第一性の遡及的成立の射程と限界⑥

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――存在論的第一性は構造によって成立するのか

はじめに――普遍命題への挑戦

本シリーズでは、哲学における「第一性」をめぐる問題を、スピノザ、ヘーゲル、ドゥルーズらの思想を手がかりに考察してきた。そこで浮かび上がってきたのが、あるものが第一のものとして成立するためには、そのものだけでなく、そのものと他のものとの関係を含む構造を考慮しなければならないのではないか、という問題である。

通常、何かが第一のものであると考えるとき、私たちはそのものが他のものに先立って存在することを想定する。第一のものが存在し、その後に第二のものや第三のものが成立する。あるいは、第一のものが他のものの存在や性質を基礎づける。この場合、第一性は、第一のものそれ自体が持つ性質として理解される。

しかし、ここには問い直すべき問題がある。

あるものが第一のものであるということは、そのものが存在することだけで成立するのだろうか。それとも、そのものが何に対して第一なのか、他のものとどのような関係にあるのか、さらに、その関係をどのような秩序として理解するのかによって、初めて成立するのだろうか。

本シリーズで「第一性の遡及的成立」と呼んできた考え方は、後者の可能性を追究するものである。

ただし、ここでいう「遡及的」とは、時間を逆向きに進む因果作用を意味しない。あるものが時間的には先に存在していたとしても、それが何を意味する第一のものなのか、何を基礎づけるものなのかは、そのものを位置づける関係や構造を通じて初めて明らかになる場合がある。その意味で、第一性は、単純に最初から与えられているのではなく、構造との関係を通じて遡及的に規定される。

ここから、さらに強い命題が導かれるように思われる。

あらゆる存在論的第一性は、例外なく、構造との関係によって遡及的に成立する。

この命題を徹底するならば、他のものとの関係に依存しないとされる自己完結的な存在、すなわち他のものによって存在を基礎づけられることのない絶対的な存在についても、その第一性は構造によって成立することになる。

しかし、この強い命題は本当に論証できるのだろうか。

本稿の目的は、この問いに正面から取り組むことである。スピノザの実体概念、ヘーゲルの『大論理学』における純粋存在の論理、ドゥルーズの差異と多様体をめぐる議論を検討し、第一性の遡及的成立という考え方がどこまで支持されるのかを明らかにする。

先に結論を示しておこう。

本稿では、あるものが他のものに対して持つ存在論的優先性は、その優先性を成立させる関係構造との関係において規定されるという命題を擁護する。

しかし、自己完結的な存在を含め、あらゆる第一性が存在論的に構造によって成立するという普遍命題については、現時点で決定的な論証を提示できない。

この結論は、第一性の遡及的成立という構想を放棄するものではない。むしろ、この構想が成立する範囲と、さらに論証を必要とする範囲とを区別するためのものである。


第一節 第一性という概念を分解する

1. 存在することと、第一であること

議論の出発点として、少なくとも三つの事柄を区別する必要がある。

第一に、あるものが存在すること。

第二に、そのものが他のものに対して第一であること。

第三に、そのものが第一であるという規定が、どのように成立するかということ。

これらは相互に関係しているが、同じ事柄ではない。

たとえば、ある哲学体系において、AがBの存在を基礎づけるとする。このとき、Aが存在することと、AがBに対して基礎的な位置を占めることとは区別できる。

Aが存在することだけでは、AがBの基礎であることは導かれない。AとBの間に、基礎づけるものと基礎づけられるものという関係が成立していなければならないからである。

もちろん、ここから直ちに、Aの存在そのものがBとの関係によって成立するとはいえない。AがBの基礎であることと、Aが存在することとは、異なる水準の問題だからである。

しかし、少なくとも、AがBに対して第一であるという関係的な第一性は、Aの存在だけに還元できない。

Aの存在に加えて、AとBとの間に特定の関係が成立している必要がある。

この点から、第一性を単純に第一のものそれ自体の内在的な性質として理解することには、一定の限界がある。

2. 第一性は何に対する第一性なのか

「Aは第一である」という命題を考えてみよう。

この命題は、文脈によって異なる意味を持つ。

Aは時間的に最初なのか。存在論的に最も根本的なのか。ある理論において他の命題を基礎づけるのか。認識を進める際の出発点なのか。

これらは同一ではない。

時間的に最初のものが、必ずしも存在論的に最も根本的なものとは限らない。認識上の出発点が、必ずしも存在の根拠であるとも限らない。また、ある理論の説明において最初に導入される概念が、その理論の存在論において第一のものだとも限らない。

したがって、第一性を論じる際には、まず何の意味で第一なのかを明確にしなければならない。

本稿で主として問題にするのは、存在論的第一性である。

ここでは、あるものが他のものに対して、存在の根拠、存在論的な優先性、あるいは存在の秩序における基礎的な位置を持つことを指す。

ただし、存在論的第一性には、さらに異なる意味が含まれている。

一つは、他のものに対して第一であるという関係的な第一性である。

もう一つは、他のものとの関係に依存せず、それ自体で存在論的に完結しているとされるものの第一性である。

前者では、他のものとの関係が第一性の成立に関わることを示す余地がある。しかし後者では、他のものとの関係に依存しないこと自体が、その存在の定義や性格に含まれている可能性がある。

したがって、前者について成立する議論が、そのまま後者にも適用できるとは限らない。

この区別が、本稿の論証を左右する。

3. 「遡及的成立」とは何か

第一性の遡及的成立とは、第一のものが時間的に後から存在するという主張ではない。

むしろ、あるものが第一のものとして規定されるためには、そのものを第一のものとして位置づける関係や構造が必要であり、その構造を通じて、第一性の意味が確定するという主張である。

たとえば、ある体系においてAが他のすべてのものの存在を基礎づけるとする。

このとき、Aは体系の最初に位置づけられるかもしれない。しかし、Aがその体系において第一のものとして機能することは、Aの存在だけからは説明できない。

Aが何を基礎づけるのか、他のものがどのような意味でAに依存するのか、そして、それらの関係がどのような秩序を形成するのかを明らかにする必要がある。

こうして体系全体の関係が明らかになることで、Aが第一のものとして占める位置も確定する。

ここで遡及的に成立するのは、まず第一性の意味と位置である。

Aそのものの存在が、必ずしも遡及的に生み出されるわけではない。

この点を曖昧にすると、第一性の遡及的成立という構想は、認識論的な主張と存在論的な主張を混同してしまう。

本稿では、この混同を避けることを最優先する。


第二節 スピノザの実体概念――構造から独立した第一性は可能か

1. 実体は他のものを必要としない

第一性の遡及的成立という構想にとって、最も重要な問題の一つは、スピノザの実体概念である。

スピノザは『エチカ』第一部の定義三において、実体を次のように定義する。

Per substantiam intelligo id, quod in se est, & per se concipitur.

「実体」によって私は、それ自身においてあり、かつそれ自身で考えられるもの、すなわちその概念を形成するのに他の事物の概念を必要としないもののことと解しておく。

続く説明では、その概念を形成するために他のものの概念を必要としないことが示される。

スピノザの実体概念には、少なくとも二つの重要な側面がある。

第一に、実体は他のもののうちに存在するものではなく、それ自体において存在する。

第二に、実体は他のものの概念を介さず、それ自体によって概念される。

したがって、実体は、存在論的にも概念的にも他のものから独立したものとして規定されている。

この定義を、第一性の遡及的成立という観点から考えてみよう。

スピノザの実体は、他のものとの関係によって初めて存在するものではない。少なくとも、そのようなものとして定義されてはいない。

したがって、実体が第一のものであるということを、他のものとの関係によって初めて存在するという意味で解釈するならば、スピノザの実体概念とは両立しない。

しかし、ここで注意すべきことがある。

スピノザの定義三が述べているのは、実体がそれ自体において存在し、それ自体によって概念されるということである。

この定義だけから、実体が他のものに対して持つあらゆる存在論的優先性が、関係構造から完全に独立していると結論することもできない。

なぜなら、実体が他のものから独立して存在することと、実体が他のものに対して第一であるという規定がどのように成立するかとは、区別できるからである。

実体の存在が他のものに依存しないとしても、実体が他のものの存在論的な基礎であるという位置づけは、実体と他のものとの関係に関わる。

ただし、この区別から、実体の存在そのものが関係によって成立すると主張することはできない。

ここに、第一性の遡及的成立という構想の射程を見定めるための、最初の境界線がある。

2. 実体と様態の関係

スピノザの実体概念をさらに理解するためには、第一部の公理、定義、命題の連関を確認する必要がある。

定義五では、様態が次のように定義される。

Per modum intelligo substantiae affectiones, sive id, quod in alio est, per quod etiam concipitur.

様態によって私は、実体の変状、言いかえれば、他のものにおいてあり、かつ他のものによって考えられるようなもののことと解しておく。

ここでは、実体と様態の間に明確な非対称性がある。

実体はそれ自体において存在し、それ自体によって概念される。これに対して、様態は他のもののうちに存在し、他のものによって概念される。

第一部定理一では、

Substantia prior est natura suis affectionibus.

「実体は本性上その変状に先立つ。」

と述べられる。

ここでいう「先」は、単純な時間的先行ではない。実体とその変状の存在論的な関係を表す。

スピノザの体系では、実体は様態に対して存在論的に優先する。様態は実体なしには存在も概念もできないが、実体は様態を個々に取り上げなくても実体として定義される。

この非対称性は、第一性の遡及的成立という構想にとって重要である。

実体が様態に対して第一であるという位置づけは、実体と様態の関係を抜きにしては、その意味を十分に理解できない。

しかし、そこから実体の存在そのものが様態との関係によって成立すると結論することはできない。

むしろ、スピノザの体系は、存在論的な優先性を認めながら、その優先性を持つものの存在が、優先されるものとの関係に依存するとは限らないことを示している。

この点は、私たちの構想に対する強い反例候補である。

第一性が関係的に規定されることと、第一のものの存在が関係によって構成されることは、同一ではない。

3. スピノザの体系から何が導かれるか

スピノザの議論を踏まえると、第一性の遡及的成立について、次の二つの主張を区別する必要がある。

第一の主張は、実体が様態に対して持つ存在論的優先性は、実体と様態の非対称的な関係を通じて理解される、というものである。

第二の主張は、実体そのものの存在論的な第一性が、実体と様態との関係によって初めて成立する、というものである。

第一の主張は、スピノザの体系に即して擁護できる。

しかし、第二の主張は、第一の主張からは導かれない。

むしろ、実体の存在を他のものから独立したものとして定義するスピノザの立場は、第二の主張に対して慎重であることを要求する。

したがって、スピノザを第一性の遡及的成立の先駆者として単純に位置づけることはできない。

スピノザの体系から引き出せるのは、第一性の関係的な規定可能性についての洞察であって、あらゆる第一性の存在論的な構造依存性がすでに証明されているということではない。

この区別を維持することによってこそ、スピノザの思想を私自身の理論へ安易に回収せず、その理論の可能性と限界を明らかにできる。


第三節 ヘーゲル『大論理学』――第一のものは自己自身から規定できるのか

1. 純粋存在という始まり

スピノザの実体概念が第一性の構造依存性に対する強い挑戦であるとすれば、ヘーゲルの『大論理学』は、第一性を考える際に「規定されること」そのものが何を意味するのかを問い直すための重要な手がかりになる。

『大論理学』の存在論は、純粋存在から始まる。

ヘーゲルは、純粋存在を次のように規定する。

Sein, reines Sein, ohne alle weitere Bestimmung.

「存在、純粋存在、いかなるさらなる規定も持たない存在。」

純粋存在には、まだ特定の性質も内容も与えられていない。何かであることを意味する規定が、そこには存在しない。

ヘーゲルは続けて、純粋存在について、それが自己自身とのみ等しく、他のものとの関係においても不等ではなく、内部にも外部にも差異を持たないことを述べる。

純粋存在に何らかの規定や内容が含まれ、それによって他のものと区別されるならば、純粋存在はもはや純粋なものではない。

その意味で、純粋存在はあらゆる規定を欠いた直接的な始まりとして導入される。

しかし、この始まりには問題がある。

純粋存在がいかなる規定も持たないのであれば、それは何によって他のものから区別されるのだろうか。

あるものが特定のものとして規定されるためには、それが他のものとは異なるということが必要なのではないか。

もしそうであれば、純粋存在は、第一のものとして設定されたにもかかわらず、その第一性を規定するための差異を欠いていることになる。

2. 純粋存在と純粋無

ヘーゲルは、純粋存在の検討を通じて、純粋無との関係へと進む。

純粋存在は、何ものでもないという意味で、何の規定も持たない。純粋無もまた、何の規定も内容も持たない。

そのため、ヘーゲルは次のように述べる。

Das reine Sein und das reine Nichts ist also dasselbe.

「純粋存在と純粋無とは、したがって同じものである。」

この命題の意味は、単に存在と無が日常的な意味で同一だということではない。

問題となっているのは、あらゆる規定を取り去った純粋存在である。純粋存在がいかなる内容も区別も持たないならば、それは純粋無と区別できない。

ここで重要なのは、純粋存在が何かとの関係によって初めて存在するということではない。

ヘーゲルの論証が示そうとしているのは、あらゆる規定を排除した純粋な始まりは、それ自体では、他のものから区別された特定のものとして把握できないということである。

純粋存在が第一のものとして導入されることと、それが第一のものとして具体的に規定されることとの間には、隔たりがある。

そして、その隔たりを展開することによって、ヘーゲルの論理学は存在から無へ、さらに生成へと進む。

生成とは、存在と無の単なる並置ではない。両者が相互に移行する運動である。

ヘーゲルは、生成について、存在と無が区別されながらも、互いに移行し、その区別がただちに解消される運動として説明する。

この議論は、第一のものを、それ自体で完結した不動の出発点として理解することに対して、根本的な疑問を投げかける。

第一のものを完全に無規定なものとして考えると、それが何であるかを区別することができない。しかし、それを特定のものとして規定しようとすれば、何らかの差異や関係が必要になる。

したがって、第一性を考えることは、第一のものをただ指定するだけでは終わらない。それが何であり、何でないのかを明らかにする規定の運動が必要になる。

3. ヘーゲルの議論は第一性の遡及的成立を証明するのか

ここで、ヘーゲルの議論を本稿の問題に接続しよう。

純粋存在は、論理学の始まりとして置かれる。しかし、その意味は、単純な出発点の提示によって完結するわけではない。

純粋存在を考察すると、それが純粋無と区別できないことが明らかになり、存在と無の関係から生成が導かれる。

この展開によって、最初に置かれた純粋存在の意味は、後続する論理的運動との関係において明らかになる。

この点は、第一性の遡及的成立という構想にとって示唆的である。

第一のものは、単に最初に置かれたものとして理解されるのではない。そのものの規定が展開されることによって、初めて、その意味と位置が明らかになるからである。

ただし、ここでも論証の範囲を厳密に限定する必要がある。

ヘーゲルの純粋存在は、あらゆる規定を取り去った論理学の始まりである。したがって、ヘーゲルの議論が直接に扱っているのは、純粋に無規定な存在概念がどのように展開されるかという問題である。

そこから、あらゆる自己完結的な存在が、存在論的に構造によって成立すると結論するには、さらに別の論証が必要になる。

たとえば、ヘーゲルの純粋存在が規定を欠くために純粋無と区別できないとしても、それだけで、他のものとの関係から独立して存在する実体が不可能だと証明されたことにはならない。

なぜなら、スピノザの実体は、単に何の規定も持たない純粋な存在として定義されているわけではないからである。

スピノザは、実体を、それ自体において存在し、それ自体によって概念されるものとして積極的に定義している。

ヘーゲルの純粋存在についての論証が、スピノザの実体概念にも適用できることを示すには、両者が同じ問題を扱っていること、そしてヘーゲルの論理的展開がスピノザの実体概念をも否定することを、別途論証しなければならない。

それを行わずに、ヘーゲルの議論だけから普遍命題を導くならば、ヘーゲルの体系をあらかじめ正しいものとして採用することになってしまう。

したがって、ヘーゲルの議論は、第一性の遡及的成立を考えるうえで強力な手がかりを与えるものの、あらゆる存在論的第一性が構造によって成立するという命題の普遍的な証明には、まだ至っていない。


第四節 ドゥルーズ――差異と関係から個体を考える

1. 同一性に先立つ差異

スピノザとヘーゲルの議論を踏まえたうえで、次にドゥルーズの思想を検討したい。

ドゥルーズの『差異と反復』では、差異を、すでに成立している二つの同一的なものの間に生じる二次的な関係として捉える見方が批判される。

通常、私たちは、まずAとBがそれぞれ独立したものとして存在し、その後にAとBの差異が成立すると考える。

しかし、ドゥルーズが追究するのは、むしろ、差異や微分的な関係が、個体や同一性の成立に先立つという考え方である。

この問題は、『差異と反復』の第四章「差異の理念的総合」において展開される多様体や微分的関係の議論と深く関わっている。

ここで重要なのは、差異がすでに成立した個体同士の比較によってのみ生じるのではない、ということである。

個体を成立済みの実体として出発点に置くのではなく、個体がどのような差異的な関係から形成されるのかを問うのである。

この発想を第一性の問題に接続すると、次の問いが生まれる。

あるものが第一のものとして成立しているとき、その第一のものは、最初から独立した同一性を持っているのだろうか。それとも、そのものが第一のものとして位置づけられる関係の体系が、そのものの同一性や位置づけに関与しているのだろうか。

ドゥルーズの思想は、後者の可能性を考えるための重要な資源になる。

2. 関係はすでに成立した項に後から加わるのか

ドゥルーズの差異の哲学が示唆するのは、関係を、すでに完成した項同士の外的な結びつきとしてのみ理解してはならないということである。

関係が単に外的なものであれば、AとBは関係以前にそれぞれ完全に成立しており、関係はそれらを後から結びつけるだけのものとなる。

しかし、差異的な関係が個体化に関与するならば、関係は個体の成立にとって構成的な意味を持つ。

この場合、個体は、関係から完全に独立してすでに成立しているものとして扱うことができない。

この考え方は、第一性の遡及的成立という構想と親和的である。

あるものが第一のものとして位置づけられる構造は、単に既成の項を並べるだけではない。その構造が、各項の差異や位置を成立させることもありうる。

ただし、ここでも注意が必要である。

ドゥルーズの差異と個体化をめぐる議論は、関係が項の成立に関与しうることを考えるうえで重要である。しかし、それをもって、あらゆる存在論的第一性が構造によって成立することが証明されたとはいえない。

ドゥルーズの議論を第一性の遡及的成立へと接続するには、個体化の問題と、存在論的な第一性の問題との間に、どのような共通性があるのかを明示する必要がある。

差異的な関係から個体が成立することと、自己完結的な存在の第一性が関係によって成立することとは、同じ命題ではない。

3. ドゥルーズから引き出せるもの

ドゥルーズの思想から引き出せるのは、少なくとも、個体や同一性を無条件の出発点として扱わず、その成立を差異的な関係から説明するという方法である。

この方法は、第一性を考える際にも有効である。

第一のものを、それ自体で完全に確定した項として置くのではなく、そのものが第一のものとして位置づけられる関係のあり方を問うことができるからである。

しかし、この方法を採用することと、あらゆる自己完結的な存在が不可能であると証明することは異なる。

ドゥルーズの議論を援用する場合にも、個体化についての主張から、存在論的第一性についての普遍命題へと飛躍してはならない。

したがって、スピノザ、ヘーゲル、ドゥルーズの三者を通して見えてくるのは、第一性を単独のものの属性として理解する見方を問い直す可能性である。

しかし、三者の思想が同じ結論を導いていると主張することはできない。

スピノザは、他のものから独立した実体を定義する。ヘーゲルは、純粋に無規定な始まりの自己展開を論じる。ドゥルーズは、差異的な関係と個体化の問題を追究する。

これらは互いに異なる哲学的課題である。

それぞれの思想から得られる示唆を接続することは可能だが、その接続を正当化する論証は、私自身の理論において提示しなければならない。


第五節 普遍命題を論証するために必要なこと

1. 第一性の規定には差異が必要である

ここまでの考察を踏まえ、第一性の遡及的成立という構想を、より厳密な形で定式化してみよう。

あるものAが第一のものであるとする。

Aが第一のものであるという命題は、少なくとも、Aが何に対して第一であるのか、どのような意味で第一なのかを明確にすることによって、その内容が確定する。

たとえば、AがBに対して存在論的に優先するという場合、AとBの間には、何らかの非対称的な関係が想定されている。

AはBを基礎づけるが、Bは同じ意味でAを基礎づけない。

このような関係があるからこそ、Aの位置をBに対して第一のものとして規定できる。

この場合、第一性は、Aという項の存在だけで完結するのではなく、AとBとの関係を通じて規定される。

ここから、次の命題が導かれる。

命題一:あるものが他のものに対して持つ存在論的優先性は、その優先性を成立させる関係構造との関係において規定される。

この命題は、第一性の遡及的成立という構想の、現時点で最も強く擁護できる部分である。

ただし、この命題が示すのは、第一性という規定の成立に関係構造が必要であるということだ。

Aの存在そのものが、Bとの関係によって成立することまでは示していない。

この点を越えるためには、別の論証が必要になる。

2. 規定の条件から存在の条件へ

ここで、普遍命題を導くために必要な推論を考えてみよう。

出発点は、第一性が何らかの規定を持つためには、差異や関係が必要であるという考え方である。

この考え方を採用するならば、第一性は、何の区別も関係もない状態では、第一性として明確に規定されない。

しかし、ここから、次の結論が導かれるだろうか。

「第一性が規定されるために構造が必要である。ゆえに、第一性そのものが存在論的に成立するためにも構造が必要である。」

この推論には、問題がある。

前提が述べているのは、第一性を規定するための条件である。ところが、結論が述べているのは、第一性そのものの存在論的な成立条件である。

両者の間には、規定可能性と存在論的成立の関係についての追加的な前提が必要になる。

あるものを特定のものとして規定するために関係が必要であったとしても、そのものの存在自体が、その関係によって成立するとは限らない。

たとえば、ある対象を他の対象と区別して認識するためには、その対象を他の対象と比較することが必要かもしれない。

しかし、その対象が存在すること自体が、私たちによる比較によって成立するわけではない。

もちろん、存在のあり方そのものが関係によって構成される場合はありうる。ドゥルーズの個体化論は、そのような可能性を考えるための重要な手がかりになる。

しかし、すべての存在が必ずそのように構成されることは、別途論証しなければならない。

したがって、第一性の規定可能性から、その存在論的成立条件へと進む推論は、現時点では完成していない。

3. 橋渡しとなる原理は何か

普遍命題を成立させるためには、次のような原理が必要になると考えられる。

原理候補:あるものの存在論的な規定は、そのものの規定可能性を成立させる関係構造から独立して成立することはできない。

この原理を採用すれば、あるものが第一のものとして存在論的に規定されることと、その規定を成立させる構造との間に、より強い結びつきを設定できる。

しかし、この原理を提示するだけでは不十分である。

なぜなら、ここでいう「存在論的な規定」が、対象についての概念的な規定を意味するのか、それとも対象の存在そのものを意味するのかが、まだ明確ではないからである。

前者の意味であれば、この原理は比較的擁護しやすい。

あるものが何であるかを明らかにするためには、そのものが他のものとどのように異なるのか、どのような関係にあるのかを明らかにする必要がある場合が多い。

しかし、後者の意味、すなわち存在そのものが関係構造から独立して成立することはできないという主張になると、これは強い形而上学的命題になる。

この命題を擁護するためには、概念的に規定されることと存在することの関係について、さらに議論する必要がある。

その議論を経ずに、規定可能性から存在論的な構造依存性を導くならば、結論を前提に含めてしまう危険がある。

つまり、あらゆる存在論的規定は構造に依存すると主張したいがために、あらゆる存在論的規定は構造に依存するという原理を採用することになってしまう。

これでは、普遍命題を独立に論証したことにはならない。

4. 自己完結的な存在という反論

ここで、スピノザの実体概念を改めて考えよう。

実体は、それ自体において存在し、それ自体によって概念される。

このような存在が可能であるとすれば、その存在は他のものとの関係に依存しない。

この反論に対して、次のように答えることはできる。

実体が他のものとの関係に依存しないとしても、実体を「第一のもの」として理解する際には、他のものとの区別や関係が必要になるのではないか。

確かに、これは有力な応答である。

しかし、この応答が示すのは、実体の第一性を規定するための条件である。実体そのものの存在が、他のものとの関係によって成立することまでは示していない。

自己完結的な存在を想定する立場は、実体の存在と、その存在について私たちが行う規定とを区別することができる。

その立場によれば、私たちが実体を第一のものとして認識するために関係構造が必要であったとしても、実体が存在すること自体は、その関係構造から独立している。

この可能性を排除するには、単に「第一性の規定には関係が必要だ」と主張するだけでは足りない。

規定の条件と存在の条件が、なぜ分離できないのかを論証しなければならない。

現時点では、その論証を完成させることができていない。

したがって、自己完結的な存在を含めた普遍命題については、未証明の問題として残さなければならない。


第六節 第一性の遡及的成立について、現時点で何がいえるのか

1. 論証できる命題

ここまでの議論から、第一性の遡及的成立について、現時点で擁護できる命題を整理しよう。

第一に、第一性には複数の意味がある。

時間的な第一性、認識上の第一性、説明上の第一性、存在論的第一性は区別されなければならない。

第二に、あるものが他のものに対して持つ存在論的優先性は、そのものの存在だけでは十分に説明できない。

その優先性がどのようなものであるかを理解するためには、そのものと他のものとの関係を明らかにする必要がある。

第三に、第一性の意味や位置は、そのものを位置づける構造との関係において規定される場合がある。

この意味で、第一性の成立を、第一のものそれ自体の内在的な性質だけに還元することはできない。

以上の点から、次の命題を本稿の暫定的な結論とする。

命題二:あるものが他のものに対して持つ存在論的第一性は、そのものの存在だけによって完結するのではなく、その優先性を成立させる関係構造との関係において規定される。

この命題は、第一性の遡及的成立という構想の中核をなすものである。

ここで「遡及的」と呼ぶのは、第一のものの存在が時間的に後から生み出されるという意味ではない。

第一のものとしての位置づけが、関係構造との関係を通じて確定するという意味である。

したがって、この命題は、第一性の意味と位置の成立についての主張であって、第一のものの存在そのものが必ず構造によって生み出されるという主張ではない。

2. まだ論証できていない命題

一方、本シリーズを通じて追究してきた、より強い命題は次のものである。

強い命題:あらゆる存在論的第一性は、例外なく、構造との関係によって遡及的に成立する。

この命題を文字どおりに受け取るならば、他のものとの関係から独立して存在するとされる自己完結的な存在についても、その第一性は構造によって成立することになる。

しかし、この命題を論証するためには、第一性の規定可能性だけでなく、その存在論的な成立そのものが構造に依存することを示さなければならない。

スピノザの実体概念は、存在論的・概念的に独立したものを想定する可能性を示している。

ヘーゲルの純粋存在の論理は、完全に無規定な始まりを特定のものとして捉えることの困難を示している。

ドゥルーズの差異と個体化の議論は、関係が個体の成立に構成的に関与する可能性を示している。

これらの議論は、強い命題を考えるための重要な手がかりになる。

しかし、いずれも単独では、自己完結的な存在を含むあらゆる第一性が、存在論的に構造によって成立することを証明するものではない。

したがって、強い命題については、現時点で論証に成功していないと結論せざるをえない。

これは、強い命題が誤りであると証明されたという意味ではない。

また、今後も論証できないと決まったわけでもない。

ただし、現時点で提示できる議論だけでは、普遍命題を正当化するための論証が不足しているということである。

3. 今後の理論的課題

強い命題を成立させるためには、少なくとも次の問題に取り組む必要がある。

第一に、存在論的な規定と、概念的な規定との関係を明確にしなければならない。

あるものを第一のものとして規定するために関係構造が必要であるとしても、そのことから、そのものの存在が構造に依存するとは限らない。

この隔たりを越えるためには、規定可能性と存在論的成立との関係について、独立した論証が必要である。

第二に、自己完結的な存在という概念を、どのように扱うかを明らかにしなければならない。

自己完結的な存在を、単に関係構造から独立したものとして想定するだけでは不十分なのか。それとも、関係構造から独立した存在という概念そのものに、何らかの矛盾が含まれているのか。

後者を主張するのであれば、その矛盾を具体的に示す必要がある。

第三に、スピノザ、ヘーゲル、ドゥルーズの議論を接続する際の原理を明確にしなければならない。

三者の思想は、それぞれ異なる問題設定と論証の方法を持っている。三者に共通する特徴を見いだすことは、普遍命題の証明にはならない。

それぞれの議論が何を証明しているのかを区別したうえで、それらを接続する推論を明示する必要がある。

これらの課題に取り組まないかぎり、第一性の遡及的成立という構想を、あらゆる存在論的第一性に適用できる普遍的な理論として提示することはできない。


結論――第一性の遡及的成立はどこまで成立したのか

本シリーズでは、第一性を、単に最初に存在するものが持つ性質としてではなく、そのものが他のものに対して占める位置や、その位置を成立させる関係構造との関係から考察してきた。

この考え方は、スピノザの実体と様態の関係、ヘーゲルの純粋存在から生成への展開、ドゥルーズの差異と個体化の議論を通じて、さまざまな形で検討することができる。

これらの思想は、第一のものを、他のものとの関係から完全に切り離して理解することの困難を明らかにするための重要な手がかりとなる。

しかし、ここまでの考察から、あらゆる自己完結的な存在を含む第一性が、例外なく構造によって成立すると結論することはできない。

第一性が規定されるための条件と、第一のものが存在論的に成立するための条件とは、区別されなければならないからである。

あるものが第一のものとして規定されるために、他のものとの関係が必要であることは、そのものの存在自体が他のものとの関係によって成立することを意味しない。

この隔たりを越えるためには、存在論的な規定と構造との関係について、さらに強い論証が必要である。

そして、現時点では、その論証を完成させることができていない。

この点を踏まえ、本シリーズの成果を次のようにまとめたい。

第一性の遡及的成立は、他のものに対する存在論的優先性としての第一性については、関係構造に基づく論証を持つ。しかし、自己完結的な存在を含むあらゆる第一性が構造によって成立するという普遍命題については、存在論的な自己完結性と構造との関係を結びつける、さらなる論証が必要であり、現時点では証明に成功していない。

この結論は、普遍命題を断念するという意味ではない。

むしろ、どこまで論証できたのかを明らかにすることで、第一性の遡及的成立という構想が、今後どのような問題に取り組む必要があるのかを明確にするものである。

私が追究してきたのは、単に、第一のものを認識する際には他のものとの関係が必要であるという主張ではない。

第一性そのものが、関係構造との関係によって成立するのではないか、という問いである。

しかし、この問いを徹底するためには、認識や概念の成立条件を分析するだけでは足りない。存在そのものの成立条件にまで踏み込む必要がある。

そのためには、第一のものが他のものから独立して存在する可能性を、あらかじめ排除するのではなく、その可能性が本当に成立するのかどうかを論証によって明らかにしなければならない。

第一性の遡及的成立という構想は、この問題に対する完成した解答ではない。

現時点では、関係的な第一性についての限定的な命題と、あらゆる第一性を対象とする普遍命題との間に、未解決の隔たりが残されている。

しかし、その隔たりを明示できたこと自体が、今回の考察の成果である。

哲学的な理論を構築するうえで重要なのは、ある命題を強く主張することだけではない。その命題がどのような根拠によって支えられているのか、どこまでが論証され、どこから先が未解決なのかを区別することでもある。

第一性の遡及的成立という構想について、現時点で私が提示できるのは、ここまでである。

このシリーズは、普遍命題の証明を完成させたという意味では、結論に到達していない。

しかし、第一性をめぐる問題を、単純な先行性の問題から、第一性の規定と存在論的成立との関係を問う問題へと展開できたという意味では、一つの区切りを迎えたと考えている。

第一のものは、何によって第一なのか。

そして、第一のものが第一であるということと、そのものが存在するということは、どこまで同じ問題なのか。

この問いを、今後も考え続けたい。

参考テクスト

  • Spinoza, Benedictus de. Ethica ordine geometrico demonstrata. 1677.(邦訳については、スピノザ全集版『エチカ』上野修訳から引用した。)
  • Hegel, Georg Wilhelm Friedrich. Wissenschaft der Logik. 1812–1816.(本質論、とりわけ「反省」§§833–859)
  • Deleuze, Gilles. Différence et répétition. Paris: Presses Universitaires de France, 1968.

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