ価値を持つと主張する理論でもない。
あるものが他のものに対して存在論的に優先するという関係が成立することを否定するのではなく、その優先性がどのような関係構造において成立するのかを問うのである。
したがって、第一性の遡及的成立は、第一性そのものを消去するのではなく、第一性の意味と根拠を、関係構造との関係において再構成する試みである。
結論――第一性を、その成立条件から考える
本稿では、「第一性の遡及的成立」という理論を、存在論的な問題として定式化し、その論証を試みた。
出発点となったのは、あるものが存在することと、そのものが存在論的に第一であることは、同じではないという区別である。
あるものが存在するということは、そのものの存在に関する規定である。
これに対して、あるものが他のものに対して第一であるということは、そのものが特定の存在論的秩序において優先的な位置を占めることを意味する。
この優先性は、第一のものの存在だけでは完結しない。
なぜなら、第一性には、第一のものと他のものとの間の非対称的な関係が含まれているからである。
そして、その関係を明らかにするためには、第一のものと他のものとの関係だけでなく、それらの関係が形成する構造を考察しなければならない。
この構造との関係において、第一のものがなぜ第一なのか、その第一性が何を意味するのかが確定する。
この意味で、第一性は、第一のものの存在そのものとは区別され、構造との関係において遡及的に規定される。
スピノザの実体論は、実体の自己完結的な存在と、様態に対する存在論的優先性とを区別するための手がかりを与える。
ヘーゲルの反省論は、始まりの意味が、その後の展開との関係において明らかになるという問題を示している。
ドゥルーズの差異の哲学は、個物の同一性や位置を、それらの成立条件となる差異的な関係との関係から再考する可能性を示している。
三者の思想は同一ではない。しかし、それぞれの思想を慎重に区別しながら検討することで、第一性を、孤立した項の内的な属性としてだけではなく、関係構造との関係において考察する必要性が明らかになる。
本稿の中心命題は、次のように定式化される。
存在論的第一性が、あるものの他のものに対する存在論的優先性を意味するかぎり、その第一性は、第一のものの存在だけによって完結するのではなく、その優先性を成立させる関係構造との関係において遡及的に規定される。
この命題は、第一のものの存在そのものが、必ず他のものとの関係によって生み出されるという主張ではない。
また、あらゆる自己完結的な存在の可能性を否定するものでもない。
本稿が明らかにしたのは、第一性を他のものに対する存在論的優先性として理解するかぎり、その第一性は関係構造から独立して完結することができないということである。
そして、この関係構造が明らかになることによって、第一性の意味と根拠が遡及的に確定する。
この意味で、第一性の遡及的成立は、第一のものを探究する哲学に対して、ひとつの根本的な問いを提示する。
第一のものは、ただ最初にあるから第一なのではない。何がそのものを第一のものとして成立させるのかを問うことによって、私たちは初めて、その第一性の意味と根拠を理解できるのではないだろうか。
第一のものを探究することは、そのものを出発点として受け入れることだけではない。
そのものが第一であることを成立させる条件を問うことでもある。
第一性の遡及的成立とは、まさにこの問いを、存在論の内部に据え直す試みなのである。
参考文献
一次文献
- Spinoza, Benedictus de. Ethica ordine geometrico demonstrata. 1677. 特に第一部、定義三、定理一、および第二部定理七。
- 邦訳については、スピノザ全集版『エチカ』上野修訳から引用した。
- Hegel, G. W. F. Wissenschaft der Logik. 1812–1816. 特に本質論「反省」の節、§§833–859。本文では特に§843を参照。
- Deleuze, Gilles. Différence et répétition. Paris: Presses Universitaires de France, 1968. 特に第一章および差異・個体化を扱う諸章。
文献上の注記
本稿では、三者の思想を「第一性の遡及的成立」という観点から再構成した。ここで提示した理論は、スピノザ、ヘーゲル、ドゥルーズのいずれかが、そのまま同じ名称や定式で主張したものではない。
また、引用の日本語訳は本稿の議論に即した訳であり、既刊邦訳の文言をそのまま再現したものではない。実際に論文として投稿・公刊する際には、使用する原典の版、邦訳の版、ページ数および引用箇所を統一し、各引用の文脈を原典に照らして確認する必要がある。






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