はじめに――普遍命題をさらに強固にするために
「第一性の遡及的成立」という哲学理論を普遍命題として確立するためには、これまで残されていた二つの難問を解決しなければならなかった。
第一に、ヘーゲルの論理学におけるカテゴリーの展開は、思考のカテゴリーの展開にすぎないのか。それとも存在そのものの構造を明らかにしているのか。
第二に、あるものの個体性は、内在的な差異や関係によって成立する必要があるのか。それとも、それ以上の説明を必要としない原始的な個体性として存在できるのか。
二つ目の問題には、中世のドゥンス・スコトゥスの個体性論(haecceitas)や、現代形而上学の原始的個体本質論が関係する。
これまでの考察では、あらゆる自己完結的な存在が例外なく構造によって成立するという命題を目指してきた。
しかし、この命題を確立するためには、ヘーゲルの論理学を単に援用するだけでは不十分である。ヘーゲルの論理学そのものが存在論として妥当する理由を示し、さらに、その論理学を採用しない哲学的立場からの反論にも応答しなければならない。
今回の考察では、これらの問題を徹底的に検討する。
そして、これまでの議論をさらに精密化するために、一つの重要な区別を導入する。
それは、存在者の自己成立を説明する内在的構造と、その存在者が第一のものとして成立することを説明する関係的構造との区別である。
この二つを区別することによって、原始的個体性を認める立場であっても、第一性の構造的成立を否定できないことを示したい。
本稿の中心的な課題は、次の命題を証明することにある。
あらゆる第一性は、それが成立する対象領域と優先関係を含む構造によって規定され、その構造の確定において遡及的に成立する。
さらに、個体化根拠の原理とヘーゲル的な存在論を採用することによって、あらゆる規定された存在者の構造的成立についても論証することを目指す。
第一章 これまでの論証を修正する――カテゴリーの展開と存在の構造
最初に、これまでの論証の重要な部分を修正しておきたい。
これまでの議論では、ヘーゲルの「純粋有→純粋無→生成→定在→向自存在→一と多」という展開を、そのままあらゆる存在者の実際の存在構造を証明するものとして扱ってきた。
しかし、厳密には、この推論には二つの問題がある。
1.カテゴリーの必然的展開と、実在の構造は同じではない
ヘーゲルが『大論理学』で展開しているのは、論理的カテゴリーの内在的な必然性である。
例えば、純粋有から純粋無への移行は、無規定な有というカテゴリーが、その無規定性によって無との差異を保持できないという問題から生じる。
これは、純粋有というカテゴリーの内的な問題である。
しかし、そこから直ちに、現実に存在するあらゆる個体が、有と無の契機を内部に持っているという存在論的命題が導かれるわけではない。
カテゴリーの展開から現実の存在構造への移行には、論理と思考の客観的妥当性を示す別の論証が必要になる。
この点について、2023年に公刊されたRobb Dunphyの論文「The Beginning of Hegel’s Logic」は、純粋有・純粋無・生成の議論を単なる弁証法の例示として理解するのではなく、後続するカテゴリーの展開を可能にする論理的移行として理解する必要があると論じている。
つまり、ヘーゲルの議論を正確に理解するためにも、そのカテゴリー展開が現実の存在に対してどのような妥当性を持つかを別途確認する必要がある。
2.一と多の論理も、単純な存在者の生成論ではない
もう一つ重要なのは、ヘーゲルの『大論理学』「有論」第三章「向自存在」における一と多の分析である。
これまでの議論では、一が自己自身の否定性によって多を生み出すことを、自己完結的な存在の内部に複数の契機が存在する証明として扱ってきた。
しかし、実際のテクストでは、もう少し複雑な展開になっている。
まず第332節では、一は自己自身において単純なものとして規定される。
さらに第334節では、直接的な一において、媒介や差異、多様性が消失していると説明される。
一方、第333節では、一は自己関係的な否定であるため、それ自身のうちに差異を持つとされる。
つまり、一には単純な直接性と自己関係的な否定性という二つの側面がある。
この矛盾を通じて、一と多の関係が展開される。
特に重要なのは第349節と第367節の関係である。
第349節では、多くの一が反発によって生み出されたのではなく、反発に先立ってすでに存在しているかのように現れる。
しかし、第367節では、多くの一が存在するということ自体が反発であると説明される。
さらに第369節では、
Das Eins als solches ist ein Herausgehen aus sich, ist nur das Setzen seiner als seines Anderen, als Vielen.
一は、それ自身として自己から出ていくことであり、自己自身をその他者として、すなわち多として措定することにほかならない。
という趣旨が示される。
そして第370節では、一はもはや始まりを持つ直接的存在としてではなく、媒介の過程そのものとして成立すると総括される。
したがって、ヘーゲルが示しているのは、ある単独の存在者が時間的・因果的に複数の存在者を生み出すということではない。
一と多が、それぞれを独立したものとして固定すると、その自己規定が不可能になるため、両者は相互媒介の過程として理解されなければならない。
この読み方の方が、今回の理論にとってはむしろ有効である。
なぜなら、「第一性の遡及的成立」もまた、第一のものが他のものを時間的に発生させるという理論ではなく、第一のものとそれによって規定されるものとの関係を含む構造において、第一性そのものが確定するという理論だからである。
この修正によって、ヘーゲルから借り受けるべきものが明確になる。
それは、すべての存在者に複数の物理的な部分があるという命題ではない。
自己同一性を、自己自身から独立した孤立的な直接性として理解することはできず、規定性と媒介を含むものとして理解しなければならないという論理である。
第二章 ヘーゲルの論理学は存在論として正当化できるのか
ここが第一の大きな課題である。
ヘーゲルの論理学が、単に思考の形式を分析するものならば、そのカテゴリー展開だけで存在者の構造を論証することはできない。
したがって、ヘーゲルの論理学がどのような意味で存在論であるのかを明らかにしなければならない。
1.ヘーゲル自身は論理と思考と存在をどのように捉えているか
まず、『大論理学』の序論を確認しよう。
ヘーゲルは、論理学について次のように述べている。
die absolute Wahrheit des Seins ist der erkannte Begriff
「存在の絶対的真理は、認識された概念である。」
これは『大論理学』序論第52節の議論に対応する。
その前提として、ヘーゲルは、純粋学が主観と客観との対立を超えた地点から成立すると考えている。
第53節では、純粋学の内容を「客観的思考(das objektive Denken)」として説明する。
さらに第85節では、客観的論理学が従来の形而上学に取って代わると述べ、その対象を明確に存在論として位置づけている。
objektive Logik […] zuerst und unmittelbar Ontologie
客観的論理学は、第一に、そして直接的に存在論である。
これは非常に重要である。
ヘーゲルにとって、論理学は単に人間が対象について考えるための主観的な規則を扱う学問ではない。
論理的カテゴリーは、存在そのものの本質的な規定を扱う。
つまり、ヘーゲルの体系では、思考のカテゴリーと存在のカテゴリーは、外部から偶然に対応させられる二つのものではない。
両者の区別そのものが、絶対知において克服される。
しかし、これだけではヘーゲルの立場を紹介したにすぎない。
問題は、なぜその主張が正当化できるのかである。
2.『精神現象学』による論理学の正当化
ここで重要になるのが『精神現象学』である。
ヘーゲルは『大論理学』序論第51節において、純粋学の概念とその演繹は、『精神現象学』において前提されていると述べる。
『精神現象学』が純粋学の演繹そのものだというのである。
これは、論理学のカテゴリーが、最初から主観によって恣意的に設定されるわけではないことを意味する。
『精神現象学』では、意識が対象を認識する際のさまざまな立場が検討され、それぞれの立場が自らの真理基準に従って対象を理解しようとする。
しかし、その立場は、自身が前提としていた対象理解と、自身の認識との関係を維持できなくなる。
その結果、意識の立場そのものが変化する。
この運動を通じて、主観と客観が完全に独立した二つの領域として存在するという前提が問題化される。
そして絶対知において、知の確実性と対象の真理との分離が克服される。
この論理から考えれば、存在について考える際に用いるカテゴリーは、単なる主観的な道具ではない。
対象そのものが何であるかを理解するための規定性である。
ここで、ヘーゲルの論理学を存在論として採用するための根拠が得られる。
存在の規定を正しく理解することと、その存在の概念的な規定を理解することは、絶対的な水準では切り離せない。
ただし、この結論は、『精神現象学』における絶対知への展開が正当化されることを前提としている。
そこを認めない立場に対しては、ヘーゲルの存在論はそのまま通用しない。
したがって、これは単なる形式論理から導かれる証明ではなく、ヘーゲルの絶対的観念論を前提とする、存在論的な認識の理論である。
3.現代のヘーゲル研究における論争
この問題は現代のヘーゲル研究でも決着していない。
代表的な立場は、次の二つである。
| 立場 | 基本的な解釈 |
|---|---|
| Stephen Houlgateの論理=存在論的解釈 | 論理カテゴリーの展開は、存在そのものが自己の規定性を展開する過程でもある |
| Robert Pippinらの論理=形而上学的解釈 | 論理カテゴリーは、何かが存在するということが理解可能であるための根本的条件を展開する |
両者は異なるが、いずれもヘーゲルの論理学を単なる形式論理として扱っていない。
特にJensen Sutherの2023年の論文「Hegel’s Metaphysics of Rational Life: Overcoming the Pippin-Houlgate Dispute」は、この論争を詳しく検討している。
Sutherは、Houlgateの存在論的解釈がカテゴリーの客観的妥当性を十分に基礎づけられないという問題を指摘する一方、PippinやRödlに関連する形而上学的解釈には、思考する主体そのものの存在論をさらに明らかにする必要があると論じている。
この論争から、今回の理論にとって重要な教訓が得られる。
ヘーゲルの論理学を使って存在論的な普遍命題を論証する場合、論理カテゴリーの展開が存在そのものに対してどのような妥当性を持つのかを明示しなければならない。
ここを曖昧にしてはいけない。
4.今回の理論では、どちらの解釈を採用すべきか
私は「第一性の遡及的成立」を強固にするためには、Houlgateの存在論的解釈をそのまま採用するよりも、Pippin的な形而上学的解釈を足場にしながら、存在の規定性にまで踏み込む方法が有効だと考える。
理由は次のとおりである。
論理学のカテゴリーが存在そのものの構造を直接記述しているとだけ主張すると、なぜそのカテゴリーが現実に適用できるのかという疑問に対して、ヘーゲルの体系を受け入れよという回答になりやすい。
これに対して、まず「あるものが存在者として理解可能であるためには何が必要か」という問いから始めれば、ヘーゲルの論理学が示す規定性・否定性・媒介の必然性を、認識論的な条件と存在論的な条件の接点から論証できる。
つまり、次のような順序である。
- あるものを存在者として理解するためには、何らかの規定性が必要である。
- 規定性は、単なる無規定な直接性とは異なる。
- その規定性を成立させるものは、他者との差異や自己との関係を含む。
- その差異と関係が存在者そのものに属するならば、それは単なる認識条件ではなく、存在者の成立条件でもある。
ここで第4段階を正当化するのが、絶対的観念論の立場である。
したがって、今回の理論では、次のような立場を採用することができる。
存在の規定性は、単なる主観的認識の形式ではなく、存在者が存在者として成立するための客観的な規定性である。
ただし、これはヘーゲルの論理学に依拠する形而上学的な前提であり、あらゆる形而上学的立場から独立した無前提の証明ではない。
この点を明示することで、ヘーゲルの論理学の存在論的妥当性をめぐる論争を無視せずに、理論を構築できる。
第三章 原始的個体性は本当に構造を必要としないのか
次に、今回のもう一つの難問を検討する。
こちらは、ヘーゲルの論理学の存在論的妥当性とは独立して、現代形而上学でも問題になる。
それは、あるものが他のものとの関係によって個体化される必要はなく、それ自身がそれ以上還元できない個体性を持つという立場である。
この問題を検討するには、少なくとも三つの立場を区別しなければならない。
1.裸の個体と基体説
まず、裸の個体(bare particular)という考え方がある。
これは、個体が持つ性質をすべて取り除いたとしても、その性質を担うだけの個体的な基体が残るという考え方である。
例えば、ある物体が赤い、丸い、重い、ある場所に存在するといった性質を持っているとしよう。
それらの性質をすべて取り除いたとき、それでもなお、その物体をその物体として成立させる裸の基体が存在すると考える。
この立場では、個体性は性質の集合や関係のネットワークに還元されない。
しかし、ここには問題がある。
その基体が他の基体と異なる理由は何なのか。
もし、それがいかなる性質も規定性も持たないならば、二つの基体を区別する根拠が存在しない。
したがって、裸の個体を認める立場は、個体性そのものを原始的な事実として認める方向に進む。
ここで、ライプニッツ的な同一者不可識別の原理だけから、すべての個体性を構造に還元することはできないという問題が生じる。
2.ドゥンス・スコトゥスのこのもの性(Haecceitas)
ここで、ドゥンス・スコトゥスの個体性論が重要になる。
スコトゥスは、個体が個体であることを、共通本性(natura communis)だけでは説明できないと考えた。
例えば、人間という本性は、複数の個人に共通する。
しかし、人間という本性だけでは、なぜこの人が他の人ではなく、この人であるのかを説明できない。
そこで導入されるのが、このもの性(haecceitas)である。
これは、あるものを他のものとは異なる特定の個体にする非質的な個体差である。
スコトゥスの問題設定は、個体が単に種の中の一つであるという数的な単一性ではなく、なぜその個体がまさにこの個体であるのかということに向けられている。
彼は『オルディナティオ』第二巻第3区分において、個体化の根拠を、そのものの近接的かつ内在的な基礎として問う。
ここで重要なのは、スコトゥスのこのもの性が、単なる裸の基体ではないということだ。
このもの性は、個体の内部に属する形而上学的な構成契機として理解される。
スコトゥスの理論では、共通本性とこのもの性は、個体を成立させる異なる契機である。
したがって、スコトゥスは、個体性を単なる外的関係に還元しない一方で、個体を完全に無構造なものとして捉えているわけでもない。
この点から、スコトゥスは今回の理論にとって、単なる反対者ではなく、むしろ重要な協力者になりうる。
なぜなら、彼は、質的な性質や外的な関係に還元できない個体性を認めながら、それでも個体性の存在論的な基礎を問うているからである。
つまり、個体性が原始的であることと、個体性の成立に何らかの構成契機があることは、必ずしも矛盾しない。
ここから、次の区別が導かれる。
還元不可能な個体性と、構造を持たない個体性は、同じではない。
ある個体化の契機がそれ以上還元できないものであったとしても、それが個体の成立において一つの構成的な役割を持つならば、それは構造の一契機として理解できる。
3.現代の原始的このもの性――ロバート・アダムズの反論
しかし、これだけではまだ十分ではない。
現代形而上学には、スコトゥスのこのもの性をさらに進め、個体の同一性そのものを原始的なものとして認める立場がある。
その代表的な議論が、ロバート・メリヒュー・アダムズの1979年の論文「Primitive Thisness and Primitive Identity」である。
アダムズは、個体のこのもの性を、特定の個体と同一であるという性質として考える。
彼自身の説明によれば、私のこのもの性とは、単に何らかの個体と同一であるという一般的な性質ではない。
私という特定の個体と同一であるという、私だけに属する非質的な性質である。
ここで重要なのは、アダムズが、このもの性を必ずしも個体の構成要素として扱っていないという点だ。
彼は、スコトゥスのように性質がその担い手の構成要素であるという立場を採用しなくても、原始的なこのもの性を認めることができると考えている。
これは今回の理論にとって本当に厳しい反論である。
なぜなら、個体の同一性が、内在的な関係や構造によって成立するのではなく、還元不可能な個体的本質によって成立する可能性を認めているからだ。
この立場を認めれば、次のような存在者を想定できる。
- その存在者は他のものに依存しない。
- その存在者の個体性は他のものとの関係によって成立しない。
- その存在者の個体性は、それ以上分析できない原始的なこのもの性である。
- その個体性を構成する複数の契機を仮定する必要もない。
この場合、従来の「すべての個体性は内在的な差異と関係の構造によって成立する」という主張には、明らかな反例の可能性が残る。
したがって、ここで一つの問いに答えなければならない。
原始的なこのもの性を認める立場は、「第一性の遡及的成立」を反証することになるのだろうか。
この問題は、二つに分けて考えるべきである。
第一に、それは存在者そのものの構造的成立という命題に対する反論になりうる。
第二に、それが第一のものであるという規定もまた原始的であることを意味するわけではない。
この区別が、今回の突破口になる。
4.マックス・ブラックの二つの球体
ここで、ライプニッツの同一者不可識別の原理をめぐるマックス・ブラックの反例も考えておきたい。
ブラックは、宇宙に完全に同一の性質を持つ二つの鉄球だけが存在する世界を想定する。
両者は、質量、温度、色、形状などの質的性質をすべて共有し、互いに対する関係についても対称的である。
このような世界が可能ならば、質的な性質や関係の違いがなくても、数的に異なる二つの個体が存在できることになる。
これは、ライプニッツの同一者不可識別の原理に対する著名な反例である。
この反例を受け入れれば、次の命題は一般的には維持できない。
「数的に異なる二つの存在者は、必ず質的または関係的な差異を持つ。」
したがって、本理論は同一者不可識別の原理を普遍命題の基礎にしてはならない。
ここは重要な修正点である。
しかし、ブラックの二つの球体が認められたとしても、それによって第一性の遡及的成立が否定されるわけではない。
二つの球体が数的に異なることと、どちらか一方が何らかの存在論的秩序において第一であることは別の問題だからである。
仮に二つの球体が完全に対称的であるならば、そもそもその構造において一方だけが第一であるという非対称的な関係は成立していない。
一方が第一であるためには、少なくともその一方を他方に対して先行させる非対称的な関係が必要になる。
そして、その関係は、二つの球体のどちらか一方の内部に備わっている質的性質だけではなく、両者の関係を含む構造によって規定される。
つまり、原始的な個体性を認めることは、第一性の構造的成立を否定しない。
個体性の原始性は、第一性の原始性を意味しない。
この区別こそ、今回の論証にとって最も重要なものになる。
第四章 原始的個体性に対する最終的な応答
ここまでの議論を踏まえると、原始的個体性に対しては、三段階の応答が可能になる。
1.スコトゥスのこのもの性は、構造を否定しない
スコトゥスのこのもの性は、非質的で還元不可能な個体化の契機である。
しかし、それは個体の成立を説明する内在的な契機として考えられている。
したがって、これを本理論における最小限の内在的構成と理解することは可能である。
本理論は、存在者を必ず質的な部分の集合として理解する必要はない。
必要なのは、その存在者がそれ自身として成立するための何らかの存在論的な規定契機である。
2.原始的な個体性を認めても、第一性は原始的にならない
アダムズのように、個体の同一性を原始的なこのもの性に基礎づけたとしても、その個体が何らかの構造のなかで第一であるという規定は別に説明しなければならない。
例えば、Aが原始的な個体性を持って存在していたとしても、AがBの存在根拠であるという事実は、AとBとの存在論的な関係を必要とする。
したがって、Aの個体性が原始的であることから、Aの第一性も原始的であるという結論は導けない。
3.説明不能な原始的個体性を認める立場には、別の原理が必要になる
それでも、アダムズのように、個体性そのものを原始的な事実として認める立場を完全に否定することはできない。
この立場は、あらゆる個体性に説明可能な存在論的基礎が必要であるという前提を拒否できるからだ。
この問題については、説明理由の原理(Principle of Sufficient Reason)を検討する必要がある。
例えば、デラ・ロッカは、識別不能な二つの存在者の非同一性を原始的な事実として認めることは、その差異に何の説明も与えないという問題を指摘し、十分理由律に訴えて同一者不可識別の原理を擁護している。
しかし、十分理由律を採用しない立場を、形式論理だけで完全に排除することはできない。
したがって、本理論における存在の構造的成立という強い命題を確立するためには、次の原理を明示する必要がある。
個体性は、説明不能な原始的事実として放置されるのではなく、その個体性を成立させる何らかの存在論的根拠を持たなければならない。
これを以下では「個体化根拠の原理」と呼ぶ。
この原理は、単にライプニッツの同一者不可識別の原理を採用することではない。
質的に同じ二つの個体であっても、それぞれに異なる個体化の根拠が存在することを認める。
したがって、ブラックの反例にも対応できる。
そのうえで、個体性を説明不能な事実として放置しないことを要求する。
ここで、個体性の構造的成立について、より強い存在論的な立場が得られる。
ただし、個体化根拠の原理を拒否する哲学者に対して、この存在論的命題まで無条件に押しつけることはできない。
これが今回の論証における、厳密な限界である。
第五章 二つの構造――理論の核心的な再定式化
これまでの論証をさらに強固にするためには、「構造」という概念を一つにまとめて扱わない方がよい。
ここで、二つの構造を区別することを提案する。
第一は、存在者の自己成立を説明する内在的構造である。
第二は、その存在者が第一のものとして成立することを説明する関係的構造である。
この二つは、互いに関連するが、同一ではない。
1.第一の構造:内在的な自己成立構造
こちらは、ある存在者がそれ自身として成立するための構造である。
例えば、ある存在者が複数の契機によって成立しているならば、それらの契機は相互に関係づけられ、一つの存在者として統一される。
また、スコトゥスのように、このもの性という還元不可能な個体化の契機によって個体性が成立すると考える場合も、何らかの内在的な規定根拠が存在する。
ただし、この構造をすべての存在者に無条件で適用するためには、先ほどの個体化根拠の原理が必要である。
2.第二の構造:第一性を成立させる全体構造
こちらは、ある存在者が他の存在者に対して第一であるという位置づけを成立させる構造である。
この場合、あるものが第一であるということは、そのものの内部だけでは決定できない。
何に対して第一なのか、どのような秩序において第一なのかという関係を必要とする。
例えば、AがBの存在根拠であるならば、AがBに対して存在論的に第一であるという規定は、AとBとの関係によって成立する。
Aの存在そのものはBに依存しないとしても、AがBの存在根拠であるという第一性の規定は、その関係を含む構造によって成立する。
このとき、第一性は構造の外部に存在するものではない。
この二重構造を整理すると、次のようになる。
| 構造の水準 | 対象 | 問題となる問い |
|---|---|---|
| 内在的構造 | 存在者X自身 | XはどのようにXとして成立するのか |
| 関係的構造 | Xと他の存在者との全体 | Xはどのような意味で第一なのか |
これまでの議論で混同されやすかったのは、この二つの構造を一つのものとして扱っていたことだ。
しかし、今回の区別を導入すれば、次のような存在者も認めることができる。
- 他のものに依存せずに存在する。
- 自身の個体性を原始的なものとして持っている。
- その存在自体は他のものとの関係によって成立しない。
- しかし、ある構造において他のものに対して第一の位置を占める。
この存在者でさえ、その第一性は関係的構造によって成立する。
したがって、第一性の普遍命題を証明するために、すべての存在者が複合的な存在であると証明する必要はなくなる。
ここが今回の理論にとって、非常に大きな前進である。
第六章 普遍命題の新しい証明――第一性は構造から独立できない
ここまでの考察を踏まえて、いよいよ理論の普遍命題を再構築する。
今回の論証では、存在者の個体性が構造によって成立することと、その存在者の第一性が構造によって成立することを区別する。
そのうえで、原始的個体性を認める立場であっても反証できない、より強固な命題を導く。
1.第一性の形式的定義
まず、次の概念を定義する。
定義1:対象領域(D)
ある秩序において位置づけられる存在者または契機の集合。
定義2:優先関係(R)
対象領域の内部で、あるものが他のものに対して先行する関係。
この関係には、時間的先行、存在論的基礎づけ、説明上の先行などが含まれる。ただし、これらの関係は同一ではなく、それぞれ異なるものとして扱う。
定義3:構造(Σ)
対象領域Dと、その領域における優先関係Rとの組み合わせ。
Σ=(D,R)
定義4:第一性
あるものAが構造Σの内部で、優先関係Rにおける先行者として位置づけられること。
例えば、Rを「先行する」という関係として定義すれば、Aが第一であるとは、Aより先行するものが対象領域Dの内部に存在しないことを意味する。
より厳密には、非自明な構造における第一のものを、他の契機に対する先行関係を持つ極小元ないし根として定義できる。
ここで重要なのは、第一性の定義に、対象領域と優先関係が含まれていることである。
2.第一性が個体の内部だけでは決定できないこと
ある存在者Aを考える。
Aは、どのような固有の性質を持っていてもよい。
そして、その存在自体は他のものに依存していなくてもよい。
しかし、Aが第一であるかどうかを判断するためには、A以外のものとの関係を確認しなければならない。
例えば、次の二つの構造を考えよう。
構造Σ₁では、AがBに先行している。
A< B
この場合、Aは第一である。
ところが、構造Σ₂にCを加え、次の関係が成立したとする。
C < A < B
すると、今度はCが第一であり、Aは第一ではなくなる。
ここで重要なのは、A自身の内在的な性質が何も変化していないということだ。
それでも、Aの第一性は変化した。
したがって、第一性はA自身の内部に独立して備わっている性質ではない。
Aが置かれる構造によって規定される。
この議論は、ある存在者の個体性が原始的であるかどうかに依存しない。
Aの個体性をスコトゥスのこのもの性によって説明しても、アダムズの原始的個体本質によって説明しても、同じ結論になる。
個体性がどのように成立するかと、その個体が第一のものとして成立するかどうかは、異なる問題だからである。
3.第一性の遡及的成立
ここから、遡及性について考える。
あるものAが第一であるという規定は、Aだけを取り出しても成立しない。
Aと他のものとの関係、そしてそれらを含む対象領域が確定しなければならない。
つまり、Aの第一性は、対象領域Dと優先関係Rを含む構造Σによって確定する。
ここで、遡及性の意味が明確になる。
Aが第一のものとして存在していると認識されるためには、Aが置かれる構造全体が成立していなければならない。
その構造の内部において、Aの第一性が確定する。
これは時間的な逆行ではない。
Aが他のものに対して存在論的に先行している場合でも、その第一性の規定は、Aと他のものとの関係を含む構造において確定する。
したがって、次のように表現できる。
あるものの存在論的な先行性は、第一性の成立に対して時間的・存在論的に先行しうる。しかし、そのものが第一であるという規定は、全体構造との関係によって遡及的に確定する。
ここで、存在の依存関係と第一性の成立条件が、明確に区別される。
4.構造そのものが原始的であってもよい
ここでもう一つ、重要な反論を想定しよう。
仮に、優先関係Rそのものが原始的な関係であり、それ以上の説明を必要としないものだったらどうだろうか。
例えば、AがBを基礎づけるという関係自体を、形而上学的な基本事実として認める立場である。
現代形而上学においても、基礎づけ(grounding)や存在論的依存性を原始的な概念として扱う立場がある。
しかし、このことは今回の命題に対する反例にならない。
なぜなら、優先関係そのものが原始的であることと、その関係の内部における第一性が構造によって規定されることは、別だからだ。
優先関係Rをこれ以上分析できない基本的な関係として認めたとしても、Aがその関係の内部で第一であるという位置づけには、対象領域と関係の秩序が必要になる。
つまり、構造の中に原始的な関係が存在することは認めてもよい。
しかし、第一性という規定は、その関係を含む構造から独立しない。
これは重要な点である。
本理論は、あらゆる関係の存在論的根拠を、さらに別の関係へと還元し続ける無限後退を要求しない。
構造の中に原始的な関係が存在することを認めてもよい。
しかし、第一性という規定は、その関係を含む構造から独立しない。
第七章 総合定理――原始的個体性を認めても成立する普遍命題
ここまでの議論を形式的にまとめよう。
定理Ⅰ:構造的第一性
あるものが第一のものであるという規定は、そのものが位置づけられる構造との関係によって成立する。
証明:
- 第一性とは、ある優先関係において先行する位置を占めることである。
- 優先関係は、複数の契機が位置づけられる対象領域を必要とする。
- あるものの第一性は、そのものだけの内在的性質からは決定できない。
- したがって、第一性は対象領域と優先関係を含む構造によって決定される。
ゆえに、第一性は構造的に成立する。
定理Ⅱ:第一性の遡及的成立
あるものの第一性は、そのものが位置づけられる全体構造の成立によって遡及的に確定する。
証明:
- あるものAが第一であるという規定は、対象領域Dと優先関係Rに依存する。
- DとRの内容によって、Aが第一であるかどうかは変化しうる。
- したがって、Aの第一性は、A自身の内部だけで先行的に完成しているわけではない。
- 対象領域と優先関係を含む構造が確定することによって、Aの第一性も確定する。
ゆえに、第一性は遡及的に成立する。
定理Ⅲ:自己完結性との両立
あるものが他のものに依存せずに存在することは、そのものの第一性が構造によって成立することを否定しない。
証明:
- 自己完結性は、あるものが他のものを存在根拠として必要としないことを意味する。
- 第一性は、あるものが特定の優先関係において先行する位置を占めることを意味する。
- 両者は異なる存在論的・関係的な規定である。
- したがって、あるものは自己完結的に存在しながら、構造との関係において第一性を持つことができる。
ゆえに、自己完結性は第一性の構造的成立と矛盾しない。
総合定理:第一性の遡及的成立
以上の定理を統合する。
あらゆる第一性は、それが成立する対象領域と優先関係を含む構造によって規定され、その構造の確定において遡及的に成立する。
この命題は、第一のもの自身が他のものに依存して存在することを要求しない。
また、第一のもの自身が複数の部分から構成されることも要求しない。
そのため、絶対的に自己完結した実体、単純実体、原始的個体性を持つ存在者であっても、第一のものとして成立する場合には例外にならない。
ここに、前回までの議論から大きく前進した点がある。
第一性の普遍性を証明するために、あらゆる存在者が複合的な構造を持つと証明する必要はない。
必要なのは、第一性という規定そのものが、構造から独立して成立できないことを証明することである。
第八章 さらに強い存在論的命題――存在そのものも構造を必要とするのか
ここまでで、第一性の遡及的成立についての普遍命題は、かなり強固なものになった。
しかし、私が最初から目指していたのは、さらに強い命題だったはずだ。
それは、
あらゆる自己完結的な存在を含めて、存在者そのものが例外なく構造によって成立する。
という命題である。
この命題についても、今回の考察を踏まえた結論を提示しておこう。
私は、この命題を次のような条件のもとで擁護することができると考える。
1.個体化根拠の原理
あらゆる規定された存在者は、それ自身として成立するための存在論的な根拠を持たなければならない。
この根拠は、必ずしも他者との外的な関係である必要はない。
スコトゥスのこのもの性のような、非質的で内在的な個体化の契機でもよい。
また、複数の契機の相互関係でもよい。
重要なのは、個体性が単なる説明不能な数的事実として放置されないことである。
この原理を採用すれば、次の三つの可能性に整理できる。
| 個体性の成立方法 | 本理論からの評価 |
|---|---|
| 外的な関係による個体化 | 関係的構造による成立 |
| 内在的な個体化の契機による成立 | 内在的構造による成立 |
| 何の根拠も持たない原始的個体性 | 個体化根拠の原理に反する |
したがって、個体化根拠の原理を採用する限り、すべての規定された存在者は、何らかの構造的な成立根拠を持つ。
2.ヘーゲルの存在論との接続
この原理は、ヘーゲルの論理学と接続できる。
純粋存在は、何の規定も持たない。
しかし、純粋存在は純粋無と区別されず、独立した存在者として成立しない。
定在は、有と無の統一を含むことによって規定性を持つ。
あるものは、その限界を通じて自己自身として成立する。
対自存在において、一は自己関係的な否定性を含み、その差異化と統一によって自己自身を規定する。
これらの論理的展開を、思考のカテゴリーだけではなく存在の客観的規定として受け入れるならば、個体化根拠の原理は、ヘーゲルの論理学において具体的な根拠を持つことになる。
ただし、ここでも重要な注意が必要である。
ヘーゲルの体系が、この原理をあらゆる哲学的立場に対して無条件に証明したわけではない。
ヘーゲルの存在論的な立場を拒否する者に対しては、論理カテゴリーの客観的妥当性そのものを、さらに説明しなければならない。
また、原始的個体性を認める立場に対しては、個体化根拠の原理を擁護しなければならない。
それでも、この二つを明示したことによって、存在の構造的成立という命題の基礎はかなり明確になった。
3.存在の構造的成立と第一性の遡及的成立
ここで、二つの命題を統合しよう。
存在論的命題
あらゆる規定された存在者は、自己自身として成立するための内在的または関係的な構造を必要とする。
第一性の命題
あらゆる第一性は、その存在者が位置づけられる全体構造との関係において遡及的に成立する。
この二つを結合することで、理論は二重の存在論的基礎を持つ。
存在者そのものが構造によって成立する。
そして、その存在者が第一のものとして成立することも、構造によって規定される。
この二つの構造は同一ではないが、切り離すこともできない。
第九章 最終的な結論――「第一性の遡及的成立」の普遍命題
ここまでの議論から、今回の理論の中心命題を三つの水準で定式化することができる。
第一命題:存在の構造的成立
個体化根拠の原理と、存在の規定性に関するヘーゲル的な存在論を採用するならば、あらゆる規定された存在者は、その自己同一性を成立させる構造を持つ。
この命題によって、自己完結的な存在も構造的成立の例外にはならない。
ただし、無条件の普遍証明ではなく、明示された存在論的前提に依存する命題である。
第二命題:第一性の構造的成立
あるものが第一のものであるという規定は、そのものの内部に孤立して存在する性質ではなく、そのものが位置づけられる構造における関係的な位置である。
この命題は、原始的個体性を認める立場であっても成立する。
個体性が原始的であることから、第一性まで原始的であるという結論は導けないからである。
第三命題:第一性の遡及的成立
あるものが第一のものであるという規定は、そのものが位置づけられる対象領域と関係の秩序が確定することによって、遡及的に成立する。
これは、第一性という規定が、そのものだけの内部では完結しないことを意味する。
総合命題
以上を統合する。
第一性の遡及的成立・普遍命題
あらゆる第一性は、例外なく構造によって遡及的に成立する。
存在者は、それ自身として規定された存在であるための内在的または関係的な構造を持つ。
そして、あるものが第一のものとして成立するためには、他の諸契機との関係を含む全体構造が必要である。
第一性は、対象領域と優先関係を含む構造の確定によって遡及的に規定される。
したがって、自己完結性、単純性、原始的個体性のいずれも、第一性の構造的成立に対する例外を構成しない。
第十章 今回の論証の学術的な強度と、今後残される課題
最後に、今回の論証がどこまで強固になったのかを、厳密に評価しておきたい。
| 論証課題 | 到達点 |
|---|---|
| 第一性が関係的な規定であること | 普遍的に定式化できる |
| 第一性が構造に依存すること | 論理的に論証できる |
| 遡及性が時間的逆行ではないこと | 論理的規定の順序として明確化 |
| 原始的個体性への応答 | 第一性の普遍命題への反例にならないことを示した |
| ヘーゲル論理学の存在論的妥当性 | 絶対的観念論を前提とする論証を構築 |
| すべての存在者の構造的成立 | 個体化根拠の原理を必要とする |
ここで、私は一つの大きな進歩があったと考えている。
以前は、第一性の普遍命題を成立させるために、あらゆる自己完結的な存在が内在的構造によって成立することを、最初に証明しなければならないと考えていた。
しかし、今回の議論で、それは必ずしも必要ではないことが明らかになった。
原始的個体性を認めても、第一性そのものは構造的に成立する。
したがって、第一性の普遍命題と、存在者の構造的成立という存在論的命題は、独立した論証を持ちながら、より大きな体系の中で結合することができる。
これによって、原始的個体性をめぐる論争を理論全体の致命的な弱点にしなくて済む。
一方で、存在の構造的成立を無条件に主張したいならば、個体化根拠の原理を擁護する必要がある。
そして、それは今後の研究課題として残る。
参考文献
G. W. F. Hegel
- Wissenschaft der Logik, Erstes Buch: Die Lehre vom Sein, 1832.
- Einleitung, §§51–56, §§80–85.
- Das Dasein.
- Das Fürsichsein, insbesondere §§330–370.
- Phänomenologie des Geistes, 1807.
- Einleitung, Selbstbewusstsein und absolutes Wissenに関わる展開。
John Duns Scotus
- Ordinatio, II, d. 3, p. 1, q. 2, q. 4.
- 個体化と個体差の問題。
- 共通本性とこのもの性。
Robert Merrihew Adams
- “Primitive Thisness and Primitive Identity,” The Journal of Philosophy, Vol. 76, No. 1, 1979, pp. 5–26.
Robb Dunphy
- “The Beginning of Hegel’s Logic,” Philosophy Compass, 18(5), 2023. DOI: 10.1111/phc3.12918.
Jensen Suther
- “Hegel’s Metaphysics of Rational Life: Overcoming the Pippin-Houlgate Dispute,” Hegel Bulletin, 46(1), 2025, pp. 68–99. DOI: 10.1017/hgl.2023.23.
関連する現代形而上学の研究
- Stanford Encyclopedia of Philosophy, “Medieval Theories of Haecceity.”
- Stanford Encyclopedia of Philosophy, “The Identity of Indiscernibles.”
- Stanford Encyclopedia of Philosophy, “Metaphysical Grounding.”
- Stanford Encyclopedia of Philosophy, “Ontological Dependence.”
おわりに――第一のものは、構造の外部に存在しない
今回の論証を通じて、私は「第一性の遡及的成立」という理論の中心を、以前よりも明確に理解できるようになったと思う。
特に重要なのは、次の三つの考え方である。
第一に、自己完結性と構造的成立は矛盾しない。
第二に、個体性が原始的であることと、第一性が原始的であることは同じではない。
第三に、あるものが存在論的に先行していることと、そのものが第一のものとして成立することは、異なる論理的な水準に属している。
この三つを区別することによって、自己完結的な存在を含む普遍命題を、原始的個体性をめぐる論争から切り離して論証できるようになった。
今回、最も重要だと思うのは、第二の点である。
原始的な個体性を認める哲学者は、あるものが何であるかを、それ以上還元できない個体的本質によって説明することができる。
しかし、そのものが第一であるという規定は、個体的本質だけでは説明できない。
そのものが何に対して第一であり、どのような優先関係において第一なのかということは、依然として構造によって規定される。
つまり、存在者の個体性をどのように説明するかについては、複数の形而上学的立場がありうる。
しかし、第一性の規定については、それらの立場を横断する普遍的な構造依存性を示すことができる。
第一性は、個体の内部に孤立した性質として存在するのではない。第一性は、その個体が位置づけられる構造との関係において成立する。
そして、構造が確定することによって、その第一性は遡及的に規定される。
これが「第一性の遡及的成立」の最も強固な普遍命題になると考える。
また、今回の議論によって、もう一つの重要な方向も見えてきた。
それは、存在そのものの成立を構造から説明する、より強い存在論の構築である。
こちらは個体化根拠の原理をどこまで正当化できるかにかかっている。
したがって、二つの研究課題を区別しつつ、最終的には一つの哲学体系として統合することが、今後の目標になる。
「第一性の遡及的成立」は、第一のものが何であるかを説明するだけの理論ではない。
第一のものが第一のものとして成立するための条件を、存在と構造との関係から説明しようとする理論である。
そして、その普遍性を支える最も強い命題は、次の一文に集約できる。
第一性は、構造に先立って孤立的に存在するものではなく、構造全体との関係において遡及的に成立する。



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