- はじめに
- 1.シモンドンの個体化論の基本構造
- 2.前個体的差異場Δはシモンドンの前個体的存在と同一なのか
- 3.トランスダクションとC/I――両者の個体化原理はどう異なるのか
- 4.個体と環境の同時的成立――現在の理論には何が足りないのか
- 5.トランス個体性――シモンドンの個体化論は社会的構造まで説明する
- 6.第一性の問題――シモンドンは構造内部の非対称性を説明しているのか
- 7.時間性と遡及的構成――シモンドンとの最後の比較
- 8.比較検証の総合結果――シモンドンに対して何が独自なのか
- 9.今回の比較によって明らかになった理論内部の精密化
- 10.「第一性の遡及的成立」はシモンドンを補完するのか、それとも別の存在論なのか
- 11.今回の比較を踏まえた独自性の再定式化
- 12.今回参照した主要文献
- 13.結論――前個体的差異場の独自性はどこに確立されるのか
はじめに
「第一性の遡及的成立」は、これまでの22回にわたる論証を通じて基本的な理論構築の段階を終え、現在は先行する哲学理論との比較を通じて、その独自性を確立する段階に入っている。
第23回では、存在論的構造実在論(Ontic Structural Realism、以下OSR)との比較を行った。
その結果、構造による個体化、関係による未個体化対象の個体化、構造と対象の相互依存、非対称的な同一性決定といった命題には、既に重要な先行研究が存在することが明らかになった。
一方で、個体化以前の差異場から構造・個体性・第一性の成立を説明し、さらに後続する構造によって先行する履歴が構成的に確定することまでを、一つの存在論的な展開として説明する点には、独自性の可能性が残されている。
今回は、第二の比較対象として、ジルベール・シモンドンの個体化論を取り上げる。
シモンドンの個体化論は、「第一性の遡及的成立」にとって特に重要な先行理論である。
なぜなら、シモンドンは完成した個体を存在論の出発点に置くことを批判し、個体化以前の存在論的な状態から、個体がどのように生成するのかを説明しようとしたからである。
特に、前個体的存在、準安定性、潜在的な差異、トランスダクション、個体と環境の同時的成立という概念は、第19回で導入した前個体的差異場Δと密接に関係している。
しかし、両者を同じ理論として扱うことはできない。
シモンドンは、個体化の実在的な生成操作を中心に据える。
それに対して「第一性の遡及的成立」は、個体化によって成立する構造・個体性・同一性規定・第一性の存在論的な関係を説明しようとしている。
本稿では、両者の共通点と相違点を次の観点から検討する。
- 前個体的差異場Δとシモンドンの前個体的存在。
- トランスダクションとC/Iによる構造的個体化。
- 個体と環境の同時的成立。
- 個体化の継続性と階層的個体化。
- トランス個体性と集合的個体化。
- 生成過程の非対称性と構造内部の第一性。
- 時間性と歴史的な遡及的構成。
その目的は、シモンドンの個体化論を単に紹介することでも、両者の類似点を列挙することでもない。
シモンドンの個体化論が既に説明していることと、それに対して「第一性の遡及的成立」が何を付け加えられるのかを明らかにすることである。
1.シモンドンの個体化論の基本構造
1-1.個体ではなく個体化から出発する
ジルベール・シモンドン(Gilbert Simondon, 1924–1989)の主著は、『形態と情報の概念に照らした個体化』(L’individuation à la lumière des notions de forme et d’information)である。
この著作は1958年に提出された博士論文を基礎としている。物理的・生物学的個体化を扱う部分は1964年に公刊され、心理的・集合的個体化を扱う部分は1989年に別著作として公刊された。その後、2005年に全体が統合され、2013年には原論文の構成を回復した版が出版されている。
英訳はTaylor Adkins訳の Individuation in Light of Notions of Form and Information(University of Minnesota Press, 2020)である。
シモンドンの問題意識は、伝統的な形而上学が個体を最初から完成した存在者として扱ってきたことへの批判にある。
従来の哲学では、個体がどのように成立するのかを説明するために、個体化の原理を後から考えることが多かった。
例えば、
- 質料と形相の結合によって個体を説明する。
- 原子的な実体が最初から独立して存在すると考える。
- 完成した個体に固有の個体化原理を付与する。
これらは、いずれも完成した個体を説明の出発点に置く傾向を持つ。
シモンドンは、こうした立場を批判する。
彼にとって重要なのは、個体とは何かを最初に定義することではなく、個体がどのような生成過程を通じて成立するのかを説明することである。
したがって、存在論の中心に置かれるべきなのは個体ではなく、個体化という操作そのものである。
ここで重要なのが、存在論から生成論への転換である。
シモンドンの個体化論は、一般に個体の生成論(ontogenesis)として理解される。
この点では、現在の理論も同じ問題意識を共有している。
「第一性の遡及的成立」も、完成した個体を最初から存在論の出発点に置かず、個体化以前の差異から個体性がどのように成立するかを問題にしているからである。
しかし、ここで両者を同一視してはいけない。
シモンドンは個体化の操作と生成過程を中心に据える。
現在の理論は、個体化によって成立する構造的な同一性規定と第一性の成立を中心に据える。
この違いを最後まで維持する必要がある。
1-2.前個体的存在と準安定性
シモンドンの個体化論において、最も重要な概念が前個体的存在(être préindividuel)である。
これは第19回でも検討した。
前個体的存在は、まだ個体になっていない未分化の物質ではない。
そこには、個体化を生み出すのに十分な異質性、潜在力、緊張が存在している。
その存在論的な特徴を表すのが、準安定性(métastabilité)である。
準安定状態は、完全に安定した状態でも、単純に崩壊していく不安定状態でもない。
一定の秩序を保持しながら、まだ解消されていない潜在的なエネルギーや緊張を含んでいる。
したがって、そこには新たな秩序が生成する可能性が残されている。
シモンドンが提示する有名な例が、過飽和溶液からの結晶の生成である。
過飽和溶液の内部には、結晶化を可能にする濃度差やエネルギー的な潜在力が存在する。
そこに結晶の核が生じると、周囲の状態との相互作用を通じて結晶化が進行する。
このとき、結晶は最初から存在していた完成済みの個体が表面に現れたものではない。
個体化以前の状態に内在していた潜在的な差異や緊張が、一定の条件のもとで組織化されることによって成立する。
重要なのは、前個体的存在が単なる可能性ではなく、現実の潜在力を持つ存在論的状態だということである。
シモンドンの前個体的存在は、単なる均質な一でも、未分化な物質でもない。個体化を可能にする異質性と潜在力を保持した存在である。
したがって、第19回で提示した前個体的差異場Δの考え方は、シモンドンから非常に強い理論的示唆を得ることができる。
ただし、ここから先が今回の本当の課題である。
シモンドンの前個体的存在を認めることと、現在の理論におけるΔの存在論的身分を確定することは同じではない。
1-3.トランスダクション――個体化はどのように進行するのか
準安定性と並んで重要なのが、トランスダクション(transduction)である。
これはシモンドンの個体化論を理解するうえで中心的な概念だ。
トランスダクションとは、ある領域で成立した構造が、その隣接領域における構造形成の原理となり、その構造形成がさらに隣接領域へと伝播していく操作である。
結晶の成長を考えれば分かりやすい。
最初に結晶の核ができる。
すると、その核に接する分子が一定の秩序を持って配置される。
次に、その既に形成された分子層が、新たな分子層を形成するためのモデルとなる。
こうして、一つの構造形成が隣接領域へと伝播し、結晶全体が成立する。
重要なのは、トランスダクションが、既存の完成した構造を別の場所へコピーすることではないという点だ。
構造が形成される操作そのものが、次の構造形成の条件を作り出している。
つまり、構造形成と、その構造形成による新たな構造形成条件の生成が、連続的に進行する。
シモンドン自身は、トランスダクションを物理的・生物的・心理的・社会的な領域に適用できる個体化の操作として捉えている。
ここで注目すべきなのは、個体化が単なる静的な構造の成立ではなく、構造が成立する操作と、その操作がさらに次の構造を生成する過程の連続として考えられていることだ。
2.前個体的差異場Δはシモンドンの前個体的存在と同一なのか
ここから本格的な比較に入る。
まず、今回最も重要な問いを検討する。
現在の理論におけるΔは、シモンドンの前個体的存在の言い換えにすぎないのだろうか。
私の判断は、両者は近い存在論的問題を扱っているが、同一の概念ではない、というものである。
ただし、その違いを明確にするには、Δをもう一度厳密に定義し直す必要がある。
2-1.シモンドンの前個体的存在は準安定な生成可能性である
シモンドンの前個体的存在は、完成した個体に先立つ存在論的な状態である。
しかし、ここでいう「先立つ」は、単純な時間的先行を意味しない。
前個体的存在は、個体化によって初めて姿を現すような、個体化の条件を含んだ存在である。
また、個体化によって完全に消滅するわけではない。
個体化が生じても、前個体的な潜在力の一部は個体の内部や個体と環境の関係に残される。
このため、個体化は一度完了して終わる操作ではない。
既に成立した個体が新たな問題や緊張に直面することで、さらに個体化が生じうる。
Muriel Combesの『Gilbert Simondon and the Philosophy of the Transindividual』では、この点が「more-than-one」という表現によって説明されている。
個体は完全な一でも、完全な同一性でもなく、常にさらなる生成の可能性を残した存在である。
ここで重要なのは、シモンドンの前個体的存在が、個体化の出発点であると同時に、個体化後も継続して存在するということである。
2-2.現在のΔは構造成立の存在論的根拠である
これに対して、現在の理論のΔは、個体化以前の差異的存在様態を、構造的秩序の成立根拠として位置づけている。
第19回では、次のように定式化した。
Δ = 前個体的差異場
mᵢ = 個体化以前の差異的契機
S = 構造的秩序
xᵢ = 個体化された構造項
そして、
R(mᵢ, mⱼ) → I(S, mᵢ → xᵢ)
という関係によって、個体化以前の差異的契機が、関係的秩序を通じて個体化されることを説明した。
ここでΔの役割は、個体を生成するための潜在的条件を提供することだけではない。
Δは、なぜ構造が成立しうるのか、なぜそこに複数の異質な規定可能性が存在するのかを説明する存在論的な基礎である。
したがって、両者の違いは次のようになる。
| 比較項目 | シモンドン | 第一性の遡及的成立 |
|---|---|---|
| 基礎的な概念 | 前個体的存在 | 前個体的差異場Δ |
| 存在論的性格 | 準安定な潜在力と未解決の緊張を含む | 個体化以前の異質性と差異的規定可能性を持つ |
| 主な役割 | 個体化の潜在的条件 | 構造的秩序の成立根拠 |
| 個体化の契機 | トランスダクション | 構造的な関係秩序と個体化I |
| 個体化後 | 潜在力が残り、さらなる個体化を可能にする | 構造の再編成や階層的個体化の基礎となる |
ここで、重要な違いが見えてくる。
シモンドンは、前個体的存在が持つ潜在力を、実際の個体化を駆動する生成条件として捉える。
現在の理論は、前個体的差異場を、個体性の成立を説明する構造的な根拠として捉える。
つまり、両者は同じ前個体的な領域を見ているが、その領域に何を説明させるのかが異なる。
2-3.Δをシモンドンから独立させるための条件
ここで、現在の理論にとって重要な結論が得られる。
Δをシモンドンの前個体的存在から独立した概念として確立するためには、単に「前個体的差異場」という名前を付けるだけでは不十分である。
次の三つの条件を満たす必要がある。
第一に、Δは個体化以前の潜在力を含むだけでなく、個体化以前の異質性の存在論的な身分を説明しなければならない。
シモンドンも、前個体的存在が単なる均質な物質ではないことを十分に論証している。
したがって、差異や異質性を認めるだけでは独自性にならない。
問題は、それらが個体化以前にどのような規定可能性を持ち、その規定可能性がどのように相互に関係するのかである。
第二に、Δは構造Sの成立条件を説明しなければならない。
シモンドンのトランスダクションは、準安定な状態における潜在力が、具体的な構造形成へ移行する操作を説明する。
現在の理論では、Δの内部に存在する差異的契機が、どのような構成的関係を形成すれば、単なる差異的な多様性ではなく、一つの構造的秩序Sとして成立するのかを説明する必要がある。
第三に、Δは構造内部の第一性を説明するための条件を含んでいなければならない。
シモンドンでは、個体化は差異や緊張の解決によって進むが、構造内部の項同士の同一性決定上の優先性を、一般的な第一性の理論として形式化しているわけではない。
これに対して現在の理論では、構造の成立は個体性の成立だけでなく、第一性の成立にもつながる。
この三つを説明できれば、Δはシモンドンの前個体的存在を単に別の言葉で表したものではなく、個体化の基礎を構造的な同一性決定と第一性の成立まで接続する概念として確立できる。
ただし、Δをシモンドンの前個体的存在よりも広い概念として提示しただけでは、独自性は成立しない。
重要なのは、シモンドンの概念では説明されていない問題を、Δによって実際に説明できることである。
現段階では、この方向性は成立しているが、Δの独自性が完全に証明されたとはまだ言えない。
3.トランスダクションとC/I――両者の個体化原理はどう異なるのか
ここが今回の比較で、理論的に最も重要な部分だと思う。
先ほど、シモンドンは個体化の生成操作を説明し、現在の理論は構造的な同一性決定と第一性を説明すると述べた。
しかし、これだけでは両者の関係はまだ明確ではない。
そこで、トランスダクションと、第20回で確立したC/Iの関係を直接比較する。
3-1.トランスダクションは単なる構造形成ではない
まず、シモンドンのトランスダクションをもう少し厳密に理解する必要がある。
先ほどの結晶化の例では、既に形成された結晶の層が、その隣接領域に新たな結晶層を形成する原理になる。
重要なのは、次の二つが同時に進行することである。
- ある領域における構造の成立。
- その構造が、隣接領域の構造形成条件になること。
つまり、ある領域で成立した構造は、単に完成した状態として保存されるのではない。
それ自身が次の構造形成の原理として働く。
このとき、個体化の過程は、あらかじめ与えられた完成形へ向かうのではない。
構造形成の操作が進行することによって、生成される個体の具体的なあり方も決まっていく。
Daniela Vossは2018年の論文「Simondon on the Notion of the Problem: A Genetic Schema of Individuation」において、個体化の問題を、異なる大きさの秩序間の不均衡、結合、内部共鳴、そして緊張の解決として整理している。
ここでは問題そのものが、単なる認識上の未解決事項ではなく、個体化を駆動する存在論的な契機になっている。
したがって、トランスダクションは単なる「構造ができること」ではない。
構造が形成される操作と、その操作が新たな構造形成条件を生み出すことが、一続きの生成過程を形成する原理である。
3-2.CとIはトランスダクションと何が異なるのか
これに対して、第20回ではCとIを異なる存在論的依存関係として定式化した。
改めて確認しよう。
C = 構造項による構造の具体的実現
I = 構造による構造項の個体化
この二つは、同じ対象を相互に説明する単純な循環ではない。
Cでは、下位水準の構成要素によって上位構造が具体的に実現される。
Iでは、成立した上位構造によって、その構造内部の項が特定の位置や役割を持つ個体として成立する。
第20回で重要だったのは、この二つの依存関係が異なる存在論的水準に属することを示した点だった。
ここで、トランスダクションと比較すると、次の違いが見えてくる。
| 比較項目 | シモンドン | 第一性の遡及的成立 |
|---|---|---|
| 中心概念 | トランスダクション | CとI |
| 説明対象 | 個体化の生成操作 | 構造の実現と構造項の個体化 |
| 主要な関係 | 構造形成の隣接領域への伝播 | 下位構造による上位構造の実現と上位構造による項の個体化 |
| 変化の位置づけ | 生成操作そのものが構造を形成する | 構造の成立条件と個体化条件を区別する |
| 理論的な目的 | 個体がどのように生成するか | 個体の同一性が何によって成立するか |
しかし、ここで重要な留保がある。
トランスダクションにも、既に成立した部分が次の部分の構造形成を可能にするという、階層的・再帰的な性格が存在する。
したがって、C/Iの区別が存在するだけで、シモンドンにない原理を導入したとは言えない。
違いは、C/Iがトランスダクションのような生成操作を記述する概念ではなく、異なる存在論的水準における構成関係と個体化関係を区別する概念だという点にある。
シモンドンのトランスダクションが個体化の動的な進行を説明するのに対して、C/Iは、その個体化過程において、何が構造を具体的に実現し、何が構造によって個体化されるのかを区別する。
したがって、両者は単純な代替関係にはない。
3-3.構造Sを静的な完成物として扱ってはならない
ここで、現在の理論にとって重要な問題が浮上する。
現在の基本的な展開は、次のように表される。
Δ → S → I(S, mᵢ → xᵢ)
この表記だけを見ると、次のような順序に理解される可能性がある。
- 前個体的差異場Δが存在する。
- そこから完成した構造Sが成立する。
- その後、構造Sが項を個体化する。
しかし、シモンドンとの比較によって、こうした時間的な順序として理解することには問題があると分かる。
なぜなら、構造が成立する操作と個体化は、必ずしも時間的に分離できないからだ。
結晶化の例では、結晶の構造は成長の過程そのものにおいて成立する。
構造が完全に完成した後で初めて個体化が始まるわけではない。
したがって、現在の理論でも、Sを完成した構造として先に措定し、その後にIが行われると理解してはならない。
ここで必要なのは、次の区別である。
論理的・存在論的な依存関係の区別と、時間的な生成順序の区別は同じではない。
CとIが異なる存在論的依存関係であることは維持できる。
しかし、それらが時間的に別々の段階として進行するとは限らない。
構造Sは、個体化と同時に具体的に実現される場合がある。
つまり、CとIは論理的には区別されるが、具体的な生成過程では相互に連動しうる。
シモンドンによれば、個体化の原理を実際の個体化操作より前に完成した形で置いてしまうと、個体の生成そのものが説明できなくなる。
現在の理論にも、この指摘は適用すべきである。
したがって、第20回のC/Iの区別は撤回する必要はない。
ただし、次のように解釈を精密化する必要がある。
- Cは、構造項が構造を具体的に実現するという存在論的依存関係である。
- Iは、構造がその構造項の同一性を規定するという存在論的依存関係である。
- CとIは異なる論理的関係だが、実際の個体化過程において時間的に切り離されている必要はない。
これによって、シモンドンの生成論と現在の構造的個体化論の間に、不必要な対立を作らずに済む。
4.個体と環境の同時的成立――現在の理論には何が足りないのか
次に、シモンドンの個体化論でもう一つ重要な問題を検討する。
それは、個体と環境の同時的成立である。
4-1.個体は環境から独立して成立しない
シモンドンにとって、個体は単独で完成してから環境と関係するのではない。
個体化は、個体とそれに対応する環境との関係を同時に成立させる。
この環境は、単なる外部環境ではなく、付随環境(milieu associé)と呼ばれる。
例えば、結晶の成長を考えてみよう。
結晶は、過飽和溶液のなかで成長する。
このとき、溶液は結晶の外部にある単なる背景ではない。
結晶の生成を可能にし、その成長過程において必要な物質や条件を提供する、構成的な環境である。
生物の場合には、個体とその環境との関係はさらに複雑になる。
生物は周囲の環境と絶えず物質やエネルギーを交換しながら、その内部にも個体化以前の潜在力を保持している。
そのため、生物は単なる個体化の結果ではなく、さらなる個体化が進行する場でもある。
シモンドンの個体と環境の同時的成立という考え方は、個体を環境から独立した完成物として捉えることを拒否するものである。
4-2.構造と付随環境は同じものなのか
ここで、現在の理論と比較する。
「第一性の遡及的成立」では、構造と構造項は相互に構成される。
構造項は構造を具体的に実現し、構造は構造項の同一性や位置を規定する。
この点では、シモンドンの個体と付随環境の相互成立と近い。
しかし、両者を同一視することはできない。
なぜなら、シモンドンの付随環境は、単に個体の位置や役割を規定する関係的秩序ではないからだ。
それは、個体が実際に存在し、活動し、さらなる個体化を行うための物質的・エネルギー的条件を含む。
つまり、付随環境は、個体の存在論的な成立条件であると同時に、その個体化を継続させる実在的な条件でもある。
これに対して、現在の理論でいう構造Sは、まず構造項の同一性や関係的規定を説明する概念として導入されている。
したがって、Sをそのまま付随環境と同一視することはできない。
| 比較項目 | シモンドンの付随環境 | 第一性の遡及的成立の構造 |
|---|---|---|
| 基本的な役割 | 個体の成立と活動を支える環境 | 構造項の位置・同一性を成立させる秩序 |
| 個体との関係 | 個体と同時に成立する | 構造項と相互構成的に成立する |
| 物質的・エネルギー的条件 | 重要な構成要素 | 現在の基本定義では必須条件としては明示されていない |
| 継続的な個体化 | 付随環境との交換を通じて維持される | 階層的な構造形成と再個体化によって説明される |
ここで、現在の理論に対して一つの問いが生じる。
構造Sは、構造項の同一性を規定するだけなのか。それとも、構造項が実際に存在し続け、活動し、さらなる個体化を行うための条件まで含むのか。
この問いに対する答えは、次のように整理できる。
構造Sの基本概念は、まず構造的な同一性規定に限定して維持すべきだと思う。
ただし、構造項がさらなる個体化を行う場合には、その個体化を支える下位構造や外部構造を含む、より広い構造的全体を考える必要がある。
したがって、付随環境の問題は、構造Sの定義を無条件に拡張することではなく、階層的個体化のなかで、ある構造の外部に存在する条件が、どのように別の構造の成立条件となるのかを説明する問題として扱うべきである。
これは、第20回のC/Iの理論とも接続できる。
4-3.シモンドンの個体化の継続性
シモンドンのもう一つの重要な主張は、個体化が一度の操作で完了しないことである。
個体化によって成立した個体の内部には、なお前個体的な潜在力が残されている。
その潜在力が新たな緊張や問題に直面することで、さらに個体化が生じる。
このため、個体は完成された実体というよりも、継続的に個体化されている存在として理解される。
特に生物の場合、個体化は生の過程そのものに組み込まれている。
個体は常に不完全な個体化の状態にあり、さらなる変化のための余剰を保持している。
これは、現在の理論にとっても重要な論点である。
なぜなら、構造的個体化によって個体xᵢが成立したとしても、その個体が永遠に同じ構造の内部で同一性を維持するとは限らないからだ。
個体は、別の構造に参加することで、新しい位置や役割を獲得し、異なる水準の個体化を経験する可能性がある。
例えば、細胞は一つの構造内部の個体として成立しているが、組織の一部になることで、組織という別の構造における構造項として成立する。
さらに組織が器官の一部となり、器官が生体の一部になる。
ここで、個体は下位構造では一つの個体でありながら、上位構造では別の規定を受ける。
この点は、シモンドンの継続的個体化と現在の理論の階層的個体化が接続する部分である。
ただし、両者の方向性は異なる。
シモンドンは、前個体的な潜在力が残存し、個体化が継続することを重視する。
現在の理論は、異なる構造水準において、個体の同一性がどのように再規定されるのかを説明しようとしている。
したがって、現在の理論はシモンドンの個体化の継続性を取り込むことができるが、そのためには構造的個体化を一回限りの操作として理解しないことが必要である。
5.トランス個体性――シモンドンの個体化論は社会的構造まで説明する
ここまでの比較では、主として物理的個体化と生物的個体化を扱ってきた。
しかし、シモンドンの個体化論は、そこにとどまらない。
『形態と情報の概念に照らした個体化』の後半では、心理的個体化と集合的個体化が論じられている。
ここを検討しなければ、シモンドンとの比較は不十分になる。
5-1.集合的個体化は既成の個体の単なる集合ではない
シモンドンは、人間の心理的個体化と集合的個体化を、互いに独立した現象として扱わない。
個体は最初から完全に個体化された存在者として社会に参加するわけではない。
個体には、まだ個体化されていない潜在的な能力や緊張が残されている。
そして、それらは他者との関係を通じて、新たな個体化の契機となる。
ここで重要になるのが、トランス個体的なもの(transindividuel)である。
トランス個体的な関係は、既に個体化された人々の間に成立する通常の相互作用とは異なる。
例えば、既存の社会的規範に従って会話したり、既に確立された役割を交換したりするだけなら、それは既存の構造を維持する相互作用にとどまりうる。
これに対して、トランス個体的な関係は、個体に残されている前個体的な潜在力を、他者の前個体的な潜在力と結びつける。
その結果、既存の個体や集合体の構造そのものが変化し、新しい共同性が成立する。
つまり、集合は既成の個体を集めただけでは成立しない。
集合そのものが新しい個体化の場になる。
5-2.現在の理論では集合的個体化をどう説明できるのか
ここで現在の理論を適用してみよう。
例えば、複数の人間が参加する研究共同体を考える。
この共同体には、研究者、研究対象、方法論、研究規則、使用する技術など、複数の構成要素が存在する。
これらが一定の関係的秩序を形成することによって、一つの研究共同体Sが成立する。
そして、その構造によって、各研究者の役割や研究対象の位置づけが規定される。
このような説明は、現在の構造的個体化存在論によって扱うことができる。
しかし、シモンドンの議論はもう一歩先に進んでいる。
例えば、既存の研究共同体の内部で、これまでの研究方法では解決できない問題が生じたとする。
その問題を契機として、研究者同士の関係や研究対象の理解、研究共同体の規範そのものが変化する場合がある。
この場合、単に新しい構成要素が追加されるのではない。
研究共同体そのものが新たな構造へと個体化する。
さらに、その新しい共同体の成立によって、参加者自身も、それまでとは異なる研究者として再規定される。
ここでは、個体と集合体がともに変化する。
シモンドンが問題にしているのは、このようなトランス個体的な生成である。
現在の理論では、これを次のように整理できる。
- 既存の構造S₁が存在する。
- 構造内部に未解決の差異や緊張が生じる。
- その差異が、既存の構造を維持するだけでは処理できなくなる。
- 新たな構成的関係が成立する。
- 構造S₂が具体的に実現される。
- S₂によって各構造項の同一性や役割が再規定される。
これは、現在のC/Iによる階層的個体化と接続できる。
ただし、ここでシモンドンから学ぶべきことがある。
新しい構造の成立は、既存の構造に新しい要素を付け加えることだけではない。既存の構造が保持していた差異や潜在力が、構造そのものを変化させる契機になることがある。
つまり、構造的秩序は、自らの内部に次の構造変化を可能にする条件を保持している。
この点を認めるなら、現在の理論における構造的個体化は、一回限りの個体化ではなく、構造の再編成を含む継続的な存在論として理解できる。
ただし、シモンドンのトランス個体性には、前個体的な潜在力を共有し、新しい共同性を形成するという独自の側面がある。
そのため、単に研究共同体を一つの構造として記述するだけでは、シモンドンの議論を取り込んだことにはならない。
現在の理論が社会的な個体化まで一般的に説明すると主張するなら、集合的な構造がどのように新たな個体化の問題を形成し、構成要素自身を変化させるのかまで説明する必要がある。
6.第一性の問題――シモンドンは構造内部の非対称性を説明しているのか
ここから、第21回の成果とシモンドンの個体化論を直接比較する。
今回の比較で、独自性を確立するうえで特に重要な部分である。
6-1.トランスダクションにも非対称性が存在する
最初に注意したいことがある。
シモンドンの個体化論には、非対称性が存在しないわけではない。
むしろ、準安定性とトランスダクションの概念には、明確な非対称的な構造がある。
例えば、結晶の生成では、最初に形成された結晶核や分子層が、その周囲に新しい結晶層を形成するための条件になる。
既に形成された領域が、まだ形成されていない領域に対して構造形成上の先行性を持つ。
また、個体化以前の準安定な状態では、異なる大きさの秩序の間に不均衡や緊張が存在する。
それらが結合し、内部共鳴を形成することで、新たな構造が成立する。
したがって、シモンドンが単純な対称的相互作用だけを考えていると理解してはいけない。
6-2.生成過程の非対称性と同一性決定の非対称性
では、第21回の非対称性原理と何が異なるのか。
ここでは、次の二つを区別する必要がある。
第一に、生成過程における非対称性。
これは、トランスダクションにおいて、既に形成された領域が、次の領域の構造形成条件になるという非対称性である。
その中心にあるのは、個体化の伝播と生成操作である。
第二に、同一性決定における非対称性。
これは、構造内部のある項Aの規定が、別の項Bの同一性条件を基礎づける一方、Bの規定はAの同一性条件を同じ意味では基礎づけないという非対称性である。
その中心にあるのは、個体化された項の同一性条件の依存関係である。
両者を比較すると、次のようになる。
| 比較項目 | シモンドン | 第一性の遡及的成立 |
|---|---|---|
| 非対称性の中心 | 生成操作の方向性 | 同一性決定の依存関係 |
| 主要な対象 | 先行して構造化された領域と次の領域 | 構造内部の項Aと項B |
| 優先性の意味 | 生成上の先行性・構造形成上の条件 | 存在論的な第一性 |
| 形式的な役割 | トランスダクションの伝播 | 規定次元dにおける非対称的な基礎づけ |
ここに重要な違いがある。
シモンドンは、生成過程の内部にある方向性や非対称性を説明する。
一方、現在の理論は、構造が成立したとき、その内部にある項のどの規定が、別の項の同一性条件を基礎づけているのかを説明する。
つまり、シモンドンの非対称性は、主として個体化の操作に属する。
現在の理論の非対称性は、構造的に個体化された項の存在論的依存関係に属する。
6-3.シモンドンの生成論に欠けているものではなく、別の説明対象である
ここで、言い方には注意が必要だ。
「シモンドンには第一性の理論が存在しない」と簡単に断言することはできない。
彼の個体化論には、生成上の非対称性、強度差、異なる秩序の間の優先関係、トランスダクションの方向性が既に存在するからである。
正確には、シモンドンの理論が主に説明するものと、現在の理論が説明しようとしているものが異なるというべきである。
例えば、結晶の成長において、ある分子層が次の分子層の生成条件になることは説明できる。
しかし、そこから直ちに、ある結晶構造項が別の構造項の同一性条件を非対称的に基礎づけるという一般原理が導かれるわけではない。
生成操作の方向と、構造内部の存在論的な優先関係は別の問題だからである。
したがって、第21回の「構造的同一性規定の非対称性原理」は、シモンドンのトランスダクションを置き換えるものではない。
むしろ、トランスダクションなどによって形成された構造内部における、個体間の存在論的な優先関係を説明する原理として位置づけられる。
ここには、現在の理論の独自性の候補がある。
7.時間性と遡及的構成――シモンドンとの最後の比較
最後に、第22回で確立した遡及的構成をシモンドンの時間論と比較する。
ここは、両者の違いを最も明確にできる部分だと思う。
7-1.シモンドンにおける時間は個体化の過程に属する
シモンドンにとって、時間は完成した個体が存在した後に付け加わる外的な形式ではない。
時間性そのものが、存在の個体化過程に関わっている。
準安定状態から個体化が進み、新たな構造が成立する。
その構造は、新たな個体化を可能にする潜在力を保持する。
したがって、個体化は過去から未来へと進む単純な一方向の出来事ではなく、先行する個体化の成果を次の個体化の条件として組織化する過程でもある。
また、個体化によって過去の潜在力が完全に失われるわけではない。
個体のなかには、なお未個体化の潜在力が残されている。
この潜在力が、次の生成を可能にする。
つまり、シモンドンにおける時間は、生成操作の連続と不可分である。
7-2.現在の理論の遡及的構成は何が異なるのか
これに対して、第22回の遡及的構成は、後続する構造が、それ以前の存在者の履歴を、自らの成立条件として確定することを意味していた。
ここでは、時間的に後続する構造が、過去の出来事に新たな存在論的な資格を与える。
例えば、後に成立する構造S₂が、先行する履歴H₁をその成立条件として確定する場合、
S₂ → H₁の構成的規定
という関係が成立する。
これは、過去の出来事そのものを変更することではない。
過去の出来事が後続する構造に対して持つ構成的な資格を確定することである。
ここで、シモンドンと現在の理論には、異なる時間的方向性が存在する。
| 比較項目 | シモンドン | 第一性の遡及的成立 |
|---|---|---|
| 時間性の中心 | 個体化操作の継続 | 後続構造による先行履歴の遡及的構成 |
| 過去の役割 | 先行する個体化過程とその潜在力 | 後続する構造の成立を構成する履歴 |
| 未来の役割 | 残存する潜在力によって新たな個体化が生じる | 後続構造の成立によって先行履歴の構成的資格が確定する |
| 基本的な方向 | 生成の継続 | 構成的な意味での遡及 |
ここで重要なのは、シモンドンの理論にも過去と未来の相互的な関係が存在するということだ。
個体化の結果は、次の個体化の条件になる。
また、個体化以前の潜在力は、個体化後にも個体の内部に残存する。
しかし、これは第22回で論じた遡及的構成と同じではない。
シモンドンの個体化論では、先行する準安定状態や潜在力が後続する個体化を可能にする。
これに対して、現在の理論では、後続する構造が成立することによって、先行する出来事のうち何がその構造の成立を構成したのかが確定する。
つまり、
- シモンドン:過去の潜在力が未来の個体化を可能にする。
- 第一性の遡及的成立:未来の構造が過去の履歴の構成的資格を確定する。
という違いがある。
この違いは、単なる時間的な順序の違いではない。
存在論的な説明の方向そのものが異なるのである。
なお、シモンドンの個体化論を時間的な生成過程だけに還元するのも不正確である。彼の前個体的存在は単純な過去の状態ではなく、現在の個体にも残存する存在論的な潜在力だからだ。
したがって、今回の比較で重要なのは、シモンドンが未来を重視していないということではない。
未来の生成条件として過去の潜在力を考えることと、後続する構造によって過去の履歴の構成的資格が確定することは、別の存在論的問題である。
ここに第22回の遡及的構成の独自性を位置づけることができる。
8.比較検証の総合結果――シモンドンに対して何が独自なのか
ここまでの検討を総合する。
今回明らかになったのは、シモンドンと現在の理論が、個体化以前の存在論的基礎という問題を共有しながら、その後に説明しようとする対象が異なるということである。
8-1.比較結果の一覧
| 比較項目 | シモンドン | 第一性の遡及的成立 |
|---|---|---|
| 個体化以前の存在 | 前個体的存在 | 前個体的差異場Δ |
| 差異の存在論的性格 | 準安定性・潜在力・強度的な不均衡 | 個体化以前の異質性・差異的規定可能性 |
| 個体化の原理 | トランスダクション | 構造的秩序とIによる個体化 |
| 構造の成立 | 生成操作の進行に伴う構造化 | Cによる構造の具体的実現 |
| 個体と環境 | 付随環境との同時的成立 | 構造と構造項の相互構成 |
| 個体化の継続性 | 前個体的潜在力の残存と再個体化 | 階層的な構造形成と再個体化 |
| 非対称性 | トランスダクションの方向性と生成上の不均衡 | 同一性決定の非対称性による第一性 |
| 集合的個体化 | トランス個体性 | 構造の階層的再編成として説明可能 |
| 時間性 | 個体化操作の継続と存在の生成 | 後続構造による先行履歴の遡及的構成 |
この比較表から、三つの重要な結論が得られる。
第一に、前個体的差異場そのものには、シモンドンという非常に強い先行研究が存在する。
したがって、個体化以前の異質性や潜在力を認めること自体を、現在の理論の独自性として主張することはできない。
独自性は、差異場をどのような存在論的基礎として位置づけ、そこから構造・個体性・第一性をどのように導くのかに求めるべきである。
第二に、トランスダクションとC/Iは、異なる説明対象を持っている。
シモンドンは、個体化の実在的な生成操作を説明する。
現在の理論は、構造の具体的実現と構造項の個体化を異なる存在論的依存関係として区別する。
このため、両者は単純に競合しない。
むしろ、生成操作の説明と、その操作を通じて成立する構造的な同一性規定の説明として、相互に接続できる。
第三に、構造内部の第一性と歴史的な遡及的構成は、現在の理論の重要な独自性の候補である。
シモンドンには生成過程における非対称性がある。
しかし、その非対称性を、個体化された構造項の同一性条件に対する存在論的な優先性として体系化することとは異なる。
また、継続的な個体化と、後続する構造による先行履歴の構成的確定も異なる問題である。
したがって、これらを接続することには独自の理論的可能性がある。
8-2.シモンドンとの比較で見えてきた、もう一つの重要な違い
今回の検証で最も重要だと考えているのは、現在の理論とシモンドンが、個体化をめぐる異なる存在論的問題を中心にしているということである。
シモンドンの中心的な問いは、次のように表現できる。
個体化以前の準安定な存在は、どのような潜在力と緊張を持ち、それらはどのような操作によって個体と環境を生成するのか。
これに対して、「第一性の遡及的成立」が中心的に問うているのは、次のことである。
個体化以前の差異的な存在様態から構造・個体性・第一性はどのような論理によって成立するのか。そして、後続する構造の成立によって、なぜ先行する履歴までがその構造の成立条件として確定するのか。
この違いは小さくない。
シモンドンは、個体化という生成操作を存在論の中心に置く。
現在の理論は、その生成によって成立する構造内部の同一性決定と第一性の成立を中心に置く。
したがって、現在の理論はシモンドンを単に否定する必要はない。
むしろ、シモンドンが明らかにした個体化の生成論を受け継ぎながら、そこから成立する構造的な同一性決定と第一性を別の存在論的水準で説明する立場として位置づけられる可能性がある。
9.今回の比較によって明らかになった理論内部の精密化
ここで、重要な修正を二つ提示したい。
これは理論を大幅に変更するものではない。
むしろ、シモンドンとの比較によって、これまでの論証に潜在していた曖昧さを解消するための精密化である。
9-1.mᵢは独立した前個体的個体ではない
第19回では、次のように定式化した。
mᵢ = 個体化以前の差異的契機
xᵢ = 個体化された構造項
そして、
R(mᵢ, mⱼ) → I(S, mᵢ → xᵢ)
という関係を導入した。
この区別自体は維持できる。
しかし、シモンドンとの比較を踏まえると、mᵢが既に複数の独立した構成要素として存在していると解釈されないようにしなければならない。
なぜなら、シモンドンの前個体的存在は、完成した個体の集合ではないだけでなく、最初から相互に独立した小さな要素の集合として理解されるべきものでもないからだ。
前個体的存在における異質性は、数的に区別された複数の実体を意味しない。
したがって、現在の理論でも、mᵢは次のように理解するのが適切である。
mᵢは、Δの内部において分析的に区別される差異的契機であり、それ自体で数的に独立した個体や実体を意味しない。
つまり、mᵢという記号は、前個体的差異場を構成する独立した原子を表すものではない。
あくまでも、Δに内在する異質性や差異的規定可能性を論理的に区別して表現するための記号である。
これによって、個体化以前の多様性を数的に区別された個体の集合として前提するという問題を回避できる。
これは第19回の議論を変更するものではなく、その存在論的意味をより明確にするものだ。
9-2.個体化は一回限りの操作ではない
もう一つは、個体化の継続性である。
シモンドンとの比較によって、個体化を一度成立すれば終了する操作として理解してはならないことが明確になった。
しかし、これは現在の理論にとって矛盾ではない。
なぜなら、第20回では既に階層的個体化を導入しているからだ。
ある構造で個体化された項は、別の構造では新たな個体化の契機になることができる。
例えば、ある個体x₁が構造S₁で成立し、さらに上位の構造S₂の構成に参加する場合、S₂によって新たな同一性や役割を獲得することがある。
ここで、同一の個体がすべての構造において同じ規定を持つわけではない。
個体は、属する構造の水準に応じて、異なる位置や役割を持つことができる。
ただし、生物のように同一の個体が内部に潜在力を保持し、絶えず自己を再個体化する現象を説明するためには、上位構造への参加だけでなく、付随環境や継続的な物質・エネルギー交換も考慮する必要がある。
この区別を維持することによって、シモンドンの個体化の継続性を取り込みながら、現在の理論の構造的な説明形式を保つことができる。
10.「第一性の遡及的成立」はシモンドンを補完するのか、それとも別の存在論なのか
今回の中心的な問いに戻ろう。
「第一性の遡及的成立」は、シモンドンの個体化論における動的な個体化過程を、構造的な同一性決定と非対称的な優先性の理論によって補完するものなのか。
それとも、個体化を説明するための別の存在論を提示しているのか。
私の結論は次のとおりである。
現段階では、シモンドンとは異なる説明対象を持つ存在論として成立しており、個体化の生成論に対して構造的な同一性決定と第一性の理論を補完する立場として位置づけるのが適切である。
10-1.シモンドンが説明すること
シモンドンの個体化論が説明しようとしているのは、次のことである。
- なぜ個体化以前の存在が潜在力や異質性を含むのか。
- どのような条件によって個体化が始まるのか。
- 個体化がどのように伝播し、構造を形成するのか。
- 個体と付随環境がどのように同時成立するのか。
- なぜ個体化が継続し、さらなる生成を可能にするのか。
- 心理的個体化と集合的個体化がどのように結びつくのか。
つまり、シモンドンは個体化という生成操作を存在論の中心に置いている。
10-2.現在の理論が説明すること
これに対して、「第一性の遡及的成立」は、次のことを説明しようとしている。
- 個体化以前の差異が、どのような存在論的基礎を持つのか。
- その差異が、どのような構造的秩序を形成するのか。
- 構造と構造項がどのような関係で相互構成されるのか。
- 構造内部の項の同一性条件がどのように成立するのか。
- 同一性規定の非対称性から、どのように第一性が導かれるのか。
- 後続する構造が、どのように先行する履歴を構成的に確定するのか。
つまり、現在の理論は、個体化によって成立する構造的秩序の内部における、同一性と優先性の存在論を構築しようとしている。
このように整理すると、両者の関係は次のようになる。
シモンドン:生成論的存在論
前個体的存在・準安定性・潜在力
↓
トランスダクション
↓
個体と付随環境の生成・継続的個体化
第一性の遡及的成立:構造的存在論
前個体的差異場Δ
↓
構造的秩序Sの具体的実現
↓
構造項の個体化I
↓
同一性規定の非対称性と第一性F
↓
歴史的な遡及的構成
これは、両理論の概念をそのまま対応させたものではない。異なる説明対象を持つ二つの理論の接続可能性を示したものである。
この接続から、重要なことが分かる。
シモンドンが個体化の生成過程を説明するのに対し、現在の理論は、その個体化によって成立する構造の内部において、どのように同一性や第一性が成立するのかを説明する。
両者は同じ問いに異なる回答を与えているというよりも、個体化をめぐる異なる存在論的問題を扱っているのである。
ただし、現在の理論が独立した一般存在論として生成過程まで説明することを目指すなら、トランスダクションに相当する動的な生成原理も、自らの理論のなかで説明しなければならない。
現段階では、シモンドンの生成論をそのまま置き換えることまではできない。
この限界を認めたうえで、現在の理論の射程を明確にする方が、哲学理論としての強度は高くなる。
11.今回の比較を踏まえた独自性の再定式化
ここまでの比較を踏まえて、「第一性の遡及的成立」の独自性を改めて整理する。
今回明らかになったことは、前個体的な存在を認めることも、そこから個体が生成することも、個体と環境が同時に成立することも、シモンドンによって既にかなり深く論じられているということである。
したがって、これらをそのまま独自性として主張することはできない。
しかし、現在の理論には、シモンドンの個体化論とは異なる説明上の焦点がある。
その独自性は、次の三つに整理できる。
第一に、個体化以前の差異から、構造的な同一性規定の成立を説明すること。
シモンドンが準安定性とトランスダクションによって個体化の生成を説明するのに対して、現在の理論は、差異的な契機が形成する構造的秩序によって、個体の同一性条件がどのように確定するのかを説明する。
第二に、構造内部の個体性から第一性を導くこと。
トランスダクションにおける生成上の非対称性とは区別して、個体化された項の同一性条件における非対称的な依存関係を形式化し、構造内部の第一性を導く。
第三に、個体化と時間的な遡及的構成を接続すること。
シモンドンが個体化の継続性と前個体的潜在力の残存を説明するのに対して、現在の理論は、後続する構造の成立によって先行する履歴の構成的資格が確定することを説明する。
これらをまとめるなら、現在の理論の独自性は次のように定式化できる。
「第一性の遡及的成立」は、個体化以前の非個体的な差異場を存在論的な基礎として認め、その差異が構造的秩序を具体的に実現すると同時に、構造による個体化を成立させることを説明する。さらに、構造内部における同一性規定の非対称的な依存関係を通じて第一性を導き、後続する構造の成立によって先行する履歴が構造相対的に構成されることを明らかにする。
ここで重要なのは、前個体的差異場をシモンドンから独立させるために、シモンドンの概念を排除する必要はないということである。
むしろ、シモンドンが明らかにした前個体的存在の構造を正確に受け継ぎながら、そこから何をさらに説明できるのかを明確にすることが重要である。
12.今回参照した主要文献
今回の比較で、今後も継続的に参照すべき原典と専門研究を整理する。
シモンドンの原典
1.Gilbert Simondon, L’individuation à la lumière des notions de forme et d’information, Grenoble: Jérôme Millon, 2005.
1958年の博士論文を基礎とする著作。2005年版で全体が統合され、2013年版では原論文の構成が回復された。
2.Gilbert Simondon, Individuation in Light of Notions of Form and Information, trans. Taylor Adkins, University of Minnesota Press, 2020.
上記の全訳。英語での原典研究に利用できる。
3.Gilbert Simondon, L’individuation psychique et collective, Paris: Aubier, 1989.
心理的個体化と集合的個体化を検討するうえで重要な著作。現在は主著の後半部分として2005年版に統合されている。
重要な専門研究
4.Muriel Combes, Gilbert Simondon and the Philosophy of the Transindividual, trans. Thomas LaMarre, MIT Press, 2012.
前個体的存在とトランス個体性を理解するうえで重要な研究。
5.Daniela Voss, “Simondon on the Notion of the Problem: A Genetic Schema of Individuation,” Angelaki, 23(2), 2018.
準安定性、問題、異なる秩序間の不均衡と個体化の関係を検討している。
6.Anne Sauvagnargues and Jon Roffe, “Crystals and Membranes: Individuation and Temporality,” in Gilbert Simondon, Edinburgh University Press, 2012, pp.57–70.
個体化と時間性、生成過程と個体化原理の関係を検討するうえで重要である。
7.Stephen D. Seely, “Individuation, Sexuation, Technicity,” Theory, Culture & Society, 2021.
物理的・生物的個体化から心理的・集合的個体化までを検討している。特に個体と付随環境、トランス個体性の理解に有用である。
13.結論――前個体的差異場の独自性はどこに確立されるのか
今回の比較で、最も重要な結論をまとめたい。
シモンドンは、現在の理論にとって単なる競合理論ではない。
むしろ、前個体的差異場Δを存在論の基礎として認めることに対して、非常に強い理論的根拠を与える先行研究である。
ただし、シモンドンが既に提示している概念を別の名称で再提示しても、独自の哲学理論にはならない。
今回の比較で、独自性を確立するために必要な区別が明確になった。
| 研究項目 | 今回の評価 |
|---|---|
| 前個体的存在を認めること | シモンドンに明確な先行研究がある |
| 個体化以前の異質性と潜在力 | シモンドンによって十分に論じられている |
| トランスダクションによる構造形成 | 現在の理論とは異なる生成原理として確立されている |
| 個体と環境の同時的成立 | シモンドンの重要な成果 |
| 構造的な同一性規定の形式化 | 現在の理論の独自性の候補 |
| 構造内部の非対称的な第一性 | シモンドンの生成上の非対称性とは異なる説明対象 |
| 階層的個体化と構造の再編成 | 現在の理論と接続可能 |
| 歴史的な遡及的構成 | 現在の理論の独自性の有力な候補 |
私が今回特に重要だと考えるのは、次の点である。
シモンドンは、個体がどのように生成するのかを説明する。現在の理論は、個体化によって成立した存在者が、構造の内部で何によって特定の個体として成立し、どのような規定において第一性を持つのかを説明する。
この違いは、単なる概念の言い換えではない。
生成操作と同一性決定という、異なる存在論的問題を区別しているからである。
そして、現在の理論の独自性を最も強く主張できる可能性があるのは、個体化以前の差異場そのものよりも、そこから構造・個体性・第一性、そして遡及的構成までを一つの説明体系として接続するところだと思う。
ただし、今回一つ明確になった限界もある。
現在の基本理論は、シモンドンのトランスダクションに相当する、個体化の動的な生成操作をまだ独自に十分定式化していない。
したがって、今後の論文では、シモンドンの個体化論を全面的に代替する理論として主張するのではなく、個体化論が明らかにした生成過程に対して、構造的同一性と第一性の成立条件を明らかにする存在論として位置づけるのが適切である。
今回の比較によって、「第一性の遡及的成立」はシモンドンの個体化論を単に繰り返すものではなく、個体化の生成論から構造的な同一性決定と第一性の存在論へと説明対象を進める理論として位置づけられる可能性が明確になった。
これで、シモンドンとの比較における基本的な理論的検証を終える。
次回は、現代形而上学の基礎づけ論を取り上げる。特にKit Fineの本質論・存在論的依存論、Jonathan Schafferの優先的一元論、そしてGideon Rosenらの基礎づけ論と比較し、第21回で確立した「構造的同一性規定の非対称性原理」が、既存のメタフィジカル・グラウンディングをどこまで超えるのかを検証することになる。



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