【時々更新】ホワイトヘッド『過程と実在』読書記録(現在1周目 第一部第二章第三節まで)

ホワイトヘッド
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この記事は、2024年2月から続けているホワイトヘッド『過程と実在』の読書記録です。テキストはみすず書房『過程と実在』平林康之訳で読んでいます。

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みすず書房から当翻訳が再販された2023年12月末から読み始めていましたが、上巻の後半に差し掛かったところで挫折して放置していたため、改めて冒頭から読書記録をつけながら読んでみようと思った次第です。

数十年後、あの時はこんなことを思いながら読んでいたんだなぁ、と感慨に耽れたらおもしろいかな、と目論んでいます。

また、ホワイトヘッドの哲学を学ぶ方になにか役に立てることもあるかもしれない、との思いもありブログ記事として残しておこうと思います。

なお、『過程と実在』に挑戦するまでの私のホワイトヘッド経験値としては、

  • 『連続と断絶 ホワイトヘッドの哲学』飯盛元章著
  • 『ホワイトヘッドの哲学』中村昇著
  • 『科学と近代世界』松籟社 ホワイトヘッド著作集 第6巻
  • 『思想の諸様態』松籟社 ホワイトヘッド著作集 第13巻

それぞれ一周、目を通した程度の理解しかできておらず、ホワイトヘッドの知識としては脆弱な状態であり、『過程と実在』への挑戦としては無謀なのかもしれない、と思いつつも読み始めてみないことには何も始まらない、との精神で気長にやっていこうと思います。

スピノザ主義者の読むホワイトヘッドですので誤読も含め、ご容赦ください。

編纂者の序

2024/02/07

校訂版ができるまでの経緯。編集作業の困難さ。ホワイトヘッドは著作を上梓する際の通例の骨折り作業(編集)に自分の時間を割かなかった。ラッセルがホワイトヘッドに対して手紙の返事をくれないと不満を言ったところ、「返事など出していたら、自分のオリジナルな仕事をする間がなくなってしまう」とのエピソードは、ホワイトヘッドの人柄を表していると思う。

2024/02/09

『過程と実在』を概観する内容。プラトンとアリストテレスをデカルト、ニュートン、ロック、ヒューム、カントと対比させ、有機体の哲学がカント以前の思想様式への回帰であるということを述べる。「客観的不滅性」という概念に心惹かれた。「生者が死者をわがものにすること」という表現も好きだ。短い文章の中に重要な概念が凝縮されているような印象を受けた。『過程と実在』を2周目、3周目…と反復するごとに違った印象をもつことができるのだろうか。

第一部 思弁的図式

第一章 思弁哲学

第一節

思弁哲学。諸観念の整合的、論理的、必然的な体系。経験の解釈。

2024/02/12

思弁哲学を明確にすることが最初の課題。思弁哲学とは、われわれの経験のあらゆる要素が、それによって「解釈」されうるような、普遍的観念の整合的・論理的・必然的な体系を、組み立てる努力である。哲学的図式は、「整合」的で「論理的」であり、その解釈に関しては、「適用可能」でかつ「十全」でなければならない。

哲学的図式は、その図式自身の内にあらゆる経験に通ずる普遍性を自らの保証として身につけているという意味で「必然的」でなければならぬであろう。

このあたりまではわかる。

「普遍性における必然性についてのこの学説は、自分自身を超越する諸関係を、自分の合理性を侵害するものとして禁じている宇宙にとって、或る本質が存在する、ということを意味する」ということの解釈が難しい。自分自身を超越するものに関しては、思弁哲学の整合的で論理的で十全に説明可能な体系の外に位置するということと、とりあえず解釈した。

第二節

洞察と言語との欠陥。観察の諸条件。硬直した経験論、想像力、普遍化。整合性と不整合性。創造性、究極的なもの。

2024/02/14

有機体の哲学がスピノザの体系と類似していることが述べられる。

ただし、そこには歴然とした差異があるとされる。

スピノザの体系を一元論とするホワイトヘッド。確かにそうだが、スピノザの体系はそれだけではない。無限に遡ることができる因果関係の平面。それとは区別された永遠性としての実体から直接作用により産出される因果性とが渾然一体となったその体系のどこにホワイトヘッドの体系との差異があるのか。

現時点での感覚としては、ホワイトヘッドとスピノザの言わんとすることはほぼ同じことを別の言い方で言っているのではないかと思えるほど、酷似していると私には思えてしまう。

これからホワイトヘッドを読み込んでいくことで両者の差異を語れるようになりたい。

第三節

理性主義と教義主義。母式としての図式、真と偽の命題、母式の使用。実験的冒険。

2024/02/16

これまでの哲学史を振り返って、その漸進性を述べる。哲学とはその最初から完璧に明晰であるものではなく、時代を経るごとに明晰さを増していくような進歩の過程にあるような実験的な冒険であるということ。

「具体性おきちがいの誤謬」という専門用語の初出。抽象的なものを誤って具体的だとみなしてしまう誤謬とのことだがまだイメージが湧かない。

並行して、「差異と反復」「精神現象学」も読んでいるが、それらのさっぱりわからなさに比べて、「過程と実在」はまだ話についていけている感があるのが不思議だ。

第四節

哲学と科学、普遍性の諸等級。数学の教義主義的影響。哲学の進歩。 

2024/02/23

科学はある制限された部分についてのみ扱う。科学の主要な原理は発展する。つまり成功裡に使用された当初の時期を通して疑われなかった解釈と制限とによってだけ、その原理の原型は存在する。

哲学の研究はより大きな普遍性をめざす。

数学の方法は演繹法であり、哲学の方法は記述的普遍化である。

哲学は経験の事実の理解を明快にするための普遍化であるということ。

名前の上がった哲学者が、自分がこれから読んでいく哲学者のリストそのものになっている。プラトン、アリストテレス、トマス・アクィナス、デカルト、スピノザ、ライプニッツ、ロック、バークリ、ヒューム、カント、ヘーゲル。

第五節

言語の欠陥。命題とその背景。形而上学的前提。言語への過剰な信頼。形而上学と実践。形而上学と言語表現。

2024/03/01

言語による現実世界の十全な説明は不可能であるということが述べられる。これまでのどのような形而上学も真理に対しては近似でしかなく、言語化された時点で非十全なものになってしまう。

第六節

思弁哲学と過剰な野心。過剰な野心、教義主義と進歩。解釈と形而上学。経験の一層高次の要素、主体性と形而上学的訂正。哲学によって結合される道徳性、宗教、科学。宗教と科学の対比。結論。

2024/03/02

哲学と宗教、科学の比較することで、哲学のあるべき姿を述べている。すべての科学は解釈にすぎず、ある一面において、明晰であることも見方や、観点の違いによっては明晰さを失う。

徐々に難解になってきた。理解がおぼつかないがとりあえず前に進むことにする。

第二章 範疇的図式

第一節

四つの概念、すなわち現実的存在、抱握、結合体、存在論的原理。デカルトとロック。具体をでなく抽象を説明する哲学。

2024/03/07

この章から有機体の哲学の具体的内容に入っていく。

現実的存在、包握、結合体についての説明がなされる。

それらについてなんとなく知っていたから議論の流れについていくことはできたが、知らなかったらまったく意味不明だったであろう。

第二節

四組の範疇。究極者の範疇。連言と選言。創造性、新しさの原理、創造的前進。共在性、合生。 現存の八つの範疇。説明の二七の範疇。

2024/03/08

究極者の範疇、現存の範疇、説明の範疇、の解説とそれらにおいて前提されている普遍的な原理の説明。まずは、有機体の哲学で使用する概念の分類や、専門用語の解説からなされていく。

体系的、論理的な順序で有機体の哲学の主要概念の分類がなされているという感じ。

説明の範疇の解説では、合生の過程が詳細に述べられる。

ふんわりとしたイメージはなんとなくわかるが、細部の記述は理解が追いついていない。

現存の範疇における「命題」「多岐性」「対比」がわからない。

第三節

九つの範疇的制約。

2024/03/20

まだ序盤ではあるが、かなり有機体の哲学の核心部分にあたるような重要な記述が続いているような気がする。

ホワイトヘッドの哲学はあくまでも人間の意識、経験をベースに形成されているため、自分自身の感覚に落とし込んで考えやすいのではないかと思う。

だから細部の記述は理解できなくとも、なんとなくのイメージはわかるのではないだろうか。

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