自己完結性と内在的構造⑦――「第一性の遡及的成立」の存在論的基礎づけ

当サイトはアフィリエイト広告を利用しています
  1. はじめに――第一性の遡及的成立は存在論にまで到達できるか
  2. 第一章 第一性の規定条件と存在論的成立条件
    1. 1. 第一性を規定する構造
    2. 2. 認識論的条件と存在論的条件の区別
  3. 第二章 自己完結性と構造の独立性
    1. 1. 外的依存と内在的構造
    2. 2. 構造とは何か
  4. 第三章 ヘーゲルにおける自己同一性と他者性の内在化
    1. 1. 規定性は否定を含む
    2. 2. あるものと他者との関係
    3. 3. 限界による存在の規定
    4. 4. 絶対的なものは抽象的な同一性なのか
  5. 第四章 単純実体は構造を持たないのか――ライプニッツのモナド
    1. 1. 単純性と無構造性の区別
    2. 2. 内的差異による個体性
    3. 3. 単純性は構造の否定ではない
  6. 第五章 スピノザの実体概念という最も厳しい問題
    1. 1. 実体は構造を必要とするのか
    2. 2. 属性間の関係は実体を構成するのか
    3. 3. ヘーゲルによるスピノザ批判の意味
  7. 第六章 存在論的な構造的成立の論証
    1. 命題Ⅰ:規定された存在には内在的な差異が必要である
    2. 命題Ⅱ:内在的差異は関係を必要とする
    3. 命題Ⅲ:内在的差異と関係の秩序は構造を成立させる
    4. 証明の射程
  8. 第七章 最大の反論――完全に自己同一的な存在は可能か
    1. 1. 無構造な単一性の可能性
    2. 2. 無規定性と存在者の区別
    3. 3. 原始的な個体性は認められるのか
  9. 第八章 第一性の遡及的成立への接続
    1. 1. 存在の成立と第一性の成立
    2. 2. 遡及性とは何か
    3. 3. 自己完結的な第一性について
  10. 結論――普遍命題の成立に向けて
  11. 参考文献・参照箇所
    1. Baruch Spinoza
    2. G. W. F. Hegel
    3. Gottfried Wilhelm Leibniz

はじめに――第一性の遡及的成立は存在論にまで到達できるか

これまで「第一性の遡及的成立」という哲学理論について考察を重ねてきた。

この理論の出発点にあるのは、あるものが第一のものとして成立するためには、それ自身の内部に備わった性質だけでは十分ではなく、それが位置づけられる構造との関係が必要なのではないか、という問題である。

あるものが第一であるということは、単にそれが時間的に先行することを意味しない。それが何に対して第一であり、どのような秩序において第一の位置を占め、どのような意味で他のものに先行するのかという規定を必要とする。

したがって、第一性は、それが位置づけられる構造との関係において確定する。

しかし、この考え方を進めると、さらに根本的な問題に直面する。

それは、第一性を規定する構造が、第一性を認識するための条件にとどまるのか、それとも第一のものの存在論的な成立そのものに関与するのか、という問題である。

あるものが第一のものとして規定されるために、他のものとの関係が必要であることは、そのものの存在自体が他のものとの関係によって成立することを意味しない。

この区別を越えることができなければ、「第一性の遡及的成立」は、第一性の認識論的・説明論的な規定を説明する理論にとどまる。

本稿では、この問題を解決するために、自己完結的な存在と内在的構造との関係を検討する。

特に、スピノザの実体概念、ヘーゲルの『大論理学』における規定性・他者性・限界の論理、ライプニッツの『モナドロジー』における単純実体の構造を取り上げる。

ここで明らかにしたいのは、自己完結的な存在であっても、他のものに依存することなく、自己自身の内部に構造を持つことが可能なのかということである。

そして、その可能性を認めるだけでなく、すべての規定された存在が内在的構造を必要とするという命題まで論証できるのかを検討する。

本稿の中心的な仮説は、次のように定式化できる。

あらゆる規定された存在は、それが自己自身として成立するための内在的な差異と関係の構造を持つ。したがって、自己完結性は構造からの独立性を意味しない。

この命題を論証することができれば、第一性の遡及的成立を、単に第一性の規定に関する理論ではなく、存在の成立条件にまで及ぶ哲学理論として展開できる可能性がある。

ただし、本稿では、この命題を無条件に証明できたと先取りするのではなく、成立するための論理的条件と、なお残されている論証上の問題を明確にする。


第一章 第一性の規定条件と存在論的成立条件

1. 第一性を規定する構造

まず、第一性という概念を確認しておきたい。

あるものAが第一のものであるという場合、少なくとも三つの意味を区別する必要がある。

第一に、時間的な先行性である。AがBよりも時間的に先に存在するという意味である。

第二に、存在論的な先行性である。Bが存在するためにはAを必要とするが、AはBを必要としないという意味である。

第三に、説明上の先行性である。Bを理解するためにはAを理解する必要があるが、Aを理解するためにBを理解する必要はないという意味である。

これらは必ずしも一致しない。

例えば、あるものが時間的に先に存在していたとしても、それが他のものの存在根拠であるとは限らない。また、あるものが他のものの存在根拠であったとしても、そのものの第一性が時間的先行性によって説明されるとは限らない。

したがって、第一性を考察する際には、どの秩序において第一であるのかを明確にしなければならない。

ここで注目したいのは、いずれの第一性についても、それが何に対して第一であるのかという規定を必要とすることである。

あるものが第一であるという規定は、単独で完結するものではない。

第一のものと、それに対して第二のもの、あるいは第一のものによって規定されるものとの関係が必要になる。

したがって、第一性は構造における位置として理解される。

2. 認識論的条件と存在論的条件の区別

しかし、ここから直ちに、第一のものの存在自体が構造によって成立すると結論することはできない。

仮にAがBの存在根拠であるとしよう。

このとき、AがBに対して第一であるという関係は、AとBとの関係を含む全体構造において確定する。

しかし、AはBが存在する以前から存在していたかもしれない。あるいは、AはBとは無関係に存在することができるかもしれない。

その場合、Aの第一性が構造によって規定されることと、Aの存在が構造によって成立することは別の問題である。

ここには二つの異なる命題がある。

命題A:第一性の構造的規定

あるものが第一のものとして成立するためには、そのものが位置づけられる構造との関係が必要である。

命題B:存在の構造的成立

あるものが存在者として成立するためには、そのものの内部に内在的な差異と関係の構造が必要である。

命題Aが成立したとしても、命題Bが成立するとは限らない。

本稿の課題は、この二つの命題を区別したうえで、両者を結びつける論理的根拠を明らかにすることにある。

そのためには、外部の他者に依存することと、自己自身の内部に構造を持つことを区別しなければならない。


第二章 自己完結性と構造の独立性

1. 外的依存と内在的構造

自己完結的な存在とは、他のものを存在根拠として必要としない存在である。

この意味での自己完結性を考えるとき、スピノザの実体概念が重要になる。

『エチカ』第一部定義3において、スピノザは実体を次のように定義している。

Per substantiam intelligo id, quod in se est, et per se concipitur.

「実体とは、それ自身において存在し、それ自身によって考えられるものを意味する。」

さらに、この定義を次のように補足する。

hoc est id, cujus conceptus non indiget conceptu alterius rei, a quo formari debeat.

すなわち、その概念を形成するために、他のものの概念を必要としないものである。

ここで重要なのは、自己完結性が存在上の独立性だけでなく、概念上の独立性も意味していることである。

実体は他のものによって存在を成立させられるのではなく、他のものの概念を必要とせずに考えられる。

しかし、このような独立性を認めたとしても、その存在が内在的構造を持たないとは限らない。

ここで、二つの概念を区別する必要がある。

  • 外的依存性:あるものが他のものによって存在を成立させられること。
  • 内在的構造:あるものが自己自身として成立するための差異化された契機と、それらの関係を内部に持つこと。

この二つは論理的に独立している。

あるものが他のものに依存していなくても、その存在が複数の契機の関係によって成立している可能性はある。

したがって、

他のものに依存しないことは、自己自身の内部に構造を持たないことを意味しない。

この区別によって、自己完結的な存在を構造的成立の例外と見なす必要はなくなる。

しかし、ここで得られたのは、自己完結性と構造的成立が両立するという可能性である。

自己完結的な存在が必然的に内在的構造を持つことまでは、まだ証明されていない。

2. 構造とは何か

ここで、本稿における構造の意味を明確にしておきたい。

構造とは、複数のものが外部から並べられている状態ではない。

また、単に観察者が複数のものの間に関係を見いだしたということでもない。

本稿において構造とは、

あるものが自己自身として成立するために必要な、差異化された諸契機の内在的な関係秩序である。

この定義において、構造は必ずしも物理的な部分や構成要素を意味しない。

あるものが空間的に複数の部分から構成されていなくても、そのものの内部に異なる契機や規定性が存在し、それらが一定の関係によって統一されているならば、構造が成立していると考えられる。

したがって、構造的成立とは、あるものが外部の他者によって組み立てられることではない。

それは、あるものの自己同一性が、差異化された契機の関係によって成立することを意味する。

この定義を採用することで、構造と自己完結性を両立させるための概念的な準備が整う。

問題は、あらゆる規定された存在に、このような内在的な差異化が必要であることを示せるかどうかである。


第三章 ヘーゲルにおける自己同一性と他者性の内在化

1. 規定性は否定を含む

この問題を検討するうえで、ヘーゲルの『大論理学』は決定的な意味を持つ。

ヘーゲルの論理学では、存在は最初から何らかの規定性を持ったものとして与えられるのではなく、純粋な有から始まり、その内部に含まれる矛盾を通じて規定性へと展開する。

純粋な有は、何の規定も持たない直接的な存在である。

しかし、何の規定も持たない純粋な有は、純粋な無と区別されない。

このことから、純粋な有と純粋な無は生成において統一される。

この議論が示しているのは、少なくともヘーゲルの論理学において、無規定な存在を具体的な存在者としてそのまま保持することはできないということである。

存在が何らかの規定性を持つためには、存在とその否定との差異が必要になる。

この点は、次のように整理できる。

あるものXが存在者として規定されているということは、Xが単なる無規定な存在ではなく、何らかの特定の性質や規定性を持っているということである。

しかし、規定性を持つということは、Xが何であるかだけでなく、何ではないのかという否定的契機を含む。

したがって、規定性は差異を含んでいる。

ただし、ここで注意しなければならない。

あるものが他のものと異なることと、その差異があるもの自身の存在を構成していることは同じではない。

この二つを結びつけるためには、さらに論証が必要である。

2. あるものと他者との関係

ヘーゲルは『大論理学』第一部「存在論」における「定在」の分析を通じて、この問題を検討している。

特に重要なのが、「あるものと他なるもの(Etwas und ein Anderes)」の関係である。

あるものと他なるものは、最初は互いに独立した存在として現れる。

あるものAと他なるものBを考えれば、BがAの他者であると同時に、AもまたBの他者である。

この段階では、両者の差異は外的なものとして現れている。

しかし、ヘーゲルの議論はここで終わらない。

あるものの規定性を考察すると、そのものが何であるかという規定の内部に、他者性そのものが含まれていることが明らかになる。

ヘーゲルは次のように述べている。

Das Andersseyn als sein eigenes Moment in ihm gesetzt ist.

他者性が、あるもの自身の固有の契機として、その内部に措定されているということである。

ここで重要なのは、他者が単にあるものの外部に存在するという意味ではないということだ。

あるものが自己自身として成立するためには、自己と他者との差異が必要であり、その差異はあるもの自身の規定性の内部に含まれている。

したがって、あるものの自己同一性は、他者性を完全に排除することによって成立するのではない。

むしろ、他者性を自己の規定性の契機として含むことによって成立する。

この議論は、自己同一性を純粋な自己との一致として理解する従来の考え方に修正を迫る。

自己同一性は、差異のない単一性ではなく、差異を含んだ自己との関係として理解される必要がある。

3. 限界による存在の規定

この論理をさらに具体化するのが、ヘーゲルの限界(Grenze)の概念である。

あるものが他のものと区別されるためには、そのものの限界が必要になる。

しかし、限界は単に外部に引かれた境界線ではない。

ヘーゲルは『大論理学』において、次のように述べている。

dieses ist durch sie das, was es ist, hat in ihr seine Qualität.

「あるものは、その限界を通じて、それがあるところのものであり、その限界のうちにその質を持つ。」

ここでは、限界はあるものの存在を外部から制限するだけのものではない。

むしろ、限界そのものが、そのものをそのものとして成立させる契機になっている。

あるものは、他なるものと区別されることによって、自己自身として規定される。

しかも、その区別は、単に外部の観察者が設定したものではない。

あるもの自身の規定性の内部に含まれている。

ヘーゲルにとって、限界とは自己と他者を区別すると同時に、その双方を関係づける媒介である。

この点から、存在の規定と構造との関係について、重要な帰結を導くことができる。

あるものが自己自身として成立するためには、自己と他者との差異が必要である。

そして、その差異が存在の規定そのものに内在しているならば、あるものの自己同一性は、差異化された契機の関係を通じて成立する。

すなわち、あるものの存在論的な規定は、それ自身の内在的構造を必要とする。

ここで、第一の論証における重要な橋が架かる。

第一性を規定するために構造が必要であるという命題だけでなく、規定された存在そのものが構造を必要とするという命題へ進むことができるのである。

ただし、この論証が直接に扱っているのは、規定された定在としてのあるものである。あらゆる自己完結的存在、特に絶対的な実体にまで適用するためには、さらに検討しなければならない。

4. 絶対的なものは抽象的な同一性なのか

ここで、自己完結的な存在の最も強い事例を考えよう。

それは、他のものに依存せず、それ自身によって成立する絶対的な存在である。

ヘーゲルは『大論理学』の「本質論」において、絶対者(das Absolute)を分析している。

この箇所で重要なのは、絶対者を単なる抽象的な同一性として理解することを拒否している点である。

ヘーゲルは絶対者について、次のように述べる。

die Identität des Innern und Äußern

すなわち、内なるものと外なるものとの同一性である。

絶対者は、外部の他者によって規定されるものではない。しかし、それは差異や展開をまったく持たない空虚な単一性でもない。

ヘーゲルにおいて、絶対者は自己を顕現させる運動そのものである。

絶対者の規定は、外部から持ち込まれるのではなく、絶対者自身の自己展開によって成立する。

ここから、自己完結的な存在について、重要な考え方が得られる。

自己完結的であることは、自己自身の内部に差異が存在しないことを意味しない。

むしろ、真に自己完結的な存在とは、外部の他者に依存せずに、自己自身の内在的な差異化によって成立する存在として理解できる可能性がある。

この意味で、絶対者の自己同一性は、差異の排除によって成立するのではなく、差異を自己自身の契機として統合することによって成立する。

ただし、これはヘーゲルの論理学における絶対者の理解であり、それだけであらゆる可能な形而上学に対する普遍的な証明になったわけではない。

それでも、絶対的な自己完結性と内在的構造を結びつけるうえで、重要な理論的モデルになる。


第四章 単純実体は構造を持たないのか――ライプニッツのモナド

1. 単純性と無構造性の区別

ここで、構造を持たない自己完結的存在の可能性を検討するために、ライプニッツの『モナドロジー』を取り上げたい。

ライプニッツのモナドは、部分を持たない単純実体である。

『モナドロジー』第1節では、モナドについて次のように定義される。

単純実体とは、部分を持たない実体である。

また、第7節では、モナドについて次のように述べられている。

Les Monades n’ont point de fenêtres.

モナドには窓がない。

これは、他の創造された実体が外部からモナドの内部に入り込み、その内的状態を直接変化させることができないという意味である。

この意味で、モナドは外部から閉じた存在である。

ここだけを見れば、モナドは自己完結的であり、外部の他者によって成立するものではない。

しかし、ライプニッツの議論は、単純実体が無構造であることを意味しない。

第8節では、モナドが存在者であるためには何らかの性質を持たなければならないと論じられる。

さらに第9節では、それぞれのモナドが他のモナドと内部的に異なっていなければならないとされる。

そして、最も重要なのが第13節である。

ライプニッツは、単純実体について次のように述べている。

une pluralité d’affections et de rapports, quoiqu’il n’y en ait point de parties.

部分を持たないにもかかわらず、複数の状態と関係が存在するということである。

これは、今回の問題にとって非常に重要である。

なぜなら、ライプニッツは、存在の単純性と内部の多様性を両立させているからだ。

モナドは部分から合成された存在ではない。

しかし、その内部には知覚や欲求をはじめとする複数の契機が存在し、それらの変化によってモナドの個別性が成立している。

したがって、部分を持たないことは、構造を持たないことを意味しない。

2. 内的差異による個体性

ライプニッツの議論は、モナドの個体性についてさらに踏み込んでいる。

モナドはそれぞれ異なるものであり、その差異は外部の観察者による分類だけで成立するのではない。

それぞれのモナドの内部に差異が存在する。

この考え方は、ライプニッツの同一者不可識別の原理と結びついている。

完全に同一の規定性を持つ二つの存在者があるならば、それらを区別する根拠は存在しない。

したがって、複数の存在者が存在する以上、それらには何らかの内的差異が必要になる。

この原理を今回の問題に適用すれば、あるものが他のものから区別されるためには、そのもの自身に内的な規定性が必要であるという考え方が得られる。

さらに『モナドロジー』第56節では、すべての創造されたものが互いに調和するように配列されていることによって、各単純実体が他のすべての実体を表現する関係を持つと説明される。

各モナドは、宇宙全体をそれぞれの視点から表現する。

したがって、モナドは外部から作用を受けることによって成立するのではないが、宇宙全体との関係を内部に表現している。

このことは、自己完結的な存在と構造的成立が両立しうることを示す重要な事例である。

ただし、ここで確認しておくべきことがある。

ライプニッツのモナドは創造された実体であり、存在そのものが神から独立しているわけではない。

したがって、モナドはスピノザ的な自己原因性を持つ絶対的実体の事例ではない。

それでも、単純性と内的構造の両立を示す事例として、今回の論証に重要な意味を持つ。

3. 単純性は構造の否定ではない

ここまでの議論から、次のことが明らかになる。

存在の単純性は、存在の無構造性を意味しない。

あるものが部分を持たなくても、その内部に複数の状態や関係が成立することは可能である。

したがって、構造とは、必ずしも部分と全体との関係を意味しない。

より根本的には、あるものの自己同一性を成立させる差異化された契機の秩序を意味する。

この区別は、自己完結的な存在について考える際に非常に重要である。

他のものに依存しないこと、部分に分解できないこと、内部に差異が存在しないことは、それぞれ別の命題である。

これらを混同してはならない。

ライプニッツのモナドは、単純性と内的構造を切り離すことができないことを示す一つの哲学的モデルなのである。


第五章 スピノザの実体概念という最も厳しい問題

1. 実体は構造を必要とするのか

ここまでの議論では、自己完結性と内在的構造が両立しうることを確認してきた。

しかし、ライプニッツのモナドは、厳密な意味で自己原因的な存在ではない。

そこで、最も根本的な問題として、スピノザの実体概念を検討する必要がある。

『エチカ』第一部において、スピノザは実体を、それ自身において存在し、それ自身によって考えられるものとして定義する。

そして定理7では、次のように述べている。

Ad naturam substantiae pertinet existere.

実体の本性には存在することが属する。

実体は他のものによって存在させられるのではなく、その本性そのものによって存在する。

さらに定義6では、神を無限に多くの属性から成る絶対的に無限な実体として定義している。

ここで問題になるのは、このような実体を構造によって成立する存在として理解できるかどうかである。

実体が他のものに依存しないことは明らかである。

しかし、実体は絶対的に単一でありながら、無限に多くの属性を持つ。

そこで、属性の概念が重要になる。

定義4において、属性は実体の本質を構成するものとして知性が認識するものとされている。

つまり、実体は単に無規定な単一性として存在しているのではない。

その本質は無限に多くの属性によって表現される。

この点だけを見れば、実体は内在的な複数の契機を持つ存在として理解できるように思われる。

しかし、ここで慎重にならなければならない。

2. 属性間の関係は実体を構成するのか

『エチカ』第一部定理10において、スピノザは次のように述べる。

Unumquodque unius substantiae attributum per se concipi debet.

一つの実体の各属性は、それぞれそれ自身によって考えられなければならない。

さらに、その後の備考では、二つの属性が互いに独立して考えられるとしても、それらが二つの異なる実体を構成するとは結論できないと説明される。

各属性は、実体の現実性、すなわち存在を表現している。

この議論は、今回の理論にとって重要な問題を突きつける。

なぜなら、属性はそれぞれ自己自身によって考えられるのであり、他の属性との相互依存を必要としないからである。

したがって、実体を構造によって成立する存在として理解する場合、属性を単純に互いに依存する構成要素として扱うことはできない。

属性は、実体を構成する部品ではない。

また、一つの属性が他の属性を生み出すわけでもない。

この意味で、スピノザの実体を、複数の部分の相互関係によって組み立てられた存在として理解することは適切ではない。

しかし、ここで再び構造という概念の意味を確認する必要がある。

構造とは、必ずしも複数の要素が互いに因果的に依存する関係ではない。

異なる契機が、それぞれの独立した規定性を保ちながら、一つの全体の本質を表現するという関係もまた、構造として考えられる可能性がある。

スピノザの実体は、無限に多くの属性によってその本質を表現する。

各属性はそれぞれ独立して考えられるが、それらは一つの実体の属性であり、同一の実体の現実性を表現している。

したがって、スピノザの実体を構造的に理解するためには、部分の相互依存による構成とは異なる、非構成的な内在的統一という考え方が必要になる。

3. ヘーゲルによるスピノザ批判の意味

ここで、ヘーゲルによるスピノザ批判を考える必要がある。

『大論理学』の「絶対者」の分析に続いて、ヘーゲルはスピノザの実体概念を批判している。

ヘーゲルが問題にしているのは、スピノザの実体が絶対的な統一として理解されている一方で、その内部における差異の自己展開が十分に捉えられていないという点である。

ヘーゲルによれば、スピノザの体系では、実体における規定性が外的な反省によって捉えられるという問題が残っている。

ここでヘーゲルが要求しているのは、絶対者が外部から規定されるのではなく、絶対者自身の運動によって自己を規定することである。

つまり、絶対的な統一は、差異を外部から受け入れるだけでは不十分であり、差異そのものを自己自身の契機として展開しなければならない。

この問題を「第一性の遡及的成立」の観点から考えると、非常に興味深い。

スピノザの実体は、他のものに先行する存在論的な第一性を持っている。

しかし、ヘーゲルの批判を受け入れるならば、その第一性を単なる抽象的な自己同一性として理解することはできない。

第一のものは、自らの内部に差異を持ち、その差異を通じて自己自身を規定する必要がある。

この意味で、絶対的な自己完結性は、無構造な単一性ではなく、自己自身の差異化と統一を含むものとして理解されるべきである。

ただし、ここでスピノザの実体がヘーゲルの意味での自己展開的な構造をすでに備えていると結論することはできない。

むしろ、スピノザとヘーゲルの差異そのものが、今回の理論にとって重要な論点となる。

スピノザの実体は、属性の相互独立性を保ちながら、一つの絶対的な実体として成立する。

一方、ヘーゲルの絶対者は、差異とその自己関係的な展開を通じて自己同一性を成立させる。

この差異を踏まえたうえで、自己完結的な存在が内在的構造を必要とすることを、独自に論証しなければならない。


第六章 存在論的な構造的成立の論証

ここまでの議論を踏まえて、存在論的な構造的成立について、改めて論証を組み立てたい。

まず、以下の概念を定義する。

定義1:規定された存在

あるものXが、それ自身として何らかの存在者であること。単なる無規定な存在ではなく、何らかの規定性を持つ存在を意味する。

定義2:内在的差異

あるものXの自己同一性を成立させるために、そのもの自身の規定性に属する差異を意味する。観察者による外的な比較や命名とは区別される。

定義3:内在的構造

あるものXの自己同一性を成立させる、内在的差異化された諸契機の関係秩序を意味する。部分の集合であることや、契機相互の因果的依存を必要としない。

これらの定義から、次の命題を導くことを試みる。

命題Ⅰ:規定された存在には内在的な差異が必要である

あるものXが規定された存在であると仮定する。

XがXであるということは、Xが単に存在するということだけではなく、他のものとは異なる何らかの規定性を持つことを意味する。

ここでいう差異は、観察者がXとYを比較することによって初めて生じるものではない。

なぜなら、そのような差異はX自身の存在規定を説明しないからである。

Xがそれ自身として成立するためには、何がXであり、何がXではないのかという区別が、Xの存在規定に属していなければならない。

したがって、規定された存在は、それ自身の規定性の内部に何らかの差異を含む。

命題Ⅱ:内在的差異は関係を必要とする

あるものXが複数の規定的契機を持つとする。

これらの契機が単に無関係に存在しているだけならば、Xを一つの存在者として成立させる統一の根拠は説明されない。

したがって、これらの契機は何らかの関係によって統一されていなければならない。

その関係は、単に外部から与えられるものではない。

Xの自己同一性を成立させるための関係である以上、その関係自体がXの内在的な規定に属する必要がある。

このことから、内在的差異は、単に複数の性質が存在することではなく、それらの契機が相互に関係づけられた秩序を意味する。

命題Ⅲ:内在的差異と関係の秩序は構造を成立させる

定義3によれば、内在的構造とは、あるものの自己同一性を成立させる差異化された諸契機の関係秩序である。

命題Ⅰによって、規定された存在には内在的な差異が必要である。

命題Ⅱによって、その差異は単に並列されたものではなく、自己同一性を成立させる関係の秩序を必要とする。

したがって、規定された存在は、その存在を成立させる内在的構造を持つ。

以上から、次の命題が導かれる。

定理Ⅰ:あらゆる規定された存在は、その自己同一性を成立させる内在的構造を持つ。

証明の射程

ここで重要なのは、この定理が単に認識論的な条件を述べているのではないということである。

本定理における差異は、あるものを他のものから識別するための条件ではなく、あるものがそれ自身として成立するための存在論的な契機である。

したがって、構造は存在者を外部から規定するものではなく、存在者の自己同一性を成立させる内在的な秩序として理解される。

さらに、この定理において外部の他者による存在依存は前提とされていない。

そのため、自己完結的な存在であっても、規定された存在である限り、内在的構造を持つことになる。

すなわち、

自己完結性と構造的成立は矛盾せず、むしろ自己完結的な存在も内在的構造によって自己自身として成立する。

これが、本稿で得られる最も重要な理論的帰結である。

ただし、以上の証明には、さらに厳密に検討すべき論理的な問題が残っている。


第七章 最大の反論――完全に自己同一的な存在は可能か

1. 無構造な単一性の可能性

ここで、これまでの議論に対する最も強い反論を検討する。

仮に、ある存在Sが次のような存在であったとしよう。

  • 他のものに依存しない。
  • 内部に複数の契機を持たない。
  • 自己と他者との差異を持たない。
  • いかなる関係にも依存しない。
  • それでも存在している。

これは、完全に単純な自己完結的存在である。

このような存在を想定することに、論理的な矛盾はあるのだろうか。

ここで問題になるのは、あるものが自己自身と同一であるということから、その内部に差異が存在するという結論を本当に導けるのかという点である。

形式論理において、A=Aという自己同一性の命題は、それ自体として内的な複数性や関係構造を要求しない。

したがって、自己同一性の形式だけから、構造的成立を導くことはできない。

また、ある存在者が他のものから識別されるためには、そのものの内部に差異が必要であるという主張にも反論が可能である。

その存在者は、他のものと区別されるための原始的な個体性を持っていると考えることができるからだ。

すなわち、あるものがそのもの自身であるということを、それ以上の差異や関係によって説明する必要はないという立場である。

このような立場を認めれば、内在的構造を持たない自己完結的存在の可能性は残る。

したがって、普遍命題を完成させるためには、この可能性そのものを検討しなければならない。

2. 無規定性と存在者の区別

ここで、ヘーゲルの純粋な有から生成への議論が再び重要になる。

ヘーゲルの論理学では、何の規定も持たない純粋な有は、純粋な無と区別されない。

したがって、無規定な有を、そのまま特定の存在者として扱うことはできない。

この議論を今回の問題に適用すれば、完全に無規定な単一性は、あるものとしての存在を成立させるための規定性を持たないことになる。

あるものが存在者として成立しているならば、そのものは何らかの意味で他のものと区別される。

そして、その区別が存在そのものに属するならば、それは内在的な差異として理解されなければならない。

したがって、完全に無規定な単一性を、何らかの存在者として認めることには問題がある。

しかし、この議論にも限界がある。

純粋な有が無と同一であるというヘーゲルの論証を受け入れることは、単に自己同一性の形式だけを認めることとは異なる。

そこには、存在と規定性を結びつけるヘーゲル特有の論理学的方法がある。

そのため、ヘーゲルの議論を採用することによって、普遍命題を論証することは可能になるかもしれないが、その論理学的方法自体を正当化する問題が残されている。

3. 原始的な個体性は認められるのか

ここで、最も重要な論点が明確になる。

あるものが他のものと区別される根拠を、内在的差異や構造によって説明する必要はないという考え方を認めることができるのだろうか。

もし、あるものが何の内的構造も持たずに、それ自身として成立することができるならば、第一性の構造的成立という普遍命題には例外が生じる。

これを認めないためには、次の原理が必要になる。

存在者の個体性や自己同一性は、いかなる規定的根拠も持たない原始的な事実として与えられるのではなく、その存在者自身の内在的な規定性によって成立する。

この原理は、今回の理論にとって極めて重要である。

これを認めるならば、存在者の自己同一性は、それ自身の内部にある差異と関係の構造によって説明される。

しかし、この原理そのものが正当化されなければならない。

それは単なる論理的な公理として導入してよいものではない。

なぜなら、まさにその原理こそが、存在の構造的成立を普遍命題として主張するための根拠になるからである。

したがって、本稿の論証における最大の課題は、存在者の自己同一性を構造から独立した原始的事実として認めることができない理由を明らかにすることにある。


第八章 第一性の遡及的成立への接続

1. 存在の成立と第一性の成立

ここまでの議論を、最初の問題である第一性の遡及的成立に戻して考えたい。

本稿では、次の二つの命題を区別してきた。

存在の構造的成立

あるものが規定された存在として成立するためには、そのものの内部に差異化された契機と関係の秩序が必要である。

第一性の構造的成立

あるものが第一のものとして成立するためには、そのものが位置づけられる構造全体との関係が必要である。

この二つが結びつけば、第一性の遡及的成立は、存在論的な基礎を持つ理論へと展開される。

あるものが第一のものであるということは、単にそのものが独立した存在として存在していることを意味しない。

それは、ある秩序の内部において、他のものに対する特定の位置と役割を持つことを意味する。

したがって、第一性は構造全体との関係において成立する。

さらに、あるものの自己同一性そのものが内在的構造によって成立するならば、第一性を持つ存在者もまた、構造から完全に独立したものではない。

ここで、存在の成立と第一性の成立が、一つの理論的枠組みに統合される。

2. 遡及性とは何か

ここで改めて、遡及的成立の意味を確認しておく。

遡及的成立とは、時間的に後から生じたものが、過去に存在していたものの存在を物理的に変化させるということではない。

また、第一のものが、構造全体の成立によって時間的に初めて存在し始めるという意味でもない。

問題となっているのは、あるものの第一性が、構造全体の成立によって確定するということである。

例えば、AがBの存在根拠である場合を考える。

Aは時間的にはBより前に存在するかもしれない。また、存在論的にもBに対して先行しているかもしれない。

しかし、AがBの存在根拠であるという位置づけは、AとBとの関係が成立することによって初めて確定する。

この意味で、Aの存在が時間的に先行していたとしても、Aの第一性は構造全体との関係において成立する。

したがって、遡及性とは時間的な逆行ではなく、構造的な規定の順序に関する概念である。

あるものが第一のものであるという規定は、構造の成立に対して単純に先行して与えられるのではない。

構造全体の関係が確定することによって、そのものの第一性が遡及的に確定するのである。

3. 自己完結的な第一性について

ここで最も重要な問題に戻ろう。

自己完結的な存在が第一のものである場合、その第一性も構造によって成立するのだろうか。

本稿の議論からは、少なくとも二つの異なる意味を区別できる。

第一に、その存在者が存在するために、外部の他者を必要とするかどうかである。

第二に、その存在者が第一のものとして位置づけられるために、構造を必要とするかどうかである。

スピノザの実体を例に考えよう。

実体は他のものに依存せず、それ自身の本性によって存在する。

しかし、実体が万物の第一原因であるという規定は、実体とその様態との関係を含んでいる。

この場合、実体の存在そのものが様態との関係によって成立するわけではない。

しかし、実体が万物の第一原因であるという位置づけは、実体と様態との全体的な関係において確定する。

ここで重要なのは、存在論的な独立性と第一性の構造的な規定を混同しないことである。

自己完結的な存在は、他のものに依存することなく存在できる。

しかし、それが第一のものであるという位置づけは、他のものとの関係を含む構造において成立する。

さらに、その存在者自身が内在的な構造を持つならば、その存在の自己同一性と第一性の双方を、構造という観点から説明することが可能になる。

これによって、第一性の遡及的成立は、自己完結的な存在を例外として排除する必要のない理論へと進む。

ただし、絶対的に単一であり、いかなる内在的差異も持たない存在者が可能であるかという問題は、依然として残されている。

この問題を解決しない限り、存在の構造的成立という普遍命題を完全に確立することはできない。


結論――普遍命題の成立に向けて

本稿では、第一性の遡及的成立を存在論的な理論として確立するために、自己完結性と内在的構造との関係を検討してきた。

その結果、いくつかの重要なことが明らかになった。

第一に、他のものに依存しないことは、内在的構造を持たないことを意味しない。

外的依存と内在的構造は、異なる概念である。

第二に、ヘーゲルの『大論理学』における規定性、他者性、限界の議論は、あるものの自己同一性を、他者性を含む内在的な差異と関係の構造として理解するための重要な根拠を与える。

第三に、ライプニッツのモナド概念は、部分を持たない単純実体であっても、内的な多様性と関係を持ちうることを示している。

第四に、スピノザの実体概念は、自己原因性と内在的構造を結びつけるうえで最も厳しい問題を提示する。属性の相互独立性を保持しながら、実体の非構成的な内在的統一をどのように理解するかが重要になる。

これらの議論から、少なくとも次の命題を提示することができる。

命題Ⅰ:自己完結性は構造からの独立性を意味しない。

命題Ⅱ:あるものが規定された存在として成立するためには、その自己同一性を成立させる内在的な差異と関係の構造が必要である。

命題Ⅲ:あるものが第一のものとして成立するためには、そのものが位置づけられる構造全体との関係が必要である。

そして、この三つの命題を結びつけることで、次のような理論的帰結が得られる。

第一性は、それが属する構造全体との関係において遡及的に成立する。そして、その第一性を担う存在者自身もまた、内在的構造によって自己自身として成立する。

ただし、本稿の論証は、まだ完全な普遍証明には到達していない。

その理由は明確である。

あるものが規定性を持つためには差異が必要であるということと、その差異が存在者自身の内在的な構造として成立しているということの間には、なお論証すべき隔たりが残っている。

特に、何の内的差異も持たない原始的な自己同一性、すなわち完全に無構造な単一性が存在しうるかどうかという問題を解決しなければならない。

もし、そのような存在が可能であるならば、存在の構造的成立という普遍命題には例外が生じる。

反対に、そのような存在は、そもそも規定された存在者として成立することができないと論証できれば、自己完結的な存在を含むあらゆる規定された存在に対して、内在的構造の必要性を主張できる。

したがって、今後の論証において最も重要なのは、次の命題を証明することである。

絶対的な自己同一性は、内在的な差異化をまったく持たない単一性として成立することができるのか。

この問いへの回答が、第一性の遡及的成立を普遍命題として確立できるかどうかを左右する。

本稿で検討したヘーゲルの自己同一性と他者性の論理、ライプニッツの単純実体における内的多様性、そしてスピノザの絶対的実体における属性の問題は、いずれもこの論点に集約される。

第一性の遡及的成立を単なる認識の理論にとどめず、存在そのものの成立を説明する理論にまで発展させるためには、存在者の自己同一性を構造から独立した原始的事実として認めることができない理由を示さなければならない。

ここに、本理論の最も困難な論証課題がある。

しかし、同時に、ここにこそ本理論の可能性もある。

第一性の成立を構造との関係から説明することは、単に既存の存在者の位置づけを変更することではない。

存在者がそもそも自己自身として成立するための条件を、構造という観点から捉え直すことでもある。

第一性の遡及的成立が最終的に目指すのは、存在の自己同一性と第一性の双方を、内在的な差異と構造の成立から統一的に説明することである。

その普遍的な論証は、まだ完成していない。

しかし、少なくとも何を証明しなければならないのか、そしてその証明がどのような哲学的問題に直面するのかは、ここまでの考察によって明確になったと考える。


参考文献・参照箇所

Baruch Spinoza

Spinoza, Benedictus de, Ethica ordine geometrico demonstrata, in Spinoza Opera, ed. Carl Gebhardt, vol. II, Heidelberg: Carl Winters Universitätsbuchhandlung.

  • Pars I, Definitiones I, III, IV, VI.
  • Pars I, Propositiones VII, X et Scholium, XI.

G. W. F. Hegel

Hegel, Georg Wilhelm Friedrich, Wissenschaft der Logik.

  • Erster Band, Die objektive Logik.
  • Erstes Buch, Die Lehre vom Sein.
  • Erster Abschnitt, Bestimmtheit (Qualität).
  • Zweites Kapitel, Das Dasein, B. Die Endlichkeit, a. Etwas und ein Anderes.
  • Zweites Kapitel, Das Dasein, B. Die Endlichkeit, b. Bestimmung, Beschaffenheit und Grenze.
  • Zweites Buch, Die Lehre vom Wesen, Dritter Abschnitt, Die Wirklichkeit, Erstes Kapitel, Das Absolute.

Gottfried Wilhelm Leibniz

Leibniz, Gottfried Wilhelm, Monadologie (1714).

  • §§ 1–13.
  • §§ 56–57.

コメント

タイトルとURLをコピーしました