どうも、OGKです。
今回の記事は「哲学のすすめ」です。
35歳の哲学未経験おじさんが独学で約4年間、哲学に真剣に取り組んでみて実際のところどうなのか、なにがどう変わったのか。
哲学は人生の役に立つのか、仕事の役に立つのか、家庭の円満維持に役に立つのか等々、大公開してしまおうという記事になります。
特に哲学書の内容を解説する記事ではありませんし、私個人の体験談を書いているだけなので、軽く読み流していただけたら幸いです。
私の哲学に対する気持ち
まず身も蓋もないことを先に言ってしまいます。
自分の一番本音の部分です。
私にとって、『哲学が人生の役に立とうが立たまいが正直どちらでもかまわない』ということです。
それは私にとって副次的なことに過ぎず、ただ哲学を学ぶことそのものが自分にとって特別な体験になっている感覚があります。
哲学を勉強しているということそれ自体が、『私の人生において他の何にも変えがたい経験になっている』ということです。
それは哲学が人生の役に立つかどうか、といった実利的なことではなく、ただ哲学を学ぶということそのこと自体に、自分自身が意味を見出せているという感覚です。
自分の人生においてそのようなジャンルに出会えて、取り組めているこの運命には感謝してもしたりないと思っています。
では哲学は人生の役に立つのか
私にとっての哲学はつまるところ、「役に立たなくても関係ねー。だって哲学めっちゃおもろいもん!」ということにはなるのですが、これまで数年哲学に取り組んでみて「哲学って人生の役にも立つやん!」ということがわかってきました。
私は普段事務職として働いていますが、哲学を勉強する前と比べて明らかに仕事が楽にできるようになったことを感じます。
そのことに関していくつか思い当たる要因はあるのですが、一番は「物事を理解する能力が格段に上がった」ということを鮮明に感じています。
それをさらに分解してみますと、
- 論理的思考能力が上がった
- 難しいことを考え続ける忍耐力がついた
- 文章の読解能力がついた
- 問題の核心を取捨選択できるようになった
以上のようなことは普通に哲学に取り組んでいたら誰しも経験することができるのではないでしょうか。
他にもいくつか私が思う『人間関係において役に立つポイント』があるので以下に挙げておきます。
☆ 勘が働くようになる
- つまりは「この場面でどんなことを言った方がいいのかな」とか「ここは黙っておいた方が良さそうだぞ」などがなんとなくわかるようになったと言いますか、場の空気が以前より読めるようになった?ことで人間関係において無用なトラブルを避けることができている気がします。
☆ 騙されづらくなる
- この人は表面的にはいい人を装っているが、その内実はそうではないということに気づくことも以前より多い気がします。
- その人の見た目やうわべだけでなく内面も含めて総合的に判断するようになったのでしょうか。
☆ 自分に自信がつく
- 他人にどう思われていようが比較的どうでもよくなりました。
- 他人は他人、自分は自分。
- ドライに聞こえるかもしれませんが、いい意味で自分の気持ちを尊重することができるようになってきています。
- また、「自分はあのスピノザの『エチカ』や、ヘーゲルの『論理学』を研究しているんだぞ、負けるわけねぇ!」という謎の自信がつきます(笑)
これらすべてが哲学のおかげなのかどうか定かではありませんが、哲学を学ぶ前と後とでは、仕事においても家庭においても人間関係を以前よりも円滑に進められていることは間違いないと思います。
哲学研究は自分の言語世界の枠組みを広げること
人間は良くも悪くも言語に支配されて生きています。
その言語というものは物事を分解し、分類し、整理する性質があるものです。
実際に生きている各々の個人の中には、生まれや環境やそれまでの人生に規定される形でその人独自の言語世界が広がっています。
そのような各自が所有している、言語世界の中でのみその人は思考し、行動し、他者と関わりを持っているのではないでしょうか。
普通に他人と会話をする際、自分の言語世界の範囲においてしか相手の話を理解することはできません。
他者と直接話しているようでいて本当は他者の話をきっかけにして、自分の言語世界の中にある概念を想起しているようなものです。
たまたま両者同じような概念を言語世界に共有していたら会話はスムーズに進みますが、そうでない場合も多いです。
そのような一対一の関係性の集合体として世の中が出来上がっているという見方もできるのではないでしょうか。
つまり、その人の持っている言語世界がその人にとってはある種の限界や制限にもなっているのではないかと思うのです。
そして哲学を学ぶことは、そのような各人にとっての「限界としての言語世界」を少しづつ押し広げていくということになると思っています。
それは哲学でなくとも、他の学問やサブカルチャーを摂取することも同様かもしれません。
こうして文章にするとあたりまえで、なんとありふれたことかと思いますが、『それをやるかやらないか』だと思って、私は哲学をやっています。
まとめ
いかがだったでしょうか。
なぜか今回は謎の関西弁まじりになりましたが、一応関西人です。おもしろい話はできませんが…
また、かなりいかがわしい自己啓発本みたいな内容になってしまった気がしないでもありません。
私はざっとこんなことを考えながら日々哲学に取り組んでいるという感じです。
なんにせよ自分が少しでも興味を持った分野には、これからもフットワーク軽めでまずは挑戦していく所存です。
ではまた。
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