さっきから隣の席の同年代の家族連れを何となく意識している。
自分と同じ時間、同じ空間に属しながら全く別の次元に存在しているようだ。
どう考えても交わることのない断絶。
生きている文脈がまるで違う。
なにを考えているのか、日々どんなことに頭を悩ませ、何を志向して生きているのか。
何となく想像してみるものの自分とは相容れない。とてもじゃないが友達にはなれそうにもない。
ふと同席者が隣の幼児に話しかける。
「おっきいねぇ、いくつ?」
隣の父親が答える。
「二歳です、もうすぐ三歳になるけど。」
同席者は「イェーイ」と言いながら幼児とグータッチを交わしている。
この人には垣根というものがないのだ。
というかこの人にとっての世界は統一されていて、整然と一つにまとまって地続きなまま存在している。幸せなことだ。
そこかしこに断絶をみて、決して交わろうとしない自分とは根本的に違うのだ、とまた切断。
ある怖れを感じている。
ある時ふとなにか些細なことがもちあがって、そしてもう二度と元の世界には戻れないことになってしまうような気がしてならないのだ。
他人から「そんなこと自分には関係ない」とばかりに冷笑とともに見放され忘れ去られていく私。
圧倒的な孤独に自分自身が沈んでいく感覚。
これは死への恐怖なのか。老いへの恐怖なのか。
でもそれは、私が他人に向けている眼でもあると同時に思う。
誰か他人を哀れな人だと思ってもそれは私ではないし、私には関係ない。
私は大丈夫。
恵まれている側の人間であるし、あの人はかわいそうで哀れで救いようがないが、私はそうではない。
心のどこかでそんなことを思っている。
ふと、周囲からそのような眼を向けられていることに気づく瞬間。
断絶。
いつかは絶対に死ぬし、人生の一番いい時期は終わってしまったし、色々勉強したところで性根は変わらんし。
でも結局自分が一番大事で、生に人一倍執着している糞人間。
それが私の性根であり根本である。
そのような人間としての性に自覚的に目覚めている人間とそうでない人間。
また、切断。
ほんとどうしようもないな、と外に出る。
コメント