はじめに――第一性の成立条件を論証する
これまで三回にわたって、「第一性の遡及的成立」という哲学的仮説を検討してきた。
第一回では、スピノザ、ヘーゲル、ドゥルーズの哲学に見られる「先」と「後」の関係に注目し、あるものの成立条件を明らかにすることによって、そのものの第一性や意味が遡及的に規定される可能性を提示した。
第二回では、スピノザ『エチカ』第二部定理13の備考を手がかりに、個体を構成する部分と全体との関係を考察した。あるものが一つの水準では全体でありながら、より包括的な水準では部分となることから、全体と部分の区別が、関係構造から独立した固定的な性質ではない可能性を検討した。
第三回では、認識上の遡及性と存在論的な遡及性とを区別した。あるものが第一のものとして理解される意味や根拠が、後続する諸関係を通じて明らかになるとしても、そのことから直ちに、第一性そのものが後続するものによって成立すると結論することはできないからである。
ここで、私たちは一つの根本的な問題に到達した。
あるものが第一のものとして成立するために、そのものと他のものとの関係は、単に第一性を認識するための条件なのだろうか。それとも、第一性そのものの成立条件なのだろうか。
この問題に答えなければ、「第一性の遡及的成立」は、第一性についての理解が遡及的に確定するという認識論的な仮説にとどまる。
本稿では、この問題に正面から取り組みたい。
そのために、まず「存在すること」と「第一であること」を区別し、第一性という規定が何を意味するのかを分析する。次に、ヘーゲル『大論理学』の本質論における反省の議論を取り上げ、出発点と結果、前提とその成立条件との関係を検討する。
さらに、スピノザの実体概念を、第一性の関係的成立に対する最も重要な反論として考察する。最後に、ドゥルーズの差異と個体化の哲学を参照し、第一性を固定的な同一性に還元しない存在論の可能性を探る。
本稿で目指すのは、三人の哲学者が同じ理論を主張していると示すことではない。むしろ、彼らの哲学を批判的に検討することを通じて、第一性の成立条件について独自の論証を構築することである。
本稿の中心命題は、次のように定式化できる。
第一性とは、単に存在するものに内在する性質ではなく、ある秩序において他のものに対する特定の優先的位置を占めるという規定である。したがって、その第一性が当該秩序との関係によって成立する場合、第一性はその秩序から独立して完全に確定しているのではなく、秩序を構成する関係の成立を通じて規定される。
ここでいう「遡及的成立」とは、未来の出来事が過去の存在を時間的に作り出すことではない。あるものが第一のものとして成立するための関係構造が展開されることによって、そのものの第一性が何を意味し、どのような位置を占めるのかが、構造全体との関係において確定することを意味する。
ただし、本稿では、あらゆる存在が関係によって生み出されるという主張と、第一性という規定が関係によって成立するという主張とを区別する。この区別は、理論の主張を不必要に弱めるためのものではない。むしろ、何を論証できたのかを明確にし、第一性の遡及的成立を厳密な存在論として構成するために不可欠である。
第一節 存在することと、第一であること
1.第一性は存在そのものと同一ではない
まず、第一性という概念の意味を明確にしておこう。
あるものAが存在するとする。
このとき、Aが存在するという命題と、Aが第一であるという命題とは、同じことを述べているのだろうか。
両者は区別されなければならない。
「Aが存在する」という命題は、Aの存在を主張している。それに対して「Aが第一である」という命題は、Aを何らかの秩序において優先されるものとして位置づけている。
もちろん、「第一性」には複数の意味がある。時間的に最初であること、因果的な根拠であること、論理的な前提であること、説明の出発点であることは、互いに関連しながらも同一ではない。
しかし、これらには共通する特徴がある。
いずれの場合にも、単に何かが存在するということだけではなく、他のものとの関係において、特定の意味で優先されることが問題になっている。
たとえば、ある体系の第一原理Aについて考えてみよう。
Aが体系の冒頭に置かれているという事実だけでは、Aがなぜ第一原理なのかは説明されない。Aから何が導かれるのか、他の命題はAにどのように依存しているのか、Aは体系全体の説明にどのような役割を果たしているのかを考える必要がある。
この場合、Aが存在することと、Aが当該体系の第一原理として成立することとは、異なる問題である。
Aが存在することを認めたとしても、Aが第一原理であることまでが自動的に確定するわけではない。
ここから、第一の命題を導くことができる。
命題1:あるものが存在することから、そのものが第一であることは、直ちには導かれない。
この命題は、第一性が存在そのものと同一ではなく、何らかの秩序における位置づけを含むことを示している。
2.第一性は、何に対する第一性なのか
次に、第一性という規定に含まれる関係を考えてみよう。
あるものAが第一であるとき、私たちは通常、Aが何らかの意味で他のものに先立つと考える。
しかし、ここで問題になるのは、Aが何に対して、どのような意味で先立つのかということである。
Aが時間的に先行するのか、Bの存在原因なのか、Cを説明するための前提なのかによって、Aの第一性の意味は異なる。
したがって、第一性を具体的に規定するためには、少なくとも次のことを明らかにしなければならない。
- 第一性が成立する秩序は何か。
- Aは、その秩序において何に対して優先されるのか。
- その優先性は、どのような関係によって成立するのか。
このことは、第一性という規定が、対象の内在的な性質だけでは尽くされない場合があることを意味する。
あるものが第一であるということは、そのものがどのような存在であるかだけでなく、他のものとの関係においてどのような位置を占めるかにも関わっているからである。
ただし、ここから直ちに、第一性が常に関係によって成立すると結論することはできない。
第一性を規定する関係が、単に私たちの認識に必要なだけである可能性も残されている。
したがって、次の二つを区別しなければならない。
第一に、関係がなければ、私たちはあるものの第一性を理解できないという主張である。
第二に、関係がなければ、そのものは第一のものとして成立しないという主張である。
前者は認識論的な主張であり、後者は第一性の成立条件についての存在論的な主張である。
本稿が明らかにしようとするのは、後者がどのような条件のもとで成立するのかということである。
3.関係的な規定と、存在の依存関係を区別する
ここで、さらに重要な区別を導入しておきたい。
あるものが第一のものとして成立するために、他のものとの関係を必要とすることと、そのものの存在そのものが他のものに依存することとは、同じではない。
たとえば、AがBの原因であるとしよう。
AがBの原因であるという規定には、AとBとの因果関係が含まれる。しかし、このことだけから、AがBによって存在するようになったと結論することはできない。
AはBを生み出す原因でありながら、Bの存在に依存せずに存在することも、少なくとも概念上は考えられる。
ここで重要なのは、Aの存在と、AがBの原因であるという規定とが異なるという点である。
同様に、あるものが存在論的に自立しているとしても、そのものが特定の秩序において第一のものとしてどのように規定されるかは、別の問題である。
この区別を維持すれば、第一性の遡及的成立は、あらゆる存在を関係に還元する理論である必要はない。
問題にしているのは、存在するものが関係によって初めて存在し始めるかどうかではない。
問題は、あるものが第一であるという規定が、そのものの存在だけによって成立するのか、それとも、そのものが第一であるための関係構造を必要とするのかということである。
この問いに答えるために、次にヘーゲルの反省論を検討したい。
第二節 ヘーゲル『大論理学』――出発点は、それ自身だけで出発点なのか
1.直接的なものと、その成立条件
ヘーゲル『大論理学』の本質論では、直接的なものと媒介されたものとの関係が、単純な一方向の過程としては捉えられない。
本質は、直接的に与えられたものの背後に隠れている別の対象ではない。本質を考えることは、直接的なものがどのような関係や反省の運動を通じて規定されるのかを考えることでもある。
とりわけ重要なのは、本質論の「反省」の議論である。
ヘーゲルは、反省を、ある対象について後から考察する主観的な精神活動だけに限定しない。反省は、本質の規定が成立する運動そのものとして論じられる。
『大論理学』本質論の「C. 反省」では、直接性は、反省に先立って完全に自立した出発点として存在するのではなく、反省の運動との関係において理解される。
ヘーゲルは次のように述べている。
直接性は、始まりをなしその否定へ移行するとされる第一のものでもなければ、反省を介して運動するとされる存在する基体でもない。そうではなくて、それ〔ここでの直接性〕は、この〔反省という〕運動そのものに他ならない。
(知泉書館 ヘーゲル全集 第10巻2『論理学』客観的論理学:本質論「第1章 仮象 C反省」邦訳p29)
ここで注意したいのは、ヘーゲルが単に「私たちは直接的なものを後から理解し直す」と述べているのではないという点である。
彼が問題にしているのは、直接性という規定そのものが、反省の運動から独立した固定的なものとしては捉えられないということである。
直接的なものが反省の出発点として現れる場合、その直接性がどのような意味を持つかは、反省の運動から切り離して確定できない。
ここで、第一性の問題との接続が可能になる。
あるものAが第一のものとして措定されるとする。
通常、私たちは、まずAが存在し、その後でAから他のものが導かれると考える。この場合、Aは最初から第一性を完全に備えており、その後の展開は、Aの第一性を明らかにするだけのものと見なされる。
しかし、ヘーゲルの反省論を踏まえるならば、次の問いが生じる。
Aが第一のものとして成立するための条件は、Aの措定以前に、すでに完全に確定していなければならないのだろうか。
もしAの第一性が、Aと他の諸規定との関係によって成立するのであれば、その関係をAの外側に付け加えられる単なる説明として扱うことはできない。
なぜなら、Aが第一であるという規定そのものが、その関係を成立条件として含むからである。
2.反省は、自らの前提をどのように成立させるのか
この問題をさらに深く理解するために、『大論理学』§841–843の議論に注目しよう。
ヘーゲルは、反省の運動について、その運動が出発点から離れていく過程であると同時に、その出発点へと立ち返る運動でもあると論じる。
§843では、反省の運動について、次のように述べられている。
「反省の運動は、絶対的な自己への反転として捉えられなければならない。」
(『大論理学』本質論「反省」§843、筆者訳)
ここで重要なのは、反省が出発点から結果へと進むだけではなく、その結果を通して出発点との関係が規定されるという点である。
ヘーゲルの議論では、反省が前提とする直接的なものは、反省の運動から完全に独立して成立しているわけではない。反省は、自らの前提を超えていく運動であると同時に、その前提を自らの運動のなかで措定する運動でもある。
このことを、第一性の問題に即して考えてみよう。
あるものAを出発点として、B、C、Dという諸規定が展開されるとする。
このとき、Aが第一のものであるという位置づけが、Aの存在だけによって完全に確定しているのであれば、B、C、Dの展開は、Aの第一性に何も加えることがない。
しかし、Aが第一のものとして成立するための条件に、B、C、Dとの関係が含まれているならば、事態は異なる。
B、C、Dの展開は、Aの第一性を単に発見するだけではない。それらの規定との関係を通して、Aがどのような意味で第一であるのかを具体的に確定する。
ここで、出発点Aは、展開以前から存在しているという意味では、結果に先立っているかもしれない。
しかし、Aが第一のものとしてどのように成立するのかという点では、その位置づけは、展開から独立して完全に確定しているわけではない。
この区別を、次のように表現できる。
- Aが出発点として措定されること。
- Aが第一のものとして成立する条件が確定すること。
前者は、論証や思考の開始に関わる。後者は、第一性という規定の成立に関わる。
この二つは、必ずしも同時に成立するわけではない。
したがって、あるものが思考の出発点であることから、そのものが第一性の成立条件をすべて自らのうちに備えていると結論することはできない。
3.ヘーゲルから導かれる命題
ここまでの議論を、第一性の遡及的成立に即して整理しよう。
ヘーゲルの反省論が示しているのは、少なくとも、ある規定が反省の運動によって成立する場合、その規定を反省の運動から独立した固定的な出発点として理解することには限界があるということである。
これを第一性に適用するならば、次の命題が導かれる。
命題2:あるものの第一性が、他の諸規定との関係によって成立する場合、その第一性は、それらの関係を構成する運動から独立して完全に確定しているとは言えない。
この命題は、第一性の遡及的成立を存在論的に考えるうえで重要な根拠となる。
ただし、ここで論証できたのは、第一性が関係によって成立する場合に、その第一性を関係から独立したものとして扱うことはできない、ということである。
ヘーゲルの反省論だけから、あらゆる存在論的第一性が必ず関係によって成立すると結論することはできない。
その結論を得るためには、さらに、第一性という規定そのものが、例外なく関係を必要とすることを示さなければならない。
そこで、次に第一性の遡及的成立に対する最も強い反論を検討しよう。
それは、スピノザの実体概念である。
第三節 スピノザの実体概念――関係から独立した第一性は可能なのか
1.実体は他のものによって成立するのか
スピノザの『エチカ』第一部では、神、すなわち絶対に無限な実体が、存在論的な第一原理として位置づけられている。
定義3では、実体は次のように定義される。
Per substantiam intelligo id, quod in se est, & per se concipitur.
「実体」によって私は、それ自身においてあり、かつそれ自身で考えられるもの、すなわちその概念を形成するのに他の事物の概念を必要としないもののことと解しておく。」
また、定義1では、自己原因について、その本質が存在を含むものとして定義される。
これらの定義を踏まえるなら、スピノザにおける実体は、他のものによって存在するようになるものではない。実体は、それ自体において存在し、それ自体によって理解されるものとして考えられている。
さらに、第一部定理1では、実体は本性上その変状に先立つとされる。
このように考えると、スピノザは、第一性が他のものとの関係によって成立するという考え方に対する強力な反例を提示しているように見える。
実体が他のものによって存在するのではないとすれば、実体の第一性もまた、他のものとの関係によって初めて成立するわけではないのではないか。
もし第一性の遡及的成立が、あらゆる第一性は関係によって成立すると主張するのであれば、スピノザの実体概念と正面から対立することになる。
この反論を避けてはならない。
しかし、ここで改めて、存在することと、第一であることとの区別に立ち返る必要がある。
2.実体の自立性と、第一性の成立条件
スピノザの実体は、それ自体において存在し、それ自体によって理解される。
この主張は、実体の存在と概念が、他のものに依存しないということを意味する。
しかし、ここから直ちに、「第一である」という規定そのものが、あらゆる関係から独立して成立すると結論することはできるだろうか。
ここでは、少なくとも二つの主張を区別する必要がある。
第一の主張は、実体の存在と本質が、有限な個物によって成立するのではないということである。
第二の主張は、実体が「第一のもの」であるという規定が、実体と他のものとの関係を一切必要としないということである。
この二つは同じではない。
第一の主張を認めても、第二の主張が直ちに導かれるわけではない。
なぜなら、実体が他のものによって存在するのではないことと、実体が第一であるという規定が、他のものとの関係を一切含まないこととは、異なるからである。
たとえば、スピノザの体系において、神は有限な個物の存在論的な根拠である。
このとき、神が有限な個物によって存在するようになるわけではない。しかし、神が有限な個物の存在論的な根拠であるという規定には、神と有限な個物との関係が含まれている。
ここで、神の存在が有限な個物に依存することと、神が有限な個物の根拠であるという規定が、それらとの関係を含むこととを混同してはならない。
神の存在は有限な個物に依存しないとしても、神が「有限な個物の根拠」であるという関係的な規定は、神と有限な個物との関係なしには具体的に成立しない。
この意味で、存在論的に自立したものが、ある関係において第一のものとして規定されることは可能である。
そして、このことは、第一性の遡及的成立にとって重要な意味を持つ。
第一性の成立条件が関係的であることは、その第一のものの存在そのものが、他のものに依存することを意味しない。
したがって、第一性の遡及的成立は、スピノザの実体概念をそのまま否定する必要はない。
むしろ、スピノザの実体の自立性を認めたうえで、実体の存在論的な自立性と、実体が第一のものとして規定される条件とを区別することができる。
3.スピノザの『エチカ』は、第一性の遡及的成立をどこまで支持するのか
ここで、スピノザの『エチカ』の構成を改めて考えてみよう。
第一部定義6では、神が絶対に無限な存在として定義される。
しかし、神の必然的存在は、定理11において証明される。さらに、定理15では、存在するすべてのものは神のうちにあると論じられる。
この展開は、存在論的な第一性と、説明上の順序とが必ずしも一致しないことを示している。
神が存在論的に第一であるとしても、読者が神の必然的存在を理解するためには、定義や公理、諸命題の関係を通じて論証を追う必要がある。
ただし、ここから、神の存在そのものが論証の過程によって生み出されると結論することはできない。
また、第二部定理7では、スピノザは次のように述べている。
Ordo, & connexio idearum idem est, ac ordo & connexio rerum.
「観念の秩序と連関は、事物の秩序と連関と同一である。」
この命題は、認識の秩序と存在の秩序との関係を考えるうえで重要である。
スピノザにおいて、観念の秩序と事物の秩序は、互いに独立した二つの系列ではない。
しかし、ここでも、認識の秩序と存在の秩序が同一であることから、認識上の遡及性がそのまま存在論的な遡及性を証明すると結論することはできない。
したがって、スピノザの体系が直接に証明するのは、第一性の遡及的成立という普遍的な理論ではない。
むしろ、スピノザの体系は、存在論的な自立性と、あるものが第一のものとして理解される条件とを区別する必要性を明らかにする事例として位置づけられる。
ここで、第一性の遡及的成立に対する反論は、次のように整理できる。
スピノザの実体は、他のものによって存在するのではない。したがって、実体の存在論的な自立性を否定することはできない。
しかし、実体が存在論的に自立していることと、第一性という規定が、あらゆる関係から独立して成立することとは、同じではない。
この区別によって、スピノザの実体概念を認めながら、第一性の関係的成立を考える余地が生まれる。
ただし、これだけで、あらゆる存在論的第一性が関係によって成立すると証明されたわけではない。
ここからさらに進むためには、第一性という規定そのものの意味を、より一般的な水準で分析しなければならない。
第四節 第一性は、それ自体で第一性なのか
1.第一性を関係から切り離すことはできるのか
ここまでの議論を整理しよう。
あるものが存在することと、そのものが第一であることとは異なる。
また、あるものが他のものに依存せずに存在することと、そのものが第一のものとして規定される条件が、他のものとの関係を含むこととも異なる。
では、第一性という規定そのものは、関係から独立して成立しうるのだろうか。
この問いに答えるためには、第一性という概念を、他の概念から区別して考えなければならない。
たとえば、「存在する」「自立している」「必然的である」という規定と、「第一である」という規定は、同じではない。
あるものが存在していることは、そのものが第一であることを意味しない。
あるものが自立していることも、そのものが第一であることを意味しない。
また、あるものが必然的に存在するとしても、それだけで、そのものがあらゆる意味において第一であることが証明されるわけではない。
第一性は、何らかの意味で優先されることを意味する。
そして、優先性という規定は、何に対して、どのような意味で優先されるのかという問いを含む。
したがって、第一性という規定を、そのものが存在するという事実だけに還元することはできない。
ここから、次の命題が導かれる。
命題3:第一性という規定は、存在することそのものには還元できない。
この命題は、第一性が必ずしも存在の関係的成立を意味しないことと両立する。
つまり、第一性が存在そのものとは異なる規定であるからといって、存在するものが関係によって生み出されると結論する必要はない。
しかし、第一性が存在そのものとは異なる規定である以上、その成立条件を問うことには独自の意味がある。
第一性がどのような条件のもとで成立するのかを問うことは、存在そのものの原因を問うことと同一ではないからである。
2.第一性を成立させる秩序
ここで、あるものAが第一であるという命題を考えよう。
Aが第一であるということは、Aが何らかの秩序において、他のものに対して特定の優先的位置を占めるということである。
このとき、Aが第一であることを規定するためには、その秩序がどのようなものであるかを明らかにしなければならない。
もしAが時間的に第一であるなら、時間的な順序が問題になる。
もしAが原因として第一であるなら、因果的な依存関係が問題になる。
もしAが論理的な第一原理であるなら、Aと他の命題との導出関係が問題になる。
このように、第一性の具体的な意味は、第一性が成立する秩序によって異なる。
ここで重要なのは、秩序が単なる認識のための枠組みではない場合があるという点である。
たとえば、ある哲学体系において、Aが他の諸命題の成立条件として機能しているとする。
このとき、Aが第一原理であることは、私たちがAを第一原理として認識するかどうかだけで決まるわけではない。
Aと他の諸命題との依存関係が、その体系の構成そのものに含まれているからである。
したがって、ある体系において第一性が成立する条件を問うためには、その体系を構成する関係を検討しなければならない。
この場合、関係は第一性を認識するための条件にとどまらず、その体系において第一性が成立するための条件にもなる。
3.第一性の成立条件は、第一のものの存在に先立つのか
ここで、もう一つの問題が生じる。
第一性が関係によって成立するのであれば、その関係は、第一のものに先立って存在していなければならないのだろうか。
もしそうであるなら、第一のものよりも先に、その第一性を成立させる関係が存在することになる。
この場合、第一のものは、より根本的な関係に依存することになるのではないか。
しかし、この問題は、時間的な先行と成立条件としての先行とを区別することで解決できる。
あるものの成立条件が、そのものの時間的な存在に先立っていなければならないとは限らない。
たとえば、ある全体を構成する部分が存在していたとしても、それらの部分が特定の関係を形成しなければ、当該の全体は成立しない場合がある。
このとき、部分が存在することと、部分が全体を構成する関係に入ることとは異なる。
また、その関係が成立することと、全体がその関係において成立することとも区別できる。
このことは、第一性についても同様に考えられる。
あるものAが存在しているとしても、Aが第一のものとして成立するためには、Aと他のものとの関係が特定の仕方で成立する必要がある場合がある。
この場合、Aの存在が関係に時間的に先立っていたとしても、Aの第一性がその関係から独立して成立しているとは限らない。
したがって、第一性の遡及的成立は、第一のものが時間的に後から存在するようになるという主張ではない。
問題となるのは、第一のものが存在することと、そのものが第一であるという規定が成立することとの関係である。
あるものが存在することに先立って第一性が成立している必要はない。第一性の成立条件は、そのものの存在とは異なる水準で問題となりうる。
このことによって、第一性が関係によって成立するという主張は、第一のものの存在そのものを否定することなく、成立条件の問題として展開できる。
第五節 ドゥルーズの差異と個体化――第一性を固定的な同一性に還元しないために
1.同一性に先立つ関係
ここで、ドゥルーズの『差異と反復』を取り上げたい。
ドゥルーズは、同一性を第一の原理として置き、その後で差異を考えるという哲学のあり方を批判する。
通常、私たちは、まずAとBがそれぞれ独立した同一性を持っていると考え、その後でAとBの違いを認識する。
しかし、ドゥルーズは、差異をすでに成立した同一性の間にある二次的な関係として扱うことを拒む。
『差異と反復』では、差異それ自体が、現実的な個体や同一性が成立するための条件として考えられる。
この発想を第一性の問題に適用するならば、あるものが第一であるという規定もまた、あらかじめ完成した同一性に後から付与される単なる属性として理解する必要はない。
あるものが何であるかということと、そのものが他のものとの関係においてどのように成立するかということとは、切り離せない場合がある。
ドゥルーズの議論は、第一性の遡及的成立に対して、次の問いを提起する。
第一のものは、関係に先立って完全に規定されたものなのか。それとも、第一のものが何であるかという規定自体が、関係や個体化の過程を通じて成立するのか。
この問いは、ヘーゲルの反省論と同一ではない。
ヘーゲルは、直接性と媒介、前提と反省の運動との関係を論じる。
これに対して、ドゥルーズは、同一性を第一のものとする考え方を問い直し、差異的な関係や個体化の過程から、現実的な個体の成立を考える。
両者の違いを維持したうえで、第一性の問題に共通する論点を抽出することが重要である。
それは、あるものが第一のものとして規定されるための条件を、そのものにあらかじめ備わった固定的な性質だけに求めてよいのかという問題である。
2.個体化と第一性の関係
ドゥルーズの個体化の議論を、もう少し具体的に考えてみよう。
ある個体Aが成立しているとする。
Aは、あらかじめ完成した同一性を持ち、その後で他のものとの関係を結ぶだけのものではない。Aがどのような個体として成立するかは、それを生み出す差異的な関係や個体化の過程に関わっている。
このことは、第一性についても示唆的である。
あるものが第一のものとして成立するために、他のものとの関係が不可欠であるならば、その第一性は、そのものの存在に付随する単純な属性ではない。
第一性は、そのものがどのような関係に置かれ、どのような秩序のなかで機能するかによって規定される。
ここで、第一性を成立させる関係は、単に第一性を認識するための条件ではない。
その関係がなければ、当該のものは、その構造において第一のものとして成立しないからである。
ただし、ドゥルーズの差異の哲学から、第一性の遡及的成立がそのまま証明されるわけではない。
ドゥルーズが論じる差異や個体化の問題と、第一性の成立条件の問題とは、区別されなければならない。
ドゥルーズの議論が与えるのは、第一性をあらかじめ完成した同一性に還元しないための理論的な手がかりである。
そして、その手がかりを第一性の問題へと接続することによって、第一性の成立条件を関係や構造から考える可能性が開かれる。
第六節 第一性の遡及的成立の論証
1.これまでの議論から何が導かれるのか
ここまで、第一性の遡及的成立を、ヘーゲル、スピノザ、ドゥルーズの哲学を手がかりに検討してきた。
その結果、次の点が明らかになった。
第一に、あるものが存在することと、そのものが第一であることとは異なる。
第二に、あるものが他のものに依存せずに存在することと、そのものが第一のものとして成立するための条件が、他のものとの関係を含むこととは異なる。
第三に、ヘーゲルの反省論は、ある規定が反省の運動によって成立する場合、その規定を運動から独立した固定的な出発点として理解することには限界があることを示している。
第四に、スピノザの実体概念は、存在論的な自立性と第一性の成立条件とを区別する必要性を明らかにする。
第五に、ドゥルーズの差異と個体化の議論は、あるものの同一性や規定を、あらかじめ完成したものとして前提することを問い直す。
これらの考察を踏まえると、第一性の遡及的成立を、単なる認識論的な仮説にとどめる必要はない。
第一性という規定が、特定の構造における位置によって成立する場合、その成立条件を構造との関係に求めることができるからである。
ここで、論証を明確にするために、第一性の遡及的成立を次のように定式化しよう。
2.第一性の遡及的成立――命題と論証
定義1:第一性
第一性とは、あるものが特定の秩序において、他のものに対して特定の意味で優先されるという規定である。
この定義は、時間的な先行性、因果的な優先性、論理的な優先性、説明上の優先性を区別したうえで、それらに共通する構造を抽出するものである。
定義2:構造的成立
ある規定が構造的に成立するとは、その規定が対象の内在的な性質だけでは決まらず、他の規定との関係や、それらを組織する秩序を成立条件として含むことを意味する。
定義3:遡及的成立
ある規定が遡及的に成立するとは、その規定の成立条件を含む関係構造が展開されることによって、その規定の意味や位置が、構造全体との関係において確定することを意味する。
以上の定義に基づき、次の命題を提示する。
命題4:あるものが特定の構造において第一のものとして成立するための条件に、他のものとの関係が不可欠に含まれるならば、その第一性は、当該構造から独立して完全に確定しているのではなく、構造を構成する関係の成立を通じて規定される。
証明:
あるものAが、構造Sにおいて第一のものとして成立すると仮定する。
Aの第一性が、Aの内在的な性質だけによって完全に決まるのであれば、Sに含まれる他のものとの関係は、Aが第一であることの成立条件ではない。
しかし、ここでは、Aが第一のものとして成立するための条件に、他のものとの関係が不可欠に含まれると仮定している。
したがって、Aが第一であるという規定は、Aの内在的な性質だけでは尽くされない。
Aが第一であることは、Aと他のものとの関係が、構造Sにおいて特定の仕方で成立することを必要とする。
ゆえに、Aの第一性は、構造Sから独立して完全に確定しているのではなく、Sを構成する関係を成立条件として含む。
さらに、その関係が構造Sの展開を通じて具体的に確定するならば、Aが第一であることの意味と位置もまた、その展開を通じて確定する。
したがって、Aの第一性は、構造の展開を通じて遡及的に規定される。
以上によって、命題4が示された。
3.この論証が意味すること
ここで、論証の意味を確認しておきたい。
この論証は、第一性が関係によって成立するという主張を、無条件に前提としているわけではない。
重要なのは、第一性が成立する条件に、他のものとの関係が不可欠に含まれる場合を考えていることである。
この条件のもとでは、関係を第一性の成立条件から取り除くことはできない。
関係を取り除いたとしてもAが存在し続ける可能性はある。しかし、その場合、Aが当該の構造において第一のものとして成立するための条件は失われる。
したがって、Aの存在が関係に依存することと、Aの第一性が関係に依存することとは、区別されなければならない。
この区別によって、第一性の遡及的成立は、あらゆる存在を関係に還元する理論ではなく、第一性という規定の成立条件を問う存在論的な理論として構成される。
ここで、最も重要な点を改めて強調したい。
第一性の遡及的成立とは、第一のものの存在が後から生み出されることではなく、そのものが第一であるという規定が、第一性を成立させる関係構造を通じて確定することである。
この意味で、第一性は、単に存在するものに付随する属性ではない。
第一性は、あるものが特定の秩序において占める位置と、その位置を成立させる関係によって規定される。
そして、その関係が構造の展開を通じて具体的に確定する場合、第一性は遡及的に成立する。
第七節 反論と応答――この論証は循環していないか
1.第一性が関係的であることを、前提にしているのではないか
ここまでの論証に対して、次の反論が考えられる。
第一性が関係によって成立する場合、その第一性が関係によって成立すると結論するのは、単なる同語反復ではないか。
つまり、第一性が関係的に成立するということを前提としているのであれば、そこから第一性が関係的に成立すると結論しても、何も新しいことは示されていないのではないか。
この反論には、一定の妥当性がある。
実際、命題4は、第一性が関係によって成立する場合に、その第一性が構造から独立して完全に確定しているわけではないことを示している。
命題4だけで、あらゆる第一性が関係的に成立すると証明したことにはならない。
しかし、このことは、命題4が無意味であることを意味しない。
命題4の役割は、第一性が関係的に成立する場合に、どのような帰結が生じるかを明確にすることである。
そして、第一性の遡及的成立を普遍的な存在論へと展開するためには、さらに、第一性という規定そのものが、関係を必要とすることを論証しなければならない。
ここで、私たちは再び、第一性という概念の分析に立ち返る必要がある。
2.関係から独立した第一性は、概念として成立するのか
あるものが、あらゆる関係から独立して存在すると仮定しよう。
そのものは、他のものに依存せず、自立して存在している。
この場合、そのものが存在することは認められるかもしれない。
しかし、そのものが「第一である」という規定も、あらゆる関係から独立して成立するのだろうか。
ここで、二つの可能性を考えられる。
第一の可能性は、第一性を、他のものとの関係を必要としない内在的な性質として理解することである。
この立場では、あるものは、それ自体の本性によって第一である。
しかし、この場合、第一性は「存在すること」「自立していること」「必然的であること」とどのように区別されるのだろうか。
もし第一性が、それらの規定とは異なる独自の意味を持つのであれば、その意味を明らかにする必要がある。
第二の可能性は、第一性を、ある秩序において他のものに対して優先されるという関係的な規定として理解することである。
この立場では、第一性は、単に存在することとは異なる。第一性は、あるものが他のものに対してどのような位置を占めるのかということを含んでいる。
この場合、第一性は、他のものとの関係を一切含まずに成立することはできない。
なぜなら、何に対して、どのような意味で第一であるのかという規定が、第一性の意味に含まれているからである。
ここで重要なのは、第一性を関係的な規定として理解することが、単に便宜的な定義ではないという点である。
第一性を、存在することや自立していることと区別して考えるならば、第一性には、ある秩序における優先性という意味が含まれている。
この意味を維持するかぎり、第一性は、何らかの秩序との関係から完全に独立した規定としては理解できない。
3.普遍的な第一性について、どこまで結論できるのか
ここで、結論を明確にしておきたい。
本稿の議論から、少なくとも次のことは導かれる。
第一性が、ある秩序において他のものに対する優先性を意味するのであれば、第一性という規定は、存在することそのものには還元できない。
また、第一性が特定の構造における位置によって成立する場合、その位置を規定する関係は、第一性の成立条件に含まれる。
したがって、そのような第一性は、構造から独立して完全に確定しているのではなく、構造の展開を通じて遡及的に規定される。
この結論は、単なる認識上の変化について述べたものではない。
第一性を成立させる関係が、その第一性の規定そのものに含まれる場合、関係は第一性の成立条件となるからである。
ただし、ここで注意しなければならないことがある。
第一性という規定が関係的であることと、あらゆる存在論的第一性が、例外なく構造によって成立することとは、同じではない。
存在論的に自立したものが存在する可能性を、これだけで否定することはできない。
また、第一性を関係的な規定として理解することが、すべての哲学的な意味での第一性に適用できるかどうかについては、さらに検討が必要である。
しかし、このことは、第一性の遡及的成立が単なる認識論にとどまることを意味しない。
本稿では、第一性が特定の構造における位置によって成立する場合、その第一性の成立条件が関係構造に含まれることを論証した。
そして、このことによって、第一性の遡及的成立を、存在論的な理論として構成するための論理的な基礎を示した。
結論――第一性は、関係から独立して成立するのか
本稿では、「第一性の遡及的成立」を存在論的な理論として構成するために、第一性という概念の意味を分析し、ヘーゲル、スピノザ、ドゥルーズの哲学を批判的に検討した。
まず、あるものが存在することと、そのものが第一であることとは異なることを確認した。
第一性とは、単に存在することではなく、ある秩序において他のものに対して特定の意味で優先されるという規定である。
このことから、第一性という規定を、存在することそのものに還元することはできない。
次に、ヘーゲル『大論理学』の反省論を検討した。
ヘーゲルの議論では、直接的なものは、反省の運動から独立した固定的な出発点として理解されるのではなく、反省の運動との関係において規定される。
この議論を第一性の問題に適用することによって、あるものが第一のものとして成立するための条件が、そのものと他のものとの関係に含まれる場合、その第一性は、関係構造から独立して完全に確定しているとは言えないことを示した。
さらに、スピノザの実体概念を検討し、存在論的な自立性と、第一性という規定の成立条件とを区別した。
実体が他のものによって存在するのではないとしても、実体が第一のものとして規定される条件が、あらゆる意味で関係から独立しているとは限らない。
この区別によって、第一性の遡及的成立は、存在そのものを関係に還元する理論ではなく、第一性という規定の成立条件を問う理論として展開できることを示した。
また、ドゥルーズの差異と個体化の議論を参照し、あるものの同一性や規定を、あらかじめ完成したものとして前提する考え方を問い直した。
これらの考察を通じて、本稿では次の命題を提示した。
あるものが特定の構造において第一のものとして成立するための条件に、他のものとの関係が不可欠に含まれるならば、その第一性は、当該構造から独立して完全に確定しているのではなく、構造を構成する関係の成立を通じて規定される。
この命題が示すのは、第一性の遡及的成立が、単に第一性についての理解が後から変化するという認識論的な仮説にとどまらないということである。
第一性を成立させる関係が、その第一性の規定そのものに含まれる場合、関係は第一性の認識条件にとどまらず、その成立条件となる。
そして、その関係が構造の展開を通じて具体的に確定するならば、第一性もまた、その展開を通じて遡及的に規定される。
ここで、最初に提示した問いに戻ろう。
第一性は、関係や構造から独立して成立するのだろうか。
本稿の結論は、第一性という規定が、あらゆる意味で関係から独立して成立するとは考えられない、というものである。
ただし、これは、存在論的に自立したものが存在しないという主張ではない。
存在することと第一であることとは異なる。そして、存在論的に自立していることと、第一性という規定が関係から独立していることとも異なる。
この区別を維持するならば、存在論的に自立したものが存在する可能性を認めながら、そのものが第一のものとして規定される条件を、関係や構造との関係において考えることができる。
したがって、第一性の遡及的成立とは、存在するものが後から作り出されるという理論ではない。
それは、あるものが第一のものとして成立するための条件を、そのものの内在的な性質だけに求めず、そのものと他のものとの関係、そしてそれらを組織する構造に求める存在論的理論である。
さらに、その構造が展開されることによって、第一のものが何であり、なぜ第一であるのかが具体的に確定する。
この意味で、第一性は、構造の展開から独立して完全に確定しているのではなく、構造の展開を通じて遡及的に規定される。
これが、本稿で提示した「第一性の遡及的成立」の中心的な主張である。
もちろん、あらゆる存在論的第一性が例外なく構造によって成立すると証明されたわけではない。しかし、第一性を存在そのものと同一視せず、その成立条件を関係構造から考えることによって、第一性の遡及的成立は、独自の存在論的理論として構成できることを示した。
今後、さらに検討すべきなのは、この理論を、特定の構造における第一性だけでなく、存在論的な第一性一般へとどこまで拡張できるかという問題である。
しかし、その問題を検討するためにも、まずは第一性という規定そのものが何を意味するのかを明確にする必要があった。
本稿では、そのための概念的な区別と論証を提示した。
第一性を、すでに完成したものに内在する単純な性質としてではなく、関係構造との関係において成立する規定として捉えること。
そして、その成立条件を含む構造の展開を通じて、第一性が遡及的に規定されると考えること。
これが、「第一性の遡及的成立」を存在論的な理論として展開するための、現時点での私の立場である。
参考文献
参考テクスト
- Spinoza, Benedictus de. Ethica ordine geometrico demonstrata. 1677.(特に第一部定義1・3・6、定理1・7・11・15、第二部定理7・13)
- 邦訳については、スピノザ全集版『エチカ』上野修訳から引用した。
- Hegel, Georg Wilhelm Friedrich. Wissenschaft der Logik. 1812–1816.(本質論、とりわけ「反省」§§833–859)
- Deleuze, Gilles. Différence et répétition. Paris: Presses Universitaires de France, 1968.
関連する研究上の論点
本稿では、上記の一次文献を、第一性の遡及的成立という問題に即して再構成した。各哲学者が本稿と同一の理論を主張していると見なすのではなく、それぞれの哲学における実体、反省、差異、個体化の概念を比較することによって、第一性の成立条件について独自の論証を試みた。
なお、本稿における「第一性の遡及的成立」は、スピノザ、ヘーゲル、ドゥルーズのいずれかの学説をそのまま言い換えたものではない。これらの哲学を批判的に参照しながら、第一性という規定の成立条件を問うために、本稿で独自に定式化した理論である。







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