はじめに
「第一性の遡及的成立」は、これまでの22回にわたる論証を通じて、基本的な理論構築の段階から、先行する哲学理論に対する位置づけと独自性を確立する段階へと移行した。
これまでの研究では、個体化以前の差異場から構造的秩序が成立し、その構造によって個体性が確定し、さらに構造内部における非対称的な同一性規定を通じて第一性が成立することを論証してきた。また、後続する構造が、それ以前に存在していたものの履歴を、自らの構成的な前史として遡及的に確定するという問題にも踏み込んだ。
しかし、これらの主張が独自の哲学理論として成立するためには、同じ問題を既に扱っている先行理論との比較が不可欠である。
今回取り上げるのは、存在論的構造実在論(Ontic Structural Realism、以下OSR)である。
主要な研究者として、James Ladyman、Steven French、Michael Esfeld、Vincent Lamなどが挙げられる。
OSRは、世界を独立した個体の集合として理解するのではなく、関係や構造を存在論的に優先させる立場である。そのため、個体の同一性や個体化を構造との関係から説明しようとする「第一性の遡及的成立」にとって、最も直接的な比較対象の一つとなる。
実際、構造実在論には、既に個体化された対象の関係だけでなく、関係によって対象そのものが個体化されるという議論も存在する。したがって、「個体性は構造によって成立する」という命題だけでは、独自性を主張できない。
本稿では、OSRの主要な立場を整理したうえで、文脈的個体性、構造と構造項の相互構成、非対称的な同一性決定、前個体的差異場、そして遡及的構成という五つの観点から比較検証を行う。
その目的は、OSRとの共通点を確認するだけでなく、既存の理論によって説明されている部分と、なお説明されていない問題を区別し、「第一性の遡及的成立」の独自性がどこに成立するのかを明確にすることである。
1.存在論的構造実在論の基本的な立場
1-1.OSRの基本的な問題意識
存在論的構造実在論の基本的な問題意識は、世界が独立した個体から構成され、それらの個体が後から関係を形成するという、伝統的な個体中心の存在論を問い直すことにある。
通常の個体中心の存在論では、次のような順序が想定される。
A, B → R(A, B)
まずAとBが独立した個体として存在し、その後に両者の間に関係Rが成立する。
この場合、関係は既に存在する個体に付け加わる二次的な規定となる。
しかし、OSRでは、この順序そのものが疑われる。
対象の性質や同一性、さらには対象間の関係は、それぞれ独立して成立しているとは限らない。むしろ、関係的構造そのものが存在論的に基礎的であり、対象の同一性や個体性もその構造との関係において成立すると考える。
特にLadymanとFrenchの立場では、世界は個体の内在的性質に基礎づけられた構造ではなく、客観的な様相的構造を持つものとして理解される。
ここでいう様相的構造とは、単なる現実の関係の集合ではない。因果的・法則的関係、対称性、自然法則によって規定される可能性と不可能性などを含む。
したがって、OSRにおける構造は、既に完成した個体を外部から結びつけるものではない。対象の性質や個体性を成立させる客観的な関係・法則・様相の秩序なのである。
1-2.OSRの諸立場
ただし、OSRは一枚岩ではない。
対象と関係のどちらが存在論的に優先するのかという観点から整理すると、少なくとも次のような立場を区別できる。
第一に、還元的・急進的な構造実在論。
この立場では、対象はそれ自体で独立した存在論的カテゴリーではなく、関係的構造の結び目や位置として理解される。極端な場合には、対象というカテゴリーそのものを存在論から排除する。
第二に、非還元的な関係優先型の構造実在論。
この立場では、対象の存在は認められるが、その同一性や本質的規定は関係的構造に依存する。対象を完全に構造へ還元する必要はないものの、関係が対象に存在論的に優先する。
第三に、穏健な構造実在論。
Michael EsfeldとVincent Lamが提示した立場が代表的である。対象と関係はどちらも存在論的に認められ、いずれか一方だけが他方に優先するわけではない。ただし、対象は関係から独立した内在的性質によって特徴づけられる必要はなく、対象の性質はその関係的なあり方によって規定される。
なお、Peter Ainsworthは2010年の論文「What Is Ontic Structural Realism?」で、OSRをOSR1・OSR2・OSR3という別の分類によって整理している。分類方法そのものにも複数の仕方があるため、OSR全体を一つの立場として扱うべきではない。
今回の比較では、特に次の三つを対象とする。
- Ladyman/Frenchの還元的・急進的構造実在論。
- 対象の同一性が関係に依存する非還元的構造実在論。
- Esfeld/Lamの穏健な構造実在論。
この区別を維持することが、現在の理論との正確な比較の前提となる。
2.文脈的個体性と構造的個体化
2-1.OSRには既に構造による個体化の議論が存在する
今回の比較で最も重要なのが、文脈的個体性(contextual individuality)という問題である。
この問題を直接扱っている研究者の一人が、John Stachelである。
Stachelは2006年の論文「Structure, Individuality, and Quantum Gravity」において、関係には異なる二つの種類があることを区別している。
第一は、既に個体化されたものの間に成立する関係である。
第二は、まだ個体化されていない存在者を個体化する関係である。
つまり、関係は既に成立した個体同士を結びつけるだけではない。関係によって、それ以前には独立した個体として確定していなかったものが個体化される場合もある。
Stachelは、この区別を量子論における素粒子や一般相対性理論における時空点に適用する。
特に、時空点や同種粒子の個体性は、それ自体に内在する独立した性質によって決まるのではなく、関係的構造との関係において成立すると考える。
これは、現在の理論と極めて近い。
「第一性の遡及的成立」では、第19回において、次の区別を導入した。
| 概念 | 存在論的身分 |
|---|---|
| Δ | 前個体的差異場 |
| mᵢ | 前個体的な差異的契機 |
| S | 構造的秩序 |
| xᵢ | 構造内部で個体化された項 |
特に重要なのは、mᵢが既に独立した個体ではないということである。
mᵢは差異的な規定可能性を持っているが、構造内部における個体としての同一性や位置はまだ成立していない。
その個体化は、複数の差異的契機が関係的秩序を形成し、その構造によって各契機の位置や役割が確定することで成立する。
この関係は、次のように表せる。
R(mᵢ, mⱼ) → I(S, mᵢ → xᵢ)
ここでは、構造による個体化以前の契機と、個体化された構造項とが区別されている。
しかし、この考え方はStachelの議論と明確に重なる。
したがって、次の主張は独自性として採用できない。
「関係は既に個体化された存在者を結びつけるだけではなく、個体化以前の存在者を個体化することができる。」
これはOSRの先行研究に既に存在する考え方だからである。
2-2.量子論における文脈的個体性
この議論はStachelに限定されない。
Simon Saundersは、2006年の論文「Are Quantum Particles Objects?」などにおいて、量子粒子の個体性を関係的に理解する議論を展開している。
特に重要なのが、弱い識別可能性(weak discernibility)である。
例えば、量子力学における二つの電子が一重項状態にある場合を考える。
それぞれの電子は、個別に確定したスピンの値を持たない一方、二つの電子の間には、任意の方向に対してスピンが反対になるという関係が存在する。
このような反射的ではない関係によって、二つの電子は区別可能だと考えられる。
ここでは、個体の差異を、それぞれの対象に内在する性質だけで説明する必要がない。関係そのものが個体の識別に寄与するのである。
この議論には、重要な問題が伴う。
それは、関係によって個体の差異を説明しようとしても、その関係が成立するためには、既に異なる二つの関係項を前提しているのではないか、という問題である。
つまり、
「関係が個体を区別する」
という主張に対して、
「しかし、関係が成立するためには、既に区別された個体が必要なのではないか」
という反論が成立する。
これは、第15回から第20回にかけて取り組んできた、関係と関係項の相互構成、そして個体化の循環問題と直接対応している。
2-3.文脈的個体性に残されている問題
さらに重要なのは、文脈的個体性をめぐる議論そのものに、未解決の問題が残されていることである。
現代の構造実在論に関する研究では、次のような問題が指摘されている。
- 個体の同一性や多様性は、構造全体に依存するのか、それとも構造の一部分に依存するのか。
- 個体の同一性と多様性のどちらか一方は、構造内部に原始的な事実として残るのか。
- 構造全体における対象の同一性や多様性自体を、どこまで説明できるのか。
特に重要なのが、数学的構造などにおいて、構造内部の対象の同一性と多様性を、それ以上の事実によって説明されない原始的な特徴として認める可能性があるという点である。
ここに、現在の理論が比較研究で明確にしなければならない問題がある。
OSRは、構造によって個体性が成立することを認める。しかし、構造内部の個体性や差異が、さらにどこまで説明されなければならないのかについて、必ずしも一つの回答を与えていない。
これに対して、「第一性の遡及的成立」は、第18回・第19回において、個体性を原始的な事実として認めることを拒否し、前個体的差異場Δを存在論的な基礎として提示した。
ここに相違が生じる。
ただし、現在の理論もΔそのものをさらに別の何かによって説明しているわけではない。Δは最終的な存在論的基礎として認められている。
したがって、両者の違いは、単純に一方がすべてを説明し、もう一方が説明を放棄しているということではない。
どのような存在論的身分を説明の最終地点として認めるのかが異なるのである。
OSRの一部の立場が構造全体の内部に原始的な個体性を認める可能性を持つのに対して、現在の理論は原初的な個体性ではなく、原初的な非個体的差異を基礎として認める。
この違いは、今回の比較における重要な成果である。
3.構造と構造項の相互構成――穏健な構造実在論との比較
3-1.Esfeld/Lamの穏健な構造実在論
次に、第10回・第16回・第20回で構築した、構造と構造項の相互構成を検討する。
ここでは、EsfeldとLamの穏健な構造実在論が重要になる。
2008年の論文「Moderate Structural Realism about Space-Time」で、両者は、Ladyman/Frenchの急進的な構造実在論に対して、穏健な構造実在論を提示した。
彼らの立場では、対象と関係はどちらも存在論的に認められ、いずれか一方だけが他方に優先するわけではない。
ただし、対象は関係から独立した内在的な性質を持つものとして理解される必要はない。
その基本的な考え方は、次のように整理できる。
- 関係には、それを担う何らかの関係項が必要である。
- しかし、その関係項が関係に先立って独立した内在的性質を持つ必要はない。
- 対象と関係は同じ存在論的水準にあり、対象の性質は関係的に規定される。
これは、第10回で論じた次の主張と近い。
「構造は、独立した存在者を後から結びつけるものではない。関係項と関係が、同一の構造的全体のなかで相互に成立するのである。」
したがって、「対象と関係は相互依存しており、どちらか一方だけが独立した基礎ではない」という命題も、それだけでは独自性にならない。
3-2.CとIによる階層的個体化
では、両者の違いはどこにあるのか。
ここで注目すべきなのが、第20回で導入したCとIの区別である。
現在の理論では、構造の成立と構造項の個体化を、同じ意味での相互構成として扱うのではなく、異なる存在論的水準における二つの成立条件として整理した。
- C:下位水準の構成要素による上位構造の具体的実現。
- I:上位構造による構造項の個体化。
この二つを区別することによって、次のような階層的な関係が成立する。
まず、下位構造Sₗ₋₁の内部で個体化された複数の構造項bᵢが存在する。
次に、それらの構造項によって上位構造Sₗが具体的に実現される。
そして、その上位構造によって、上位水準における構造項xᵢが個体化される。
このとき、Cが要求するものとIが成立させるものは、同一の存在論的水準に属さない。
したがって、構造の成立と構造項の成立が互いを同一の意味で前提するという循環は生じない。
第20回では、これを構造の階層的な再帰として整理した。
これに対して、穏健な構造実在論の基本的な主張は、対象と関係の存在論的な同等性と、対象の関係的性質にある。
つまり、対象と関係が相互に依存することは主張していても、現在の理論のC/Iの区別と同じ形式で、異なる水準における構造の具体的実現と個体化を一つの理論として定式化しているわけではない。
ただし、ここでも注意が必要である。
LadymanとRossは『Every Thing Must Go』(2007年)において、複数の科学的水準における実在的パターン(real patterns)などを論じている。
したがって、構造が複数の水準で成立するという発想そのものも、OSRに全く存在しないわけではない。
ここから、現在の理論の独自性を次のように限定する必要がある。
階層的な構造の存在を主張することではなく、構造の具体的実現Cと、構造項の個体化Iを異なる存在論的操作として区別し、それらの関係から相互構成の循環が生じないことを説明する点に、独自の定式化の可能性がある。
これは、第20回の成果として維持できると考える。
4.構造的同一性規定の非対称性原理――OSRとの直接的な比較
ここが今回の比較で最も厳密に検証しなければならない部分である。
第21回で導入した非対称的な同一性決定という論理形式には、OSRにかなり近い先行研究が存在する。
4-1.関係と対象の存在論的優先性
北村直彰・森田紘平の2019年の論文「存在的構造実在論の概念的基礎と経験的根拠」は、今回の比較にとって非常に重要である。
この論文は、OSRの諸立場を対象と関係の存在論的な優先関係から整理し、さらにOSRの定式化において「同一性」という概念が果たす役割を検討している。
特に重要なのは、同一性には少なくとも二つの意味があるという指摘である。
| 同一性の意味 | 内容 |
|---|---|
| 数的同一性 | あるものが別のものと同一であるか、異なるものか |
| 本質 | あるものが何であるかを成立させる本質的な規定 |
この二つは異なる。
例えば、二つの電子が異なる電子であることと、電子という対象が何であるかという本質的規定は同じ問題ではない。
北村・森田論文は、OSRを量子論の経験的事例から正当化するためには、対象の同一性を単なる数的同一性ではなく、本質という観点から理解する必要があると論じている。
この問題は、第21回の議論にとって重要である。
現在の理論では、次のような非対称的な関係を考えている。
A ≺d B
これは、規定次元dにおいて、Aの規定がBの同一性条件を基礎づける一方、Bの規定はAの同一性条件を同じ意味では基礎づけないという関係である。
このような関係そのものは、関係と対象の存在論的優先性をめぐるOSRの議論と近い。
したがって、第21回の成果を単に「同一性決定における非対称的な依存関係を発見したこと」に置くことはできない。
4-2.数的同一性・本質・持続的同一性の区別
しかし、この比較によって、現在の理論にとってさらに重要な問題が明確になった。
それは、同一性という概念を一つの意味で扱ってはならないということである。
少なくとも、次の三つを区別する必要がある。
第一に、数的同一性。
なぜあるものが一つの個体として成立しているのか、なぜ他の個体と区別されるのかという問題である。
第二に、本質的規定。
あるものが何であるのか、その個体を成立させる本質的な規定は何かという問題である。
第三に、持続的同一性。
あるものが時間的な変化を経ても、なぜ同じ個体として存続するのかという問題である。
例えば、構造内部でAとBが異なる役割を持っていることが説明できても、それだけでAとBが数的に異なる二つの存在者として成立する理由を説明できたとは限らない。
また、Aの位置や役割が確定しても、そのAが時間的変化を通じて同一の個体として存続する条件まで説明されたとは限らない。
第11回では、数的同一性と個体としての同一性条件を既に区別していたが、今回の比較を踏まえると、本質的規定を独立した分析対象として明確に位置づける必要がある。
4-3.非対称性原理に残されている独自の論点
それでは、非対称的な同一性決定という発想が先行研究に存在するなら、第21回の成果は何なのか。
ここで注目すべきなのは、説明対象の違いである。
OSRの議論では、主として関係と対象の間の存在論的な優先性が問題になる。
これに対して、現在の理論は、構造が成立した後の内部において、個体化された項同士の優先関係を問題にしている。
| 比較項目 | OSRの同一性決定論 | 第一性の遡及的成立 |
|---|---|---|
| 基本的な関係 | 関係と対象 | 構造内部の項Aと項B |
| 主な問題 | 対象の同一性が関係に依存するか | 項の規定が他の項の同一性をどのように基礎づけるか |
| 非対称性 | 関係と対象の優先関係 | 構造内部における項の優先関係 |
| 優先性の意味 | 対象に対する関係の存在論的優先 | 特定の規定次元dにおける第一性 |
| 全体との関係 | 関係的構造による対象の規定 | 構造全体の統一条件と内部的な優先関係の接続 |
現在の理論では、二つの異なる優先性を区別している。
第一は、構造的不変項S*が、構成要素の物質的同一性に対して持つ優先性である。
第二は、構造内部のAがBの位置や役割を規定することによって成立する優先性である。
そして第21回では、この二つを同一性決定の非対称性という共通原理によって接続した。
さらに、優先関係を規定次元dに相対化し、非反射性・推移性・非対称性を持つ秩序として定式化している。
また、すべての構造が必ず第一の項を持つとはしていない。
これによって、第一性は単なる「関係が対象に優先する」という命題ではなく、構造内部における一定の条件のもとで成立する位置として定義される。
したがって、第21回の成果は次のように評価できる。
同一性決定の非対称性という原理そのものには先行研究がある。しかし、それを構造内部の項同士の関係へ展開し、構造全体の同一性決定上の優先性と接続することには、独自の理論的展開の余地が残されている。
5.前個体的差異場Δ――OSRは個体化以前の存在論的基礎を説明しているのか
ここから、現在の理論にとって最も重要な問題の一つに進む。
それは、第19回で確立した前個体的差異場Δと、OSRにおける存在論的に基礎的な構造との違いである。
5-1.OSRにおける構造の存在論的意味
LadymanとFrenchのOSRでは、構造は単なる個体間の関係の集合ではない。
特に重要なのが、客観的な様相的構造という考え方である。
例えば、量子論における量子もつれは、個々の粒子がそれぞれ独立した状態を持ち、それらの状態を後から組み合わせるだけでは理解できない。
二つの粒子からなる全体の状態には、各粒子の個別状態には還元できない関係的な特徴が存在する。
また、一般相対性理論では、時空点の同一性を、時空点に内在する独立した性質だけで決めることはできない。
座標の取り替えによって物理的に同等な時空モデルが得られるという問題、いわゆるホール論法も、対象と構造の存在論的関係を検討する重要な契機になっている。
つまり、OSRにおける構造は、既に完成した個体を外部から結びつけるものではない。
対象の性質や個体性を成立させる、客観的な関係・法則・様相の秩序である。
5-2.ΔはOSRにおける構造と何が異なるのか
ここで、現在の理論のΔを確認する。
第19回では、次の五つを区別した。
| 概念 | 内容 |
|---|---|
| Δ | 前個体的差異場 |
| mᵢ | 前個体的な差異的契機 |
| S | 構造的秩序 |
| xᵢ | 個体化された構造項 |
| F | 構造内部の第一性 |
特に重要なのは、ΔとSを同じものとして扱わないことである。
Δは、すでに完成した関係的構造ではない。
Δに内在する差異的な規定可能性が、一定の関係と制約を形成したとき、Sが成立する。
この展開は、次のように表せる。
Δ → S
ここでは、構造的秩序が最初から存在論的な基礎として措定されているのではなく、構造が成立する以前の差異的な存在様態が区別されている。
この点は、OSRとの比較において重要な違いになりうる。
Ladyman/FrenchのOSRでは、客観的な様相的構造が存在論的に基本的なものとして措定される。
一方、現在の理論は、構造的秩序Sそのものが成立する以前の、非個体的な差異的存在様態をΔとして区別している。
| 比較項目 | OSR | 第一性の遡及的成立 |
|---|---|---|
| 究極的な存在論の中心 | 客観的な関係・様相的構造 | 前個体的差異場Δ |
| 個体化以前の契機 | 非個体的な関係項や構造的対象を認める立場がある | Δにおける差異的契機 |
| 構造の成立 | 構造そのものが存在論的に基礎的 | Δの差異的規定可能性がSとして組織化される |
| 個体化 | 関係構造によって対象の個体性が規定される | ΔからSを経てIによって個体が成立する |
ここに現在の理論の独自性の候補がある。
ただし、一つ重要な問題が残る。
OSRの様相的構造には、法則や対称性だけでなく、可能性や不可能性を規定する性格も含まれる。
そのため、Δの潜在的な規定可能性がOSRの様相的構造によって既に説明できるのではないか、という反論が考えられる。
したがって、単にΔが「可能性を含む」と言うだけでは不十分である。
必要なのは、次の区別である。
OSRの様相的構造は、対象や物理的現象がどのような関係・法則・可能性の秩序に従うかを説明する。それに対してΔは、そもそも個体化された対象や完成した構造が成立する以前の、異質性そのものの存在論的身分を説明する。
この区別が理論的に維持できれば、ΔはOSRの構造という概念を単に言い換えたものではなくなる。
もっとも、この問題は今後のシモンドンとの比較にも関係する。前個体的存在、準安定性、強度差という概念との関係を明らかにすることで、Δの独自性はさらに明確になるはずである。
5-3.個体化根拠充足原理とOSRの原始的構造
ここで、もう一つ重要な違いを取り上げる。
現在の理論では、第18回で個体化根拠充足原理を確立した。
すなわち、個体性の存在論的成立を説明しようとする理論は、数的統一と他の個体との差異を成立させる根拠を提示しなければならない。
これに対して、OSRには構造全体の個体性や多様性を原始的な事実として認める可能性がある。
ここで、両者の違いを正確に述べよう。
OSRは、個体の内在的な個体性を拒否しながら、構造そのものの内部における個体性を原始的なものとして残すことができる。
現在の理論は、これに対して、個体性の成立根拠を前個体的な差異場まで遡って説明しようとしている。
しかし、現在の理論もΔ自体は最終的な存在論的基礎として認める。
したがって、ここで主張すべきことは、「OSRは無根拠なものを認めるが、自分の理論はすべてを説明する」ということではない。
そのような主張は成立しない。
正確には、両者がどのようなものを説明の最終地点として認めるかが異なるのである。
OSRの一つの基礎づけの仕方は、客観的な関係的構造を基礎とし、その構造における個体の同一性や多様性を規定することである。
これに対して「第一性の遡及的成立」は、個体化以前の非個体的差異場Δを基礎とし、そこから構造・個体性・第一性の成立を説明する。
ここでの理論的な問いは、単にどちらが基礎的かということではない。
なぜ個体性の説明においては、構造全体の内部に原始的な同一性や多様性を置く必要がなく、非個体的差異場からその成立を説明できるのか。
この点を、第19回の論証と接続して示す必要がある。
今回の比較で得られる結論は、OSRの構造実在論に対して、現在の理論は構造の存在論的基礎をさらに一段階遡って説明しようとする立場だということである。
6.遡及的構成はOSRをどこまで超えるのか
最後に、第22回で確立した遡及的構成を検討する。
ここは、今回の比較において最も独自性が期待できる部分である。
6-1.OSRにおける文脈的個体性は現在の構造との関係を問題にする
文脈的個体性では、ある対象がどのような個体として成立しているのかが、それが属する関係的構造によって規定される。
例えば、一般相対性理論における時空点は、時空構造と独立した個体性を持つものとして扱われる必要はない。
その同一性は、時空の計量構造などとの関係において理解される。
ここでは、構造が対象の個体性を規定することが問題になっている。
しかし、ここから直ちに、後続する構造が先行する存在者の履歴を遡及的に構成するという命題が導かれるわけではない。
これは別の問題である。
6-2.第22回の遡及的構成は何を説明しているのか
第22回で検討したのは、次の二つの異なる構成関係だった。
第一:通常の構造的個体化
構造Sが成立することで、その内部に存在する項の位置・役割・同一性が確定する。
第二:歴史的な遡及的構成
後に成立する構造Sが、それ以前に存在していたものの履歴を、自らの構成的な前史として確定する。
この違いは重要である。
例えば、ある組織Sが成立する以前から、人物Aが特定の活動を行っていたとする。
後にSが成立したとき、Aは単にSの構成員になるだけではない。
Aの過去の活動のうち、何がSの成立を構成したのかが確定する。
ここで変化しているのは、過去の出来事そのものではない。
その出来事が、後に成立したSの同一性を成立させる条件として持つ存在論的な資格である。
この意味で、後続する構造は、単に現在の構成要素を個体化するだけではなく、自らの成立に関係する先行する履歴を構成的に確定する。
6-3.単なる事後的な意味づけとの区別
ただし、ここで一つ厳密な限定が必要である。
過去の出来事に後から「創設者」という呼称を与えただけでは、遡及的な存在論的構成にはならない。
必要なのは、過去の活動が、単なる現在の評価や物語上の位置づけではなく、後続する構造の同一性を構成する実在的な条件になっていることである。
つまり、単に「そう呼ばれるようになった」ということと、「その履歴なしには、その同じ構造が成立しなかった」ということは区別されなければならない。
第22回の議論は後者を目指している。
この区別を維持することで、遡及的構成は単なる事後的な認識や意味づけとは異なる、存在論的な主張として位置づけられる。
6-4.OSRに対する遡及的構成の位置
ここで、比較結果を慎重に述べよう。
今回検討したLadyman/French、Stachel、Esfeld/Lamの主要な構造実在論では、中心的な問題は、対象と関係の存在論的優先性、量子論における個体性、時空構造、そして客観的な様相的構造である。
これらの議論に、第22回と同じ意味での「後続する構造による先行する履歴の構成的な確定」を、一般的な個体化原理として体系化したものは、今回確認した範囲では見いだせなかった。
もちろん、構造実在論のすべての研究に同じ議論が存在しないと断言することはできない。また、時空構造や歴史的な存在者を扱う個別研究には、追加の比較が必要になる。
しかし、少なくともOSRの基本命題である構造的個体性だけでは、第22回の命題は導かれない。
したがって、今回の比較においては、次の結論が得られる。
OSRが構造との関係によって対象の個体性が成立することを説明するのに対し、「第一性の遡及的成立」は、後続する構造の成立が、先行する存在の履歴をその構造自身の成立条件として確定することまで理論化しようとしている。
これは、構造的個体化から歴史的な遡及的構成への展開であり、今回の比較で最も重要な独自性の候補である。
7.比較検証の総合結果――何が既に説明され、何が残されているのか
ここまでの比較を総合する。
今回の最大の成果は、当初独自性があると考えていたいくつかの命題が、OSRの先行研究に既に存在していることを確認できた点にある。
一方で、それらを一つの存在論的な展開として統合するところには、依然として独自性の可能性がある。
7-1.四つの研究課題の比較結果
| 当初の独自性候補 | OSRにおける先行研究 | 現在の理論の位置づけ |
|---|---|---|
| ①個体化以前の差異 | Stachelの関係による未個体化対象の個体化、Ladymanの構造実在論 | Δによる構造成立以前の存在論的基礎づけに可能性 |
| ②構造と構造項の相互構成 | Esfeld/Lamの穏健な構造実在論 | C/Iによる階層的な相互構成の形式化に可能性 |
| ③非対称的な同一性決定 | 関係と対象の存在論的優先性をめぐる議論 | 構造内部の項同士の第一性への展開に可能性 |
| ④歴史的な遡及的構成 | 文脈的個体性とは区別される問題 | 最も有力な独自性の候補 |
これをもう少し厳密に表現すると、次のようになる。
①について
関係によって個体化以前の対象が個体化されるという発想は、Stachelに先例がある。
したがって、独自性は前個体的なものから個体が成立するという一般命題ではなく、前個体的差異場Δを構造的秩序の存在論的基礎として位置づける論証に求めるべきである。
②について
構造と対象の相互依存は穏健な構造実在論に存在する。
したがって、独自性は相互依存そのものではなく、異なる存在論的水準におけるCとIの区別によって、構造の実現と個体化を説明するところに求めるべきである。
③について
関係が対象の同一性決定に優先するという非対称的な論理形式には、先行する議論がある。
したがって、独自性は非対称性そのものではなく、それを構造内部の項の同一性決定へ適用し、構造全体の優先性と接続するところに求めるべきである。
④について
後続する構造が、それ以前の履歴を自らの成立条件として確定するという問題は、今回検討したOSRの中心的な議論には、そのままの一般原理としては見いだせなかった。
したがって、ここは今後の重要な独自性の候補として残る。
7-2.OSRとの比較で見えてきた、もう一つの重要な違い
今回の検証で、最も重要だと考えているのは、現在の理論とOSRが、そもそも異なる問いを中心にしているということである。
OSRの中心的な問いは、次のように表現できる。
世界は、独立した個体とその内在的性質によって成立しているのか。それとも、個体の同一性や性質を成立させる関係的構造が存在論的に基礎的なのか。
これに対して、「第一性の遡及的成立」が中心的に問うているのは、次のことである。
個体化以前の差異的な存在様態から、構造・個体性・第一性はどのような論理によって成立するのか。そして、後続する構造の成立によって、なぜ先行する履歴までがその構造の成立条件として確定するのか。
この違いは小さくない。
OSRは、構造と個体の存在論的関係を再検討する。
現在の理論は、その関係を認めたうえで、構造そのものの成立条件と、構造内部における優先性の生成過程を説明しようとしている。
したがって、現在の理論はOSRを単に否定する必要はない。
むしろ、OSRが提示した構造依存的個体性という問題を受け継ぎ、それを個体化以前の存在論的基礎から再構成する立場として位置づけられる可能性がある。
8.今回の比較を踏まえた独自性の再定式化
ここまでの議論から、現在の「第一性の遡及的成立」の独自性を改めて定式化したい。
以前の暫定的な独自性命題は、まだ構造による個体化という一般的な主張に重心があった。
しかし、OSRとの比較によって、そのままでは不十分であることが分かった。
そこで、次のように修正する。
「第一性の遡及的成立」の独自性に関する暫定的定式化
個体性と第一性は、あらかじめ独立して成立した存在者に内在する属性ではない。個体化以前の非個体的な差異場Δを基礎として、異なる存在論的水準における構造の具体的実現と個体化が成立し、その構造内部における同一性規定の非対称的な依存関係を通じて、規定次元に相対的な第一性が成立する。
さらに、後続する構造の成立は、現在の構造項の個体性と第一性を確定するだけでなく、その構造の成立条件を構成する先行する存在の履歴を、構造相対的に遡及的に確定する。
したがって、本理論の課題は、構造が個体性を成立させることを示すだけではなく、個体化以前の差異から構造・個体性・第一性が成立し、それらが時間的な履歴を含む存在論的秩序へと展開することを、一貫した原理によって説明することにある。
理論全体の基本構造
現在の理論の基本構造は、次のように表せる。
Δ → S → I(S, mᵢ → xᵢ) → F(S, xᵢ, d)
ここでは、
- Δ:前個体的差異場
- S:構造的秩序
- I:構造による個体化
- xᵢ:個体化された構造項
- F:構造内部の第一性
- d:第一性が成立する規定次元
を意味する。
これに加えて、後続する構造S₂が先行する履歴H₁を自らの構成的条件として確定するという、時間的な遡及的構成を区別して扱う。
この二つの遡及性を混同してはならない。
第一は、構造が成立することによって、その内部における個体性・同一性・第一性の成立条件が確定するという、構造的・存在論的な遡及性である。
第二は、後続する構造の成立によって、それ以前の存在者の履歴が、その構造の構成的な前史として確定するという、時間的・歴史的な遡及性である。
両者は区別されるが、同一の存在論的構想の異なる側面として接続される。
そして、ここで改めて重要になるのが、第一性を単なる構造の優先性と同一視しないことである。
OSRが論じる構造の存在論的優先性と、現在の理論が論じる構造内部の第一性は、区別しなければならない。
前者は構造と個体の関係に関する問題であり、後者は構造内部の同一性規定の非対称性に関する問題だからである。
9.今後も参照すべき重要文献
今回の比較で、今後も継続的に参照すべき文献を整理しておく。
存在論的構造実在論の基本文献
- Ladyman, James. (1998). “What Is Structural Realism?” Studies in History and Philosophy of Science Part A, 29(3), 409–424.
- French, Steven and James Ladyman. (2003). “Remodelling Structural Realism: Quantum Physics and the Metaphysics of Structure.” Synthese, 136(1), 31–56.
- Ladyman, James, Don Ross, David Spurrett and John Collier. (2007). Every Thing Must Go: Metaphysics Naturalized. Oxford University Press.
- Ainsworth, Peter. (2010). “What Is Ontic Structural Realism?” Studies in History and Philosophy of Science Part B: Studies in History and Philosophy of Modern Physics, 41, 50–57.
文脈的個体性と個体化の研究
- Stachel, John. (2006). “Structure, Individuality, and Quantum Gravity.” In Dean Rickles, Steven French and Juha Saatsi (eds.), The Structural Foundations of Quantum Gravity, Oxford University Press, 53–82.
- Saunders, Simon. (2006). “Are Quantum Particles Objects?” Analysis, 66(1), 52–63.
穏健な構造実在論
- Esfeld, Michael and Vincent Lam. (2008). “Moderate Structural Realism about Space-Time.” Synthese, 160(1), 27–46.
OSRの概念的基礎と同一性
- 北村直彰・森田紘平(2019)「存在的構造実在論の概念的基礎と経験的根拠」『科学哲学』52巻1号、1–22頁。
特に北村・森田論文は、今回の比較において重要な文献である。OSRの諸立場を区別し、同一性という概念が数的同一性と本質という異なる意味を持つことを明確にしている。
今後、理論の独自性を論文として提示する際には、これらの文献を原典に即して検討する必要がある。
10.結論――構造実在論を超えて何を説明するのか
今回の検証では、「第一性の遡及的成立」と存在論的構造実在論との共通点と相違点を、五つの観点から検討した。
その結果、当初独自性があると考えていたいくつかの命題について、OSRに既に重要な先行研究が存在することが明らかになった。
構造による個体化、関係による未個体化対象の個体化、構造と対象の相互依存、非対称的な同一性決定は、それぞれ先行研究に対応する議論が存在する。
したがって、これらの命題をそのまま独自性として主張することはできない。
しかし、今回の比較によって、現在の理論が何を中心に独自性を確立すべきなのかも明確になった。
第一に、前個体的差異場Δから構造そのものの成立を説明すること。
第二に、構造の具体的実現Cと構造項の個体化Iを区別し、階層的な相互構成を形式化すること。
第三に、構造内部の同一性規定の非対称性を通じて、第一性を導出すること。
第四に、後続する構造が先行する履歴を自らの構成的条件として確定するという、歴史的な遡及的構成を説明すること。
このうち、今回の比較で最も有力な独自性の候補となったのは、第四の遡及的構成である。
通常の文脈的個体性が、対象の同一性を現在の関係的構造との関係から説明するのに対し、現在の理論は、後続する構造の成立が、それ以前に存在していたものの履歴を、自らの成立条件として遡及的に確定することまで説明しようとしている。
これは、構造的個体化から歴史的な遡及的構成への展開であり、OSRとの比較において最も重要な違いとなる。
ただし、この段階でOSRのすべての立場を克服したと結論づけることはできない。特にΔの存在論的身分、C/Iの形式的な独自性、非対称性原理の射程、そして歴史的な遡及的構成の成立条件については、今後の比較研究を通じたさらなる精密化が必要である。
それでも、今回の比較によって、現在の理論の位置づけは以前より明確になった。
OSRが構造と個体の存在論的関係を再検討するのに対して、「第一性の遡及的成立」は、個体化以前の差異的存在様態から構造・個体性・第一性が成立する過程を説明し、さらに後続する構造が先行する履歴を構成的に確定することまで理論化しようとしている。
したがって、現在の理論はOSRを単に否定する必要はない。OSRが提示した構造依存的個体性という問題を受け継ぎながら、それを個体化以前の存在論的基礎から再構成し、構造内部の第一性と歴史的な遡及的構成へと展開する立場として位置づけられる可能性がある。
今回の比較によって明らかになったのは、「第一性の遡及的成立」の独自性が、構造による個体化という一般命題にあるのではなく、個体化以前の差異から構造・個体性・第一性、そして先行する履歴の遡及的構成までを、一つの存在論的な展開として説明しようとする点にあるということである。
OSRとの比較は、これで基本的な検証を終える。
次回は、シモンドンの個体化論との比較に進む。特に、前個体的存在、準安定性、トランスダクションという概念を取り上げ、「第一性の遡及的成立」が提示する前個体的差異場Δと個体化の理論が、シモンドンの個体化論に対して何を付け加えられるのかを検討したい。



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